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LNJ Logo 木下昌明の映画の部屋・第147回
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●モハマド・シルワーニ監督『イラン式料理本』
不自由の中でも批評精神は健在――台所から見える「生きたイラン」

 ひところイラン映画は盛んだった。ジャファール・パナヒ監督の、少女が側溝にお金を落として大騒ぎする『白い風船』など、ささやかな出来事から社会が見えて興趣が尽きなかった。その後、イラン政府による映画への統制が厳しくなり、ついにパナヒも『これは映画ではない』というタイトルの映画を作るに至った。反体制活動をした科(とが)で現政権が20年間映画製作を禁止し、軟禁生活を強いたからだ。彼は不自由な境遇を逆手にとってカメラを屋内の自分に向け、映画を否定する映画? を作った。こういった作り方もあるのか、とパナヒ監督のしたたかさに感銘を受けた。

 もっとも、この種の批評精神に富んだイラン映画はいまだに健在である。自国では上映禁止のモハマド・シルワーニ監督の『イラン式料理本』もその一本。これもカメラは屋内から一歩も出ないで、ほとんど台所の隅に据えっ放しのまま。登場人物も監督が日ごろ身近に接している母や母の友人、双子を育てながら大学に通う妹、そして自分の妻などで、それぞれの台所で得意料理に腕をふるっている様子を撮っているだけである。それでいて面白い。

 女性たちは、それぞれの献立を説明しながら自然に口もほぐれてきて、誰それがどうしたのと、普通のインタビューなどでは味わえないあれこれを語って、思わず噴き出してしまうシーンや、大家族用の大きなランチマットにおいしそうな料理がずらり並んだシーンなど見ていて楽しい。なかでも圧巻は妻の母とその姑とのやりとり。「結婚当初、どうしてあんなにいじめたのか」と恨みをぶつける彼女に、「許しておくれ」と謝る姑。妻の母は「今は私がボスよ」と胸を張る。

 イランには「客人歓待の精神」があると誇っていた男性の本があって、すごいと思ったことがあったが、その裏では、女性たちが苦労しているということも、この映画を見て分かった。――どんなに自由な表現を禁じられようと、台所からさえも生きたイランが見えてくる。(木下昌明/『サンデー毎日』2012年9月23日号)

*「イラン式料理本」は9月15日より東京・岩波ホールほか全国順次ロードショー。『これは映画ではない』は9月22日より渋谷シアター・イメージフォーラムで。

〔追 記〕 なぜイラン映画が政府によって規制されるようになったのか、その背景について記しておきます。

 2009年、アフマディジャネドが大統領に再選された選挙で、不正があったとして改革派のムサビ氏を推した市民デモがあった。その市民デモをイラン映画協会(会員2500人)が支持したことで、イランの映画人は文化イスラム省と対立した。イラン政府は映画人を取り締まり、映画製作に厳しい規制をしいた。パナヒ監督は、みせしめとして一切の映画活動を禁止された。また、モフセン・マフマルバフやアッバス・キアロスタミらイラン映画を代表する監督たちは国外在住をよぎなくされた。キアロスタミの『トスカーナの贋作』(2010年)にしても、新作の『ライク・サムワン・イン・ラブ』にしても、人間ドラマとして興味深いが、背景の社会がイランでないことによって現実との緊張が失われて、いまひとつ物足りなかった。

 たとえ映画が撮れない状況であろうと、自分が育った社会のなかで“映画”をつくるべきではないか、とわたしは先の2本の作品をみて思った。

 なお、わたしの大好きな作品であるパナヒ監督の『白い風船』について、わたしは『映画と記憶』(影書房刊)のなかで佐藤忠男さんの映評を批判しつつ書いています。一読してください。


Created bystaff01. Created on 2012-09-16 18:52:50 / Last modified on 2012-09-16 18:56:18 Copyright: Default

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