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極右に向く崔大集と患者に向く医者たち

[イシュー(3)]公共医療を育て、患者、市民、労働者の声を聞け

チョン・ウニ記者 2020.09.30 08:24

大韓医師協会(医師協)の崔大集(チェ・デジプ)会長が政府と合意して、 医政葛藤が医議葛藤に飛火した。 現職の医師や専門医がごり押しをしたためだ。 医者の間の対立は、崔大集医師協会長弾劾事態まで続いた。 しかしそれほど医者の話を聞かないのなら、 崔大集はなぜ医師協の門を叩いたのだろうか?

医師協の代議員は9月19日に臨時代議員大会を開き、27日に臨時総会を開催し、 崔大集医師協会長と役員7人の不信任案を採決することにした。 崔会長が一方的に政府と議政合意案を締結した後に迎えた暴風だ。 弾劾事件だけを見れば大変なことになったようだが、 その可否が崔大集の政治行路に大きな影響は及ぼさないものと見られる。 崔会長としては弾劾されなければ一番だが、 弾劾されても医師ストライキの反対世論がさらに大きい状況だった。 だから合意しなければ文在寅(ムン・ジェイン)政府の支持率が上がるだけで 「政治」を夢見る彼にはさらに不利になりかねなかった。 当初、崔会長は医師より政治に関心を持っていた。 彼は2018年に医師協会長に当選した直後、 マスコミとのインタビューで文在寅ケアを阻止するために ソウル市長への立候補をやめ、 会長の任期3年を終えれば制度政界に行くと明らかにした。

政治のために始めた医師協活動

崔大集の極右履歴はすでに有名だ。 彼は2005年、西北青年団の精神を継承するとして「自由開拓青年団」を作って代表になり、 同年開かれたニューライト青年連合創立大会でも共同代表に選出された。 こうした彼は盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の時期、 政治勢力化を本格化したニューライトの代表選手の一人だ。 そうした背景で2006年にはハンナラ党(現国民の力)真の政治運動本部傘下の 民心収斂委員会の委員にもなった。

2009年からは医師協に批判的な医者が作った全国医師総連合(全医総)の組織局長になり、鉢巻を巻き始めた。 2015年には医療革新闘争委員会(医革闘)の共同代表になり、 発足9日前に朴元淳(パク・ウォンスン)前ソウル市長を MERS関連の虚偽事実流布罪で告発したことで有名だ。 もちろん、そのために医革闘を急造したという疑惑も受けた。 2016年には全医総常任代表になり、それに続いて2017年8月に 文在寅(ムン・ジェイン)政府が「文在寅ケア」を発表した後には 国民健康守護非常対策委員会闘争委員長として活動し、 その「成果」として2018年に医師協会長に選出された。 崔大集は医師協として活動しつつも、 それ以外の政治活動も怠らなかった。 代表的には、2017年の朴槿恵(パク・クネ)弾劾を防ぐ名目で、 自由統一解放軍を結成して腕章をはめた。

こうした崔大集に主に影響を及ぼしたのは、 初代全医総代表で2012年に医師協会長だった盧煥圭(ノ・ファンギュ)だ。 彼は2014年に政府の遠隔医療導入方針をめぐってストライキを行い、 代議員との対立の末に医師協100年の歴史で初めて弾劾された人物だ。 そのような彼は崔大集が医師協会長選挙に立候補する時、 選挙対策委員長を引き受けて全幅の支援をした。 しかし盧煥圭崔大集のように 右派をながめるだけのひまわりではなかった。 彼は2012年と2016年、各々民主党への入党を試みたことがある。 2013年にはハンギョレに「盧煥圭のゴールデンタイム」というコラムを連載した。 彼が2017年まで所有していたインターネットコミュニティ「タクプル」は、 医療界のサイバー暴力容疑でも有名だった。 こうした盧煥圭崔大集は、 どちらも2000年の医薬分業に反対して行われた医師ストライキの過程で 右派として覚醒した人物だ。 彼らは当時、医薬分業を進めた金容益(キム・ヨンイク)健康保険公団理事長を 青瓦台のイ・ジンソク国政状況室長と共に「医療社会主義者」と呼ぶ。

