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LNJ Logo 『ケーテ・コルヴィッツの肖像』まえがき
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以下は、新刊『ケーテ・コルヴィッツの肖像』(志真斗美恵著・績文堂・2500円)のまえがきと目次です。 本書の申込みは→績文堂・TEL03-3260-2431 FAX03-3268-7202・mail@dwell-info.com

はじめに

天命をまっとうすることができずに迎える不条理な死--戦争、テロル、ある いは飢餓による死。残された人びとの悲しみを思うとき、ケーテ・コルヴィッ ツの作品がわたしの脳裏に浮かぶ。戦争で息子を奪われた両親の像、敬愛する 人を失った人びとがならぶ〈カール・リープクネヒト追憶像〉。数々の作品 は、深い悲しみとともに、その死を胸に刻み生きてゆこうとする意志を表現し ている。

ケーテ・コルヴィッツは、二度の世界大戦で、二人のペーターを失った。第一 次世界大戦で次男ペーターを、第二次世界大戦で孫のペーターを。

ケーテ・コルヴィッツは、ドイツで戦争と革命の世紀を生きた画家であった。 彼女が生まれた一八六七年は、日本では大政奉還・明治維新の年である。ドイ ツ帝国の誕生(一八七一年)、第一次世界大戦(一九一四〜一八年)、ヴァイ マル共和国成立(一九一九年)、ドイツ革命の敗北(一九一九年)、ナチスに よるファシズム支配と戦争の時代(一九三三〜四五年)を彼女は生き、戦争が 終結する直前に亡くなった。

彼女は、版画を中心にして、素描、彫刻の分野で五〇年以上にわたる活動を続 けた。その生涯に創造した版画作品は二七五点、そのほかに多数の素描や下 絵、そして色彩の施された作品と十数点の彫刻がある。その数は、多いとはい えないかもしれない。だが彼女にとって、生きることは、作品を創造すること であった。どのように困難なときでも、彼女はけっして絵画や彫刻から離れな かった。彼女の祖父は言った--「才能は、同時に使命である」と。

ケーテ・コルヴィッツは思索する芸術家であった。創造の過程で彼女は思考を 深めていく。作品を完成させるまで何年も、何十年もかけるのは、稀ではなか った。その長い時間のなかで、彼女は、たえず作品をそのときの現在の光のな かで検証した。少女時代から晩年に至るまで一〇〇点あまりにのぼる自画像 は、彼女が自己を凝視するなかから創作する作家であった証でもある。

ケーテ・コルヴィッツは文章を書く人でもあった。自画像を描くだけでなく、 文章でも自分を語っている。本を読み、日記を書き、絶えず自分をみつめた。 少女時代は『回想』(一九二三年)に、画学生の時代をへて版画家として四〇 歳になるまでは『若いころの思い出』(一九四一年)にまとめられている。一 九〇八年から書きはじめた日記は、十冊、一五〇〇ページにのぼり、率直で飾 り気なく、また自己に対して容赦ない批判の刃を向けている。それは、個人的 日録にとどまることなく、作業日誌的要素も持ちあわせていて、彼女の作品を みるときの補助線となってくれる。

ケーテ・コルヴィッツが没して六〇年。いまなお世界各地で戦禍は絶えない。 戦争による死者はなくならない。飢えもなくならない。世界六〇億の人びとの うち、八億人以上の人びとが飢餓状態にある。彼女が版画や彫刻で描いた現実 は変わっていない。イラクで戦死したアメリカ兵の母親の悲しみは、九十数年 前のケーテのそれと同じである。戦場でわが子をさがす母親も、戦争のために 寡婦となった妊婦も数知れない。「平和主義」――それは彼女が死を前にした ときの言葉である。ケーテ・コルヴィッツの作品は、いまも平和を考えるため の手がかりになるとわたしは確信している。

ケーテ・コルヴィッツの仕事は、彼女が生きた時代ときりはなして考えること はできない。彼女自身が書き残した日記・回想・手紙をてがかりに、激動の時 代とかかわりつづけてきた彼女の足跡をたどり、ケーテ・コルヴィッツの生涯 をいまからわたしなりに綴ってみたい。作品を時代のなかに位置づけ、言葉で ケーテ・コルヴィッツの肖像を描いてみようと思う。

 目 次

1 画家をめざして――自由の風
「自由教団」の影響  ケーニヒスベルクの風にふかれて  画家をめざして   女子美術学校へ  婚約、そしてミュンヘン  習作〈ジェルミナール〉

2 『織工たちの蜂起』――連なっていく記憶
カールとの結婚  ハウプトマン『織工たち』の衝撃  家庭と創作活動の両 立  連作版画『織工たちの蜂起』 「社会派」芸術家と呼ばれて  〈あま たの血を流すものたち、おお民衆よ〉  もうひとつの機織労働の記憶――ゴ ッホ  マルクス、ハイネ、フライリヒラート、ハウプトマン

3 『農民戦争』――主題と技法の追求
ベルリン分離派への参加  『農民戦争』の制作  一九〇四年--「パリは わたしを魅了した」 ロダン訪問  一九〇七年--イタリア滞在  農民戦 争の時代の画家たち

4 貧しい人びとの素描――表現主義運動の渦中で
『ジンプリチシムス』での仕事  生活と創作の苦悩  表現主義運動の高揚   〈三月の墓地〉

5 ペーターの戦死――一九一四年十月
戦争への熱狂  「私の仕事」--記念碑の制作  デーメル批判

6 カール・リープクネヒト追憶像――悲しみの転換
初の芸術アカデミー女性会員に 〈カール・リープクネヒト追憶像〉制作へ   バルラハ木版画の衝撃

7 ポスターの制作――「人民の代弁者」
混迷する時代のなかで  「反革命が動きだした」 「この時代のなかで人び とに働きかけたい」  インフレの進行と飢餓  二度と戦争をするな!

8 木版画連作『戦争』――「苦しみは真暗闇だ」
長い歳月を込めて  生命を宿すもの  ロマン・ロランへの手紙

9 国境を越えて――スメドレーと魯迅
スメドレーとの友情  魯迅『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』出版

10 記念碑〈父と母〉の像――平和の希求
『プロレタリアート』  ペーターの墓地へ  革命十周年のモスクワ  記 念碑の完成  墓地への設置  記念碑の変転

11 最後の連作『死』――ナチス支配の時代
兄コンラートの死  ナチス支配の時代  三人展--ナーゲル、ツィレ、コ ルヴィッツ  レリーフ〈御手に抱かれ安らかに憩いたまえ〉  最後の連作 『死』  ゲシュタポの尋問

12 種を粉に挽いてはならない――孤独と希望と
彫刻に没頭  〈ピエタ〉  ケーテの〈嘆き〉とバルラハの〈漂う天使〉   〈たがいに握りあう手〉  夫カールの死と〈別れ〉  〈種を粉に挽いて はならない〉  孫ペーターの戦死  平和主義の思想

エピローグ 励まし――日本の人びとに
一九二八年--千田是也「ケエテ・コルヰッツ」  一九三六年--中野重治 と『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』  一九四一年--宮本百合子「ケーテ ・コルヴィッツの画業」  一九五三年――鈴木東民『ケーテ・コルヴィッツ の日記 種子を粉にひくな』  あとがきにかえて--自画像のことなど


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