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定年延長議論が呼んだ世代対立、社会主義で解決してください

[ワーカーズ]社会主義探求領域

カンフ(社会運動に関心が多い) 2019.07.15 10:22

#1.「青年か、老人か」

「こんなことでは 国が消える」

この頃はどこへ行っても高齢社会、超高齢社の会話を聞きます。 統計を見ると現在60代以上の人口は1100万人を越えたのに、 40代は800万人、30代は700万人、20代は600万人と、 世代が降りて行くほど百万人ずつ人口が減っています。 若い世代は減り、引退世代は増えていくので、 このままでは経済活力も縮み、若い世代が扶養する老齢人口の割合も高まるそうです。

そのためか、文在寅(ムン・ジェイン)政府が定年延長の議論を始めようとしているようです。 ホン・ナムギ経済副総理が最近相次いで 「定年延長に対する社会的な議論に着手しなければならない」と燃料を入れて火をつけました。 現在、公式の定年は60歳ですが(これも現実ではどれほど守られているかはよくわかりませんが)、 たとえば国民年金の受給時期を65歳に遅らせて定年一杯まで働き退職しても、 5年間の収入に空白ができます。 その上、韓国の老齢貧困率はOECD 1位を占めています。 それで定年をさらに延ばし、老齢貧困の深刻性を多少は挽回できそうです。

しかしホン・ナムギ副総理が定年延長カードを切るとすぐ、 世代間対立の問題がふくらみました。 既存の労働者の定年を延長すれば、結局労働市場に新規に進入する青年の雇用がそれだけ減るというのです。 明らかに青年たちの雇用が不足していることは事実です。 たとえば現在、政府が発表した平均失業率は4%程度ですが、 青年失業率は公式の統計でも9.9%で平均失業率の2倍を上回っています。 青年の体感失業率は20%を越えたという統計もあります。

しかし必ずこうでなければならないのでしょうか? 貧しい老人にも、雇用がない青年にも現実は苛酷です。 二つのうち一つを犠牲にしなければ、残った一つが生きるという調子では、 問題を解決できません。 正確に言えば、本当の問題は回避したままで「奪われた者たち」に責任を押し付け、 誤った対立構図を作るのでしょう。 今後も老齢人口は増え続けるでしょう。 国民年金の恩恵を受けても所得代替率が40%程度に留まる状況では、 この年金さえきちんと受け取れない死角地帯に置かれた人々(不安定労働層)も多いです。 定年を5年延長すれば老齢貧困が解決するわけでもなく、 今の体制を維持すれば、減った青年雇用が生まれるわけでもありません。 定年延長の議論の根元にあるこの2種類の根本的な問題を解決しない限り、 「定年を延長するかどうか」という消耗的な論争になるほかはないでしょう。

#2.青年Aの未来

事実、老齢貧困の原因は老年の時期に限りません。 もちろん引退以後に安定した労働所得が消えるのはそうですが、 年金所得であれ貯蓄であれ、労働所得を代替するような財源があるのなら問題になりません。 しかし今の体制では平凡な人々が各自が老後の対応をするのも難しく、 社会的な老後保障も微かです。 それで、「年を取っても以前のように働かなければ飢えるほかはない」 構造が作られます。

例をあげてみます。 ここにひとり、青年Aがいます。 借家を転々としながら熱心に大学生活をして、 艱難辛苦の末に就職に成功しました。 もちろん契約職でしょう。 学費ローンも返さなければならず、毎月の家賃も払うので、 ベルトをきつくしめて、あくせく生活費を減らします。 いつ会社から出て行けと言われるかわからず、 ワンルームの借家住いからも脱出したいので、 いくらでも少しずつお金を貯めます。 恋愛でもすることになれば恋人と映画も見て、お茶も飲んで、 ときどきは遊びに行くことになるので、 あるいはや予想外の支出をすることになるかと恐ろしく、熱心に目をとじて暮らします。

