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労組のチョッキを着て聖域に入る

「そのチョッキは危険です」

パク・タソル記者/ジョンウン写真記者 2016.06.09 18:56

ある先輩が労組のチョッキを着てみないかと提案した時、真っ先に視線が心配になった。 労組のチョッキの上にスローガンを書いたゼッケンもつければ、人々にどう見られるだろうか。 労組の組織率は10%ほどだが、いくらもない労組まで排他的な視線で見るのが韓国社会だ。 鉢巻き、労組チョッキ、ゼッケンまでつければ、政権と保守言論が一番嫌がる強硬な労組も思い出す。 不愉快な視線はある程度なんとかするのは可能だろう。 だが、自尊心のようなチョッキを脱がなければならない屈辱も体験しなければならない。 ただ労組のチョッキを着たという理由だけでまったく、立入ることさえできない所がある。 労組のチョッキを着て働いたという理由で懲戒され、解雇までされるケースもある。 だから労組のチョッキはさらに闘争する労働者の象徴になる。 労組のチョッキを「闘争の道具」、「自信」、「同僚の愛」、あるいは「決心」と表現する労働者たちもいる。 今回の「ウィークリー・マッドコリアは、誰かは嫌がり、誰かは誇りにする労組のチョッキを着て大韓民国の「聖域」に堂々と入ることだった。

政治をするなという国会

藍色の労組チョッキに字が彫まれたゼッケンをつけた。 メッシュ素材の袖なしゼッケンは、派手な蛍光黄緑色。 前は「労働三権保障」、後は「全教組死守」と記されていた。 チョッキにゼッケンをつけて、まず行ったのは国会だ。 多くの声が集まる所。 そしてその声を一つ一つ尊重すると、国会議員たちは口癖のように話す。 だが今回経験した国会は、むしろ政治を禁じる所だった。 国会を意味する英単語は"assembly"だ。 "assemble(集める)"から派生したこの単語のように、国会は民意を集めるために存在する。 立法機関である国会の役割は、市民の支持を得た法案を通過させ、反対者を説得することだ。 よく聞き、よく話すことが重要だ。

国会は、正門で労組のチョッキを止めた。 「政治的な文句が彫まれたプラカードとチョッキを禁じる」という理由だった。 なぜ国会で政治的な文句を禁じるのかについては返事はなかった。 1人デモも国会鉄門の外だけでできるという。 出入口を守る国会警備隊所属の義務警察は、規定がそうなっていると繰り返すだけだった。 結局、取り出さないと約束して中に入った。

国会議員会館の前でまた労組のチョッキを着た。 議員会館の食堂で食事もして、午後1時から始まる持続可能な発展を論じるという経済セミナーも聞こうとした。 出入関連の書類を書いて出入証を受け取った。 だが警備員(国会建物内部保安責任)が制止したため入れなかった。 警備員は国会庁舎管理規定に言及した。 国会庁舎管理規定第5条は「許可なく庁舎でデモ行進またはデモをしたり張り紙・旗・横断幕・プラカードその他の表示を付着または書く行為」を禁じるとなっている。 警備員はからだに付けたゼッケンもプラカードに属すると話した。 チョッキを脱ぐことを直接両目で確認しなければ出入はできない。 結局、女性警備員がついてきた。 警備員はトイレまで追いかけてきて、監視した。 チョッキ脱衣が終わると、さっぱりしたように帰った。

