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フェミニズム経済と人間生産

[フェミコノミー]資本主義経済を変えるために『生産』を考え直そう

コジョン・ガビ(地球地域行動ネットワーク執行委員長) 2020.02.13 14:13

2020年、今やフェミニズムは通りの言語にまで進展した。 2015年以後、韓国社会は「フェミニズム・リブート」現象を通じ、 フェミニズムの大衆化が進んでいる。 フェミニズムはすべての領域でその価値と世界観を表わして、 さらに多様な領域へと闘争が広がっている。 だが経済領域は最近、フェミニズムが関心を持ち始めた。 フェミニズムは経済と経済学を全体的に変えるべき時点にきた。

現在、私たちが暮らす世の中は、資本主義/新自由主義が市場と自由という名で 人間界と動物を含む自然界全体を抑圧と搾取と収奪で汚している。 新しく浮上するフェミニズムは、こうした世の中を批判的に見て 代案を提示しなければならない位置にある。 批判と代案を提示すべきフェミニズムは「経済」の領域でも例外ではない。 これまでの経済を転換し、代案経済を提案する思想を「フェミニズム経済」と呼んでみよう。

「経済」の定義は財貨と用役の生産・消費・分配を意味する。 「フェミニズム経済学」はこの定義からして誤っていることを指摘しなければならない。 経済は「財貨と用役」の生産・消費・分配を越えなければならない。 経済を意味する西洋の「オイコノミア」や東洋の「経世済民」の思想も、 財貨と用役だけに留まる言葉ではない。 経済は生活の全般的領域、暮らしの領域を含む。 今までの正義を疑うことで、私たちの生活の転換も可能だ。 こうした観点から「フェミニズム経済」を語ることは、 今までの「経済」の領域とその向こう側を話すことだ。

フェミニズム経済学の課題として、また「生産」を呼び出してみよう。 特に女性の生産を呼び出して、そのうちでも「人間の生産」を呼び出そう。 近代資本主義経済は労働者階級に依存しているが、 さらに根本的には女性に依存している。 マルクス主義経済学は資本と労働の関係で資本主義を定義して、 資本-労働の関係を生産関係と呼び、 この関係が「搾取的」であることを明らかにしようとする。 だが生産関係をこう定義する限り、資本主義経済の転換は困難だ。 なぜなら資本主義を支える基礎は女性だからだ。 生産関係を資本と女性の関係から見ることで、 資本主義生産システムを正しく見ることができる。 (資本と動物の生産関係は後でまた話すことにする。)

女性たちの時間は資本と多様に絡んでいる。 そのうち人間を「生産」する「出産」も資本と緊密にからんでいるが、 資本主義に服務する経済学はこの緊密性を隠したり無視してしまう。 両親は子供を生み、子供は激しい新自由主義的な教育市場を通り、 自分たちを資本に服属させる。 これをわれわれは就職と呼ぶ。 「正常」な社会人になったことを祝い、人間として成長したと受け入れる。 妊娠と出産、そして養育が資本主義経済と結ぶ関係を調べることは、 資本主義の基礎を見ることの一つだ。

英国の作家オルダス・ハクスリーは1932年に人間を大量生産し、 一個の卵子が一回で96に分裂し、96人を生産する「ボカノウスキー公法」の 《素敵な新世界》を描いた。 この世界の起源はイエスではなくフォードだ。 フォーディズムによる商品の大量生産が資本主義のひとつの様相だとすれば、 ハクスレーは大量生産を人間生産に適用する。 ハクスレーは人間が大量生産されるベルトコンベアを想像し、 10人の総統で構成された世界国家を私たちの前に繰り広げる。 かなり前に読んだ時の衝撃はやわらいだが、 相変らず多くのことを考えさせる小説だという点には変わることがない。

この作品は主に徹底した階級社会の未来世界の暗鬱さを描いたと評価される。 ベルトコンベアで階級(アルファからイプシロンまで)が作られる過程は、 この世界の「安全・共有・均等」を象徴しているためだ。 だがこの小説で筆者が凝視する部分は、妊娠と出産に関することだ。 ハクスレーが対照比較する二人の世界である 「野蛮人保護区」と「新世界」は、 家父長体制的人間生産について考える端緒を提供する。 「野蛮人保護区」は女性が妊娠と出産をして、 異性愛的セックスと生物学的な父母が存在し、家族が存在する社会だ。 これとは違い「新世界」は女性が出産をしない。 そして女と男の間のセックスは存在するが、恋愛、結婚、家族が存在しない。

女性が出産する社会と女性が出産しない社会に対する考えは、 フェミニズム経済の関心事になる。 今まで資本主義経済は、女性の出産、「人間の生産」を自然なものと見なして、 愛の領域に置いた。 自然と愛の領域に置くということは、 それに対する物質的な補償や社会的な支払いをしなくても良いということを意味する。 そればかりか、これによる女性嫌悪と差別を話さないことを意味する。 このような点で、資本主義経済は家父長的経済になる。

最近になって人工女性生殖器が開発され、「出産主導成長論」が提起された。 2017年、米国で人工子宮を開発したというニュースがあった。 弁当箱の大きさのこの人工子宮は、血液供給まで連結した女性生殖器だ。 もうすぐ男性生殖器も作るという。 また2018年に自由韓国党の金聖泰(キム・ソンテ)議員は 「出産主導成長論」を提起して 「出産奨励金2000万ウォンを支払おう」と提案をしたことがある。 この二つの状況はどちらも女性の出産が社会的かつ経済的な行為であることを反証する。 民主党の南仁順(ナム・インスン)議員が 「女性を出産と成長の道具と認識するな」と対応したが、 逆説的に女性は出産の道具であり、 国家の生産力と国家の経済力の道具として活用されてきたことを意味する。 堕胎を国家次元で禁じてきたのも、出産がそれだけ国家経済の領域だからだ。

こうした状況でフェミニズム経済学は、 今までの「経済」が「商品経済」を意味し、生産が「商品の生産」を意味して、 労働が「商品生産労働」を意味するということを指摘する必要がある。 そして女性の仕事を「生産」と「労働」の領域と見なし、 経済と経済学の範疇をまた構成する必要がある。 そして誰が経済の範疇と内容を「商品経済」、「商品市場経済」に限定したのかを問う必要がある。 なぜ女性の一人出産を経済の領域から除外して排除したのかを質問する必要がある。 そしてこの排除が「人間的なこと」と「財貨用役的なもの」を区分するためだという弁解に疑問を提起する必要がある。 こうすることによって、誰に利益が行ったのかを調べる必要がある。

女性の妊娠と出産が「生産」と「労働」だと言うと、 人間を「商品化」していると批判される可能性がある。 だが私たちが考えている「生産」と「労働」が、 資本主義的であり家父長的だという事実を振り返らなければならない。 出産を人間生産と見て、人間生産労働と見ることは、 「生産中心主義」に染まっているのではなく、 資本主義的な「商品生産中心主義」を変える事だ。 「生産」と「労働」を資本主義家父長体制から救出することだ。 換言すれば、「経済を定義し直すことだ。 女性に対する暴力、殺害、抑圧、搾取、差別の構造を変える 「フェミニズム経済」の端緒になるのだ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-02-17 16:38:11 / Last modified on 2020-02-22 04:18:17 Copyright: Default

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