ところで人間の感情というものは、時として非常に動物的なので、 突然目があった人と出会ってしまいます。 そうして想像もしなかった恋愛をして、結婚というものをすることになり、 何日間は祝ってもらえるでしょうが、その祝い以上の重い現実がこのカップルを押さえ付けるようになります。 家はどうするのか、今後の生活はどうするのか、 初めは意気投合しても、子供ができた瞬間、目の前が真っ暗になります。 子供を生んで育てる約20年の時間、青年Aの人生は消えました。 幼児用品と保育費の支出から、子供が大きくなれば各種の塾費で家も引っ越さなければならず、 大学登録金まで払うことになります。 身を粉にして働いたAは子供を大学に送った後、 とても疲れたのか倒れてしまいます。 苦難の時間は終わったと思ったら、地獄の時間が開かれます。 もう老年に近いAに残されたものは、この30年間燃やして壊れた肉体です。

こうした体制では老齢の貧困は必然です。 住居、保育、教育、医療、すべて相当な個人支出が避けられません。 金を貯められないようにして、引退後には立派な社会保障もありません。 「あらかじめ老後に備えなさい」だとか 「財テクをするべきだ」と言うこともできるでしょうが、 金融商品に未来を任せる危険は別としても、 それも金がなければなりません。 引退の時点よりさらに5年働けるようにしてあげるといっても、 少しの猶予期間はできても老齢貧困を解決することはできません。

その上、青年雇用不足と老齢貧困はコインの両面です。 良質の仕事を見つけることもできない青年は、 非正規職やアルバイト、短期雇用を転々とすることになり、 前述の仮想の例で拠論したAは、恋愛と結婚はしたものの、 現実ではそうして歳を取った後、 ただひとりで貧困のどん底で苦しむだけでしょう。 悪循環が相次いで起こるのです。

#3.老人のための社会主義、青年のための社会主義

社会主義は、老齢貧困の根本原因を除去します。 ひとりが老年になるまで、今の体制で個人責任で処理する多くのことを 社会的な責任の下に公共財として提供するからです。 たとえば、最大の負担で支出の住居問題を見ると、 住宅は社会主義ではもう投機や売買の対象ではありません。 誰もに安定的で人間的な住居を提供することが核心です。 今でも住宅とアパートはあふれていますが、 多くの人がマイホームを持てないまま、伝貰・月貰を転々として 所得の相当部分を支出しています。 建設資本と賃貸社業者だけが利益をあげ、多くの無住宅者が住宅難に苦しむ、 この不平等と非効率をなぜそのままにしておくのでしょうか?

保育と教育も同じです。 国家が責任を持って公共サービスとして供給し、 学閥序列体制で高価格な私教育を助長するのではなく、 公共教育に対する大幅な投資で誰もが接近できる普遍的権利を保障すれば、 今のようにそれぞれの個人が莫大な金を注ぎ込む社会的浪費を防ぎ、 その資源を各自の人生をはるかに豊かにするために使えます (「ワーカーズ」47〜49号『社会主義探求領域』で 住居、保育、教育問題を扱ったので参考にしてください)。

もちろん老年になって、引退した後も年金のように一定の所得保障は必要です。 子供たち顔色をうかがって居そうろうするのでなく、 独立的な生活ができるように、公的な療養サービスと住居権を基本的に保障しても、 文化生活や旅行のように追加の費用がかかります。 年金の支払い方式は、今のように自分が働いている時に積み立てて、 引退後に返してもらう方式になるかもしれず、 別に積み立てずに毎年必要な年金額相当を税金方式で集めて支払うこともできます。 重要なことは、その年金を負担する人々(主に現在労働している人でしょう)と 受領する人々が、共にその水準を決めるが、 労働所得がなくても人間らしい暮らしを享受できるようにするという原則です。 現在の労働世代も引退後に自分が享受することになる恩恵なので、 むやみに保障水準を下げることはできません。

このように諸般の社会サービスを公的に保障すれば、 各自の費用支出を大きく減らせます。 自分の所得から支払う領域が減るので、それだけ自分自身のために、 さらに未来の自分のために使える資源が多くなるのです。 そして問題は、まさにこの所得の主要な源泉といえる雇用です。 引退世代を扶養するには、それだけ現在、富を生産する世代がいなければならず、 青年世代も自分の現在と未来のための雇用が必要です。

社会主義になるからといっても良質の雇用が増えるでしょうか? 増えます。 何よりも労働時間を大幅に短縮するからです。 とても算術的で単純に思われるかもしれませんが、それだけ確実です。 これを遮る障壁はまさに利益を奪う資本主義体制です。 2人を雇用するより1人を長くこき使う方が安いからです。 反対に、資本家がただ蓄積のために蓄積した利益、 そして配当をはじめ、現金で持って行った莫大な富は、 社会主義ではいくらでも労働時間短縮と雇用創出に使用できます。