労組のチョッキは刃物、有害物質ほどに危険だ

次の場所は青瓦台周辺だった。 青瓦台に近い噴水台を散歩することにした。 清雲洞住民センターでおりて、入口に向かった。 するとサングラスをかけたソウル警察庁機動隊長に捕らえられた。 1人デモをしに行くのかと聞く。 1人デモの目的ではないと言ったが、ゼッケンをつけているので1人デモができる者とみなすべきだと主張した。 機動隊長は服に政治的な文句が書かれているので、1人デモでなければ脱げといった。 話はぐるぐると回った。 機動隊長は、自分が「上の方の安全を考えなければならない人なので、上の方に危害を加えかねないいかなる状況も防がなければならない」と話した。 過剰忠誠だと指摘したが、彼は曲げなかった。 彼にも根拠の法令があった。「大統領などの警護に関する法律」5条3項。 彼はその条項を呪文のように繰り返して暗唱し始めた。 まるでロボットのようだった。 該当条項を要約すれば「警護業務を遂行する人は警護の目的上、避けられないと認められる相当な理由がある場合に限り、警護区域で秩序維持、交通管理、検問検索、出入統制、危険物探知および安全措置ができる」ということ。 だがその「相当な理由」は十分に恣意的な解釈が可能だった。 機動隊長は想像の翼を広げた。 散歩中、突然青瓦台に向かって立てば、周囲の市民が扇動されるといった。 言い争いの後、チョッキを脱いでカバンに入れるといった。 だが彼はもうチョッキをカバンに入れることも認められないといった。 想像の翼が彼の理性をマヒさせたようだ。 彼はチョッキを「危険物」だといった。 刃物、有害物質のような危険物は、カバンに入れても入れないということだった。 「こんな布切れがどうして危険物だと…」。 気が進まない表情の記者を見ながら、彼はさらに勢いいっぱい脅迫した。 ここは特定警備区域だから、その中ではカバンも捜索できるといった。 特定警備区域の中では公然と不審検問するという言葉だった。 では、まわって行くという記者に、彼は「どこに回っても不審検問にかかって、出入できないだろう」と話した。 彼とお別れして、警察が警備に立っている路地に回って入った。 だが労組チョッキを着ていない記者を不審検問する警察はいなかった。

労組のチョッキを着た者は、一歩も入れない

最後の権力機関、裁判所はどうか。 大法院はすでに労組チョッキ政治を禁じた先例がある。 昨年6月25日、移住労組が労組認定に対する大法院の判決を待っていた。 移住労組の組合員たちは、移住労組合法化の判決を要求する記者会見を終え、裁判所に入ろうとした。 だがすぐに裁判所の保安要員に止められた。 一緒にいた弁護士が根拠条項を尋ねると「裁判所組織法」55条2項をあげた。 裁判所の保安要員は、どのような場合に実力を行使できるのかについての内容だった。 労組のチョッキを着ることは法廷の尊厳と秩序を害する行為をしたり、しようとする場合なので、制止が可能だという主張だった。 労組の関係者、市民団体の活動家、弁護士が集まって、しばらくもめた。 いったい労組のチョッキがどんな裁判所の秩序を害するのかと尋ねたが、納得できる返事はなかった。 判決の時間が近づき、結局組合員たちはチョッキを脱いで入った。 合法判決により、また笑うことになったが、その苦々しい表情は忘れられない。

チョッキを脱ぐことは負けて戻るのと同じだ。 大法院が労組チョッキを脱げと指示したのはその時だけでなかった。 2014年、双竜車労働者たちにも、2013年、甲乙オートテック労働者たちにも、 労組のチョッキを脱げと命令した。

大法院は1990年代から法定秩序を強調してきた。 法定騒乱行為を「法治主義に対する正面挑戦」、 「国家の法秩序を根本から押し倒す破壊行為」等と規定して、 全国の裁判所に秩序維持の指示文を送った。 労組の気勢をそぎ、法定の秩序を確立しようとする試みは、 むしろ反発を大きくするだけだ。 大法院の権威は労働者たちの間ですでに地に落ちた。

高等法院も大法院ほどに労組チョッキに対する規制が激しいのかを確認してみた。 5月30日、ソウル高等法院。 公職選挙法違反の容疑などで起訴された元世勲(ウォン・セフン)前国家情報院長に対する破棄差戻審続行公判を傍聴することにした。 覚悟して入ったが、警備の誰も記者を止めなかった。 検問所には何と3人の警備がいたが、重要な話に熱中していて労組のチョッキを止める余裕はないように見えた。 余裕で通過した高等法院。 いったい裁判所という所は、鼻にかければ鼻輪、耳にかければ耳輪のような原則を適用するとは話にならない。

