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あの多かったメガルはどこに行ったのか

[ワーカーズ]ワーカーズX韓サ性

リア(韓国サイバー性暴力対応センター活動家) 2019.03.13 12:32

もうすぐメガリア サイトの三年喪が終わる。 サイト閉鎖後も絶えずメガリアを探す人々のためにできた笑い話でもある。 だがオンライン フェミニズムがそのサイトの喪失を消化するために、 本当に長い時間を必要としたという思いを込めて、三年喪という単語を書く。

女性嫌悪と暴力を媒介することを超え、 自らの生産までしたオンライン空間で、 「メガリアン」たちの「MERSギャラリー」占領とメガリア サイトの誕生は、 窒息直前に息を吹き込んだ救いのようだった。 メガリアンたちはこれまで日常的に受けてきた罵倒と検閲、性器に還元されることを ミラーリングで跳ね返して見せ、 原本がどれほど驚くべきことだったのかを男性の反応を通じて、また確認した。

メガリアとメガル(リアン)は、とても複雑な機宜を持つ。 メガルとは何かに合意されたことはまだない。 「メガル」とはこうだ、と生半可に規定して話す行為は必ず、それにあたらないメガルの怒りをかう。 初めからサイトに所属感を感じないと約束したまま、 徹底した匿名の個人として集まった者たちをメガルとまとめて呼んだことからして嫌悪の一環だった。 それを「そうだ、私たちがメガルだ!」と受け返す声も、 また少し時間が過ぎた後に出てきたことと記憶する。

したがって私は誤解していることをあらかじめ明らかにする。 メガルと呼ばれる個人の一人の位置で、一度に「メガル」を誤解しており、その誤解を基盤としてこの文を書いている。 メガルに対する私の誤解のうち、それぞれが理解できる部分を捜してもらえればうれしい。

「メガルになること」は、「私」中心の世界を作ることだった。 「私」の欲望と「メガルになること」が符合する時、メガリアは早く拡張された。 メガリアによって私が味わう不当さに対し痛快に真っ向から対立する時、 私を嫌わなくてもいいと思う時、 私を愛するようになる時、 「私」は喜んで「メガル」として新らしく生まれた。 過去に経験した差別と暴力は私の誤りではなく、世界の問題として再解釈され、 「私」たちは前よりもさらに自由になったことを感じた。

オンライン空間の女性嫌悪と女性暴力に反発して起きたメガリアは、 自然にサイバー性暴力を主要な関心事にした。 その中で「私」を強烈に代入できる不法撮影や流布問題に力が集まったのも、 こうした脈絡で考えることができる。

しかし、フェミニズムには「私」の欲望に符合しない部分も存在する。 「メガル」たちが自らフェミニズムを探して ――クィアー、動物、障害などの交差性を『持つこと』から、脱コルセット、 4B(非婚、非出産、非恋愛、非セックス)に向かって『捨てること』まで―― 「メガルになること」に移ってくることは「メガル」の拡張とはほど遠い効果を呼ぶ時が多かった。 世界の問題の中に私の責任もあったということを認めなければならない時、 正しいと信じることのために私の自由を制限する規則に従わなければならない時、 「メガル」は分裂と縮小を経て解体されていった。

当為のために自分の欲望を押さえ込める人間は多くない。 その押さえ込みを欲望するほどに、欲望の原形そのものが再構成されない以上、 継続的に苦痛を感じるためだ。 短い時間の中にエネルギーを結集して何かを成し遂げたいのなら、 「私」を中心にしない世界を説得することは良い戦略ではない。 いくら正しくても、到達してみても、 私に直接的な利益にならず、到達することも難しい基準がある時、 人々はより良くなろうとする試みをまったく放棄してしまう。

大多数の「メガル」は結局適当に就職をして、韓国男と出会って、恋愛をして、たびたび結婚まですることになる。 「私」たちは個人であったし、個人が既存の秩序に逆らう存在として頑張ることができる時間はそれほど長くないことを知っている。 一生懸命に「メガルになること」を遂行して最後まで個人に残った人々はとても疲れた。 年を取った「メガル」たちは「ぶつかる」人たちと妥協して関係を続ける方法を考えるようになった。 2015年までは想像もできなかった内容の悩みだ。

メガリアンとして生きた「私」の歴史はすぐに揮発した。 フェミニズムがリブートしたと驚く声の後、そうした上昇に寄与するために「私」たちが耐えた痛みがどんなものだったのかは、きちんと記録されなかった。 誰も「私」を知らず、知らないからこそ私が安全になる現実の中で、 履歴書に書くことができないことに1年〜2年を捧げるために めちゃくちゃになった単位を面接官にどう説明すれば良いのか。

それでも団体を作って集まったことは、ちょっと良かったのではないだろうか。 「メガル」は個人ではない団体を容認しない。 運動圏と呼ばれる団体は、女性たちからしっかり支持されない状態で、 男性の攻撃に耐えなければならなかった。 活動のつらさに比べて、適切な賃金を受けられず、 外的にも内的にも資源がない困難に出会い、さまざまな団体が活動力を失った。

最近、ヤングヤングフェミと呼ばれるメガル世代のフェミニストの活動を込めた 「自ら津波になった女たち」が出版されたものを読んだ。 初めてインタビューした時までは、活動を始めた理由と各団体の誕生の話を語りながら輝いた声が、 今はとても遠くからセピアトーンで聞こえるようだった。 記されている話の裏話を聞きたいが、今どこで何をしているのかさえ知らない人がとても多い。

不法撮影・不公正捜査糾弾のデモは、 これまでの「メガル」方式の活動の一章を閉じる事件だった。 不慣れな勇気は団体だったが団体ではなく、 活動家の名前の代わりにその場にいた個人の数字が残った。 この事実がそれぞれの人生とくっついた時の喜びと悲しみを考えてみる。

ある人はデモに使った時間を後悔するかもしれない。 それにしても変わらないと、われわれは敗北したと、 憂鬱に背を向ける人もいるだろう。 もう自分を焼いて怒って叫んでフェミニズムのために日常を投じる時間を過ごすのは ますます難しくなるだろう。 また「メガル」のようにするためには長い間を休んだり、 新しい世代を待たなければならないだろう。

めくらなければならない次のページが重い。 しかしいつもそのようにめくれないページではない。 私は失敗や絶望などを結論だとは考えていない。 あるいはこれを「メガル」の死などと間違って理解して喜ぶのなら、 ここらではっきりさせておきたい。 私は私が誤解したこの脈絡とオンラインの女性暴力、嫌悪の動向をつなげて、 次の運動を考えるためにこの文が必要だった。 韓国のサイバー性暴力対応運動はメガリアから生まれ、 「メガル」がどこに行ったのか、 しかもどこに行くのか、 散ったとしても何をやり遂げ、やり遂げられるのかを知ることで、 サイバー性暴力の根絶に近付ける。 それで初めての寄稿は 「あれほど多かったメガルはどこに行ったのか」、 周囲を振り返ることから始めなければならなかった。 今後の文は全く違う雰囲気になるだろう。[ワーカーズ52号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-03-14 20:38:12 / Last modified on 2019-03-19 02:20:45 Copyright: Default

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