もちろん長い熟練が必要な職業もあるでしょう。 そんな場合には一定の報酬を払い、養成期間を経て、実際の現業に投入する時間は 短縮した労働時間に合わせれば良いのです。 例えば看護師のような職業は、人間の生命を扱うので専門性が必要ですが、 一方では人が死ぬほど深刻な過労に苦しみ、慢性的な人員不足現象が起きています。 政府は看護師の定員を拡大するといいますが、 現場での深刻な過労問題を解決しなければ、 ただ看護師を付属品のように取り替えるだけでしかありません。 それなら看護師の定員拡大で養成人員を増やすと同時に労働時間を大幅に短縮し、 労働強度を下げてそれだけ人員を補充すれば良いのです。 雇用も増やし、看護師の悲劇も防げるのです。

こうして得た雇用が望む職場ではないかもしれません。 しかし画期的な労働時間短縮で、たとえば一日4時間だけ働くと考えてみましょう。 今のアルバイトのように、やっと生計を維持する水準の低賃金ではなく、 十分な報酬を受ける雇用でしょう。 それならひとまず現在の職場に通って余裕がある物質的、時間的条件の下で 自己啓発をして、いくらでも自分が望む他の職場に挑戦できるようになります。 社会主義こそ、青年に機会と安定の両方を提供する体制なのです。

#4.ところで社会主義で定年は何歳なの?

老齢貧困を根本的に除去して青年の雇用が充分にあれば、 定年自体には特に意味はありません。 年を取って、もう働かなくても暮らしに余裕があり、 さらに働いても雇用は不足しませんから。 定年は二重の意味を持ちます。 一つは「この時までは雇用を保障しろ」ということで、 もう一つは「この年から後はちょっと休め」ということでしょう。 しかし定年に対する当事者の態度も相反します。 「働き盛りなのに、もう働けないとは!」と惜しんだり、 反対に「これまで働いてきたのに、この年になっても働き続けなければならないのか?」 と考えるかもしれません。 しかし社会主義では労働の様相自体が変わります。

まず最初に、社会主義での雇用は年齢、性別、人種などなどの区分とは無関係に保障します。 もちろん基準はあるでしょう。 働く労働者が直接「この仕事をするには、こんな能力が必要だ」と決定できます (もちろんその能力を備えるための養成プログラムも共に用意しなければね)。 人によって年齢による偏差は多様です。 ある人は若くてもできないことがあり、 反対にある人はいくら年を取ってもできることがるかもしれません。 一律に特定の年齢を指定して、それまで雇用を保障するのではなく、 本人がもう休みたいとか、違うことをするために辞めるまでは (労働者たち自ら決めた要件に合致さえすれば) 何歳でもずっと働けるのです。

二番目に、資本主義で労働はたいてい 「生存のために嫌でもやむを得ずすること」になります。 望まなくても暮らすためには、低賃金でも、長時間でも、 どんな仕事でもとにかく職場が必要です。 自分の労働を自分で統制できることでもなく、(言われるまま働いて)、 成果を全て自分が持っていくことでもありません(くれるだけもらいます)。 人々が仕事から解放されたいこと、 「この年まで働いたのだからもう休みたい」と考える理由の一つは、 今までの仕事が自分の希望や欲求とは特別関係がないことだったためかもしれません。

社会主義でも、もちろんさらに余裕がある生活のために、 自分が望まない雇用を得ることになるかもしれません。 しかし労働時間短縮のおかげでこの労働は制限的で、 あとの時間は全て自分の希望により使えるようになります。 この時間に自分が望む他の職場で働くこともできます。 労働が労働者の発展のための過程に変わって行くのです。 自分が望む仕事をするのなら、 必ずある時点に「私はこの時まで働く」とする必要はありません。 もうこの仕事が自分の欲求を充足させられないと思う時、 自分でやめるようになるのです。

結局、社会主義では定年はありません。 各自の希望によって働くだけです。 「青年か、老人か」という選択肢ではないのです。 「互いに不幸な資本主義か、共に幸せな社会主義か」の問題でしかありません。[ワーカーズ56号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-07-20 22:41:21 / Last modified on 2019-07-23 04:07:23 Copyright: Default

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