睨むのか、調べるのか

取材中、大衆交通を利用する時も労組のチョッキとゼッケンを着ていた。 一般市民がどんな目で見るのかを知りたかった。 労組に対する否定的な反応は周辺の雰囲気を見るだけでもわかる。 紆余曲折の末、いよいよ教師になった友人におめでとうといった時、友人はお父さんのために絶対に全教組には入ることができないと言った。 私が労働関連の記事を書くことを知っていて、まず話したのだった。 労組に対する嫌悪は、言論に起因するところが大きい。 保守に分類される主流言論は、労組に対して否定的なフレームを重ねてきた。 利己的で無理な要求をする強硬な労組、労組の一部だけに恩恵が傾く貴族労組、自分の食い扶持を確保するのに汲々とする茶碗労組。

地下鉄に乗って歩き回ってみると、市民は一度見て通り過ぎるのに忙しかった。 私は彼らがもっと長く、チョッキに書かれた文句を読んでくれるように願った。 だが韓国社会で人を長く見つめることは礼儀ではない。 あるいは私の後で背中を見ていたかもしれない。 ひょっとして同行人の影響があるかもしれないと思い、一人になってみた。 一人だったからか、神経が過敏になった。 オボイ連合や、在郷軍人会の会員に後ろから殴られればどうなるか、少し心配もした。 憂慮したようなことはなかったが、老人たちがしかめっ面をして見ることがたびたびあった。 ゼッケンの字がよく見えないからかもしれない。 だが目的により、目つきも違うようになる。 なぜ顔をしかめるのかと尋ねると、ただそうしたと言われた。

2011年に韓国民族衣装を拒否した新羅ホテル、2016年は?

2011年、新羅ホテルが韓国民族衣装着たデザイナーの出入りを止めて問題になった。 当時、職員が韓国民族衣装デザイナーの出入りを止めた理由は、今聞いても笑ってしまう。 「危険な服」だというのだ。 豊かな韓国民族衣装の、はかまの中に武器でも隠していると想像したのか。 労組のチョッキを危険な服扱いする人々と似た観点だった。 5年経った今、新羅ホテルはどんな反応を見せるだろうか? 新羅ホテルの出入に挑戦するのは、国会と青瓦台よりさらにしっかり決心しなければならなかった。 高級ホテルで労組のチョッキのために追い出されれば、精神的衝撃が強そうだ。 石の階段を上がり、急な丘をすぎた後にホテルの入口が見えた。 涼しい晩だったが、汗がだらだら流れた。 回転ドアを回し、新羅ホテルに第一歩を踏んだ。 ロビーを守る警備員たちが労組のチョッキを着て汗まみれの私を目でスキャンした。 私は新羅ホテルに行けば、あの有名なマンゴー氷水は食べられないまでも、 一杯に1万8000ウォンのコーヒー程度は飲もうと決心した状態なので、 同行した先輩とカフェを探した。 ある警備員がカフェに行く私たちの後を用心深く付いてきたが、それだけだった。 制裁のようなものはなかった。 同行人が引き止めたため、コーヒーは飲まなかった。 ワインを見物して2千万ウォン以上の価格を見て、何でも刺激してはならないという気がした。 結局、ロビーのソファにからだをゆだねて時間をつぶした。 その日、私たちは簡単にチキンとビールを飲みながら、 新羅ホテルはまともみたいだと笑ってしまった。

もうひとつの富の象徴、江南の新世界デパートに行った。 私たちの近くにあるデパートは1階だけにブランド売り場があるが、このデパートは階ごとにブランド売り場があった。 派手な品物が陳列されていたが、一気に視線を引き付けるのは、私の蛍光色の袖なしだ。 職員も顧客も見つめたが、その視線は不愉快ではなかった。 そのうちに、長く見つめて文句を読もうとする人もいた。 ゼッケンの目的が宣伝ならば、成功したわけだ。

労組のチョッキとゼッケンは、思ったより気楽だった。 幅も広くてゆったりとしていて、活動服としてこれほどの服はないと思った。 皆そうして作業服を着る。 自分の活動目的、所属を表わすために着る服もある。 労組のチョッキとゼッケンも、労働者の要求と活動を人々に知らせるのが目的だ。 労組に対する色眼鏡を取り、その文句を見れば、極めて常識的な要求だ。 労働三権は保障されるべきで、不当労働行為はやめなければならない。 今回ね出入が制限されたところは、すべて重要な権力機関だった。 労働者にとって「聖域」はまだ多い。(ワーカーズ13号)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-06-14 16:47:25 / Last modified on 2016-06-14 16:47:26 Copyright: Default

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