アスファルト極右を選択した医者たち

崔大集が2018年5月に医師協会長に就任した後には 医師協も極右の香を漂わせ始めた。 医師協は2018年8月、故ペク・ナムギ農民死亡事件真相報告書結果をめぐって声明を出し 「不適切な結論」だと批判した。 今年の1月末に韓国にコロナ19が広がり始めると、 中国人の全数調査と中国発の入国者の入国禁止を主張した。 また保健当局のコロナ19対策に諮問をしてきた 「汎学界コロナウイルス感染症-19対策委員会」が 「社会主義者秘線実力者」だと攻撃し、 保守言論がこれに加勢して結局これを解体させた。 前回の総選挙の前の3月には、 未来韓国党(現国民の党)にバン・サンヒョク医師協常勤副会長を比例代表として選抜しろと要求する声明を出し、 医者たちの反発で撤回することもした。 バン・サングン副会長は盧煥圭会長時期にも同じ職をひきうけた人物だ。

だが崔大集は文ケア阻止の公約で選挙に勝利したが、 これという成果を挙げられず、たびたび雑音が漏れてきた。 特に文ケア阻止のための特別闘争費として 開業医、奉職医には300%、専門医、公衆保健医、軍医官の場合には400%上げたが、 これという成果なく闘争会費を取っただけで不機嫌な声が多かった。 また就任1年で医師協副会長選挙を廃止して常勤理事を増やし、 崔大集の好みに合う人たちを入れて反発も買った。

それでも医師協が崔大集の政治ごっこにもてあそばれているのではない。 崔大集という「アスファルト極右」を選択したのはまさに医師協の医者たちだったからだ。 事実、これらの医者にはそれなりの計画があった。 いつよりも開業医の条件が難しく、 医師協の医者の間では保障性を強化する文在寅ケアを阻止するために 「剛性」崔大集が適格だという共感があった。 実際に、健康保険審査評価院が出した開業医廃業現況によれば、 今年の1分期だけで100か所が開業すれば65か所が廃業する程、 開業医の経営条件は良くなかった。 医師協会員の多数を占める開業医たちは、 こうした不安な状況で文在寅に強く反対する極右との同盟を結んだ。

こうした崔大集は、 医師だけでなく専門医にも少なからぬ影響を与えた。 事実、大韓専門医協議会(大専協)は7月24日に開かれた総会の時に 「医大定員拡大に関連して、大韓病院協会および国会、福祉部関係者との交渉による合意点導出」を優先した。 もちろん「交渉が決裂した場合、これ以上交渉ではなく団体行動」を見せると約束したが、 医師協の選挙運動の時から「団体行動」を口にしてきた崔大集とはかなり違っていた。 だが専門医は休診率70〜80%を示して廃業に加勢したが、 崔大集が突然政府と合意したため、 厳しい状況に直面した。 大専協のパク・ジヒョン非対委員長をはじめとする執行部は、 病院の復帰決定に一線の専門医が強く反発し、 これに対する責任を取って9月7日に辞任した。

公共医療を育てて患者、市民、労働者の声を聞け

とにかく医者はみんなが固く団結して政府の政策をひとまず止めることには成功した。 もちろん医師協内の内紛はこれからだ。 だが問題は、今回のように医者の反発でいつも政府が転べば、 韓国の健康権が医者の利害の言いなりになるほかはないという事実だ。 しかも、病院間格差が拡大し、 右翼がさらに大手を振ってまかり通るのだから問題はさらに深刻だ。 では果たして代案は何だろうか?

健康権実現のための保健医療団体連合のチョン・ヒョンジュン政策委員長は 「今回の集団行動の最大の問題は、政治的に非常に反動的だった点」とし 「結果的に韓国社会の強力な不平等を見せた。 政府も白旗投降した。 これまでは完全に市場に任せてきたが、 公共インフラを拡大して公共的な医療供給を始め、 民間主導の医療市場を解体しなければならない」と指摘した。 彼はまた「急進的にできないのなら、若干の努力でも見せるべきだ」とし 「さらに先送りすれば医師の嫌がらせで何もできなくなり、 これはもっと深刻になりかねない」と憂慮した。

タルンモムドゥルのチョハン・ジニ活動家は 「医師ストライキで医者の素顔を見た状況だ。 それと比べて、患者や市民、労働者の声はどれほど組織されていないのかも体験することができた」とし 「医学的な面では医者に依存するほかはないが、 医療政策まで独占する悲しい現実の中で、 患者と市民、医療労働者の声を傾聴する構造がさらに至急のようだ」と指摘した。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-10-12 02:41:21 / Last modified on 2020-10-12 03:22:37 Copyright: Default

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