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韓進重工業85号クレーン中間層死守隊インタビュー

[インタビュー] 「暫定合意案を受け入れるしかない状況だと判断しました」

ヨン・ソンノク(現場記者) 2011.11.15 10:04

11月10日、85号クレーン中間層で137日間座り込みした死守隊は、クレーンから 降り、警察によって東亜大医療院に行ったが入院を拒否され、待機していた。 病院側は夜9時過ぎに、病院から出て行くよう要求し、控室の外には20人ほどの 私服警官が待機していた。警察はどうせ調査するのだから今行こうと言って、 警察署に行くよう要求した。死守隊は半分は自分の意志、半分は強制的に安静 にする前に警察の調査を受けた。14日に拘束令状が棄却され、死守隊とキム・ ジンスク指導委員はOK病院で精密検査と診療を受けている。

▲10日夜東亜大医療院の関係者が担当医師の所見は入院を要しないとし、死守隊3人に病院から出て行くよう要求した。[出処:ヨン・ソンノク蔚山労働ニュース現場記者]

死守隊は、11月11日の午前1時までの待機時間に、クレーンでの大変だった点と 暫定合意案についてインタビューをした。インタビュー中に病院側が出て行く よう要求したために、十分な話は聞けなかった。

パク・ソンホ(整闘委共同代表)

クレーンで一番つらかったことは?

序盤の6月27日、用役に押し上げられ、用役らと対峙していた時、緊張感を緩め られずに心理的な苦痛が一番大きかった。100日を超えると自分を精神的にコン トロールできない時もあった。死守隊3人だけなのに一回ずつ大声で叫びながら、 意見が対立する時もあったし、特に体調が悪い時はそうだった。キム・ジュイク 支会長のことをよく考えた。

クレーンでキム・ジンスク指導委員との対話はうまくいったか?

交渉して案が出てきた時、キム・ジンスク指導委員が苦しむ姿を見て、解決策 を提示できないのが苦しかった。国会の勧告案が出てきた時は一番大変だった。 下でも案が出ずに時間も長引き、キム・ジンスク指導委員も時々弱気になって 落ち込んでいる時は、欠点がある案でも受け入れて降りなければならないと思 う時もあったが、その峠を越えて、うまく耐えたと考えたりした。

暫定合意をどう思うか?

暫定合意は気に入らない。具体的に言うと、勤続期間を含む再復帰と成果金、 学資金、退職金が争点だったが、特に退職金は普通支払われる楽の半分程度し か支払われなかった。会社による整理解雇者の退職金算定では、勤労基準法に も違反していて、常識的に計算しなおさなければならないが、その問題を解決 できなかったのは非常に遺憾だ。学資金か退職金の2つのうち、どれか一つでも 解決すれば、それでも慰めになるが、高齢の解雇者は子どもが大きいので学資 金も受け取れず、退職金でも損をして、被害はとても大きい。

だが暫定合意案に死守隊は同意した

暫定合意案が不適当でも、組織的にやらなければと考えた。まだ賃金・団体協 約に手も着けられない現場組合員もいて、この戦いが終わらなければ民主労組 を守れないと考えた。そして闘争の主体の内部力量も診断しなければならない。 経験があって幹部をしたこともある人は、もっと戦おうといえるが、経験ない 若い解雇者は苦しむと感じた。下手すると整闘委が手がつけられないほど散っ て、解雇者が疲れて離れればクレーンも力を持てない。タイミングが重要だが、 これ以上長引けば、今まで話したことが憂慮され、それで整理しようと考えた。

一番最初に暫定合意案に接した時、どんな感じだったか?

不十分な感じはしたがひっくり返してまた交渉するのは負担だった。私たちが 最後まで守る案と譲歩できる線をはっきりさせ、共有するべきだったが、それ が不足していた。激しい討論でその案を作ろうと要求したが、クレーンの内部 で拒否されたりもして、クレーンの下でもそれをきちんと作れなかったようだ。

復職するまでの1年間にしたいことは?

整闘委の事業を決めて、1年後に無理なく再復帰できるようにして、今まで韓進 の支援に来てくれた人のことを思い出して、苦しい事業場への支援にも行かな ければと思う。整闘委は自然に闘争の中でできた組織なので、その中で力量を 強化することもできれば良いし、一緒に計画を立てて事業の方向を決めたい。 家族にとても悪いことをしたので、子供たちもよく面倒を見たい(笑)。

パク・ヨンジェ組合員

健康状態はどうか?

部分的に異常があるようだが、そのうち分かる。今日は簡単な検査だけ受けた。 入院して、からだを動かさなければならないようだ。

クレーンで一番つらかったのは?

蚊との戦いが一番大変だった(笑)。クレーンに風雨が打ちつける時、一日中、 ビニールとテントが揺れるのでとても騒々しくて心理的に緊張したりした。

内部的に難しかったのは?

キム・ジンスク指導委員が心理的に極端なことをしないようにという意味で、 中間クレーンに残った。一人でいればどうしてもとても苦しかったと思う。 だが、キム・ジンスク指導委員とのコミュニケーションは思ったより容易では なかった。電話をしたりもしたが、うまくいかないと紙に文を書いて上げた。 意見が一致しなったりしても、顔を合わせて討論できないからそれが難しかった。

暫定合意をどう思うか?

解雇者のほとんどが失業給付も終わり、経済的に非常に苦しい状態だ。会社は 経済的に苦しいという弱点を利用して、強引にはやく解決しようとしたようで、 長期勤続者には不満が多い。部分的に不満はあるが、全体的には合意案を受け 入れるしかない状況だったと思う。

金属労組釜山梁山支部チョン・ホンヒョン組織部長

韓進組合員でもないのに、どうしてクレーンに残ろうと思ったのか?

手配中でもあって、自発的に残った。行政代執行があると思い、一人で考えた。 キム・ジンスク指導委員をどう守るか。どうしてもクレーンに一人にして置く のは心配で、25日からテントなどを準備した。そして韓進重工業は釜山の金属 事業場の中でも重要なので、中心の事業場が崩れれば労働界全般に悪い影響が 及ぶと考えた。

キム・ジンスク指導委員と特別な縁はあるのか?

縁を離れて、キム・ジンスク指導委員を守ることは運動の良心だ。行政代執行 の後、一週間で公権力が投入されると予想した。そうした中で選択できる自然 なことだった。

クレーンで苦しかったのは?

初期に用役がマットを敷いて侵奪しそうになった時、危機状況が多くて大変だった。

クレーンに上がる前にはどんな役割をしていたか?

6月27日の行政代執行の前には、民主労総の釜山本部と金属労組釜梁支部、韓進 重工業支会が共同闘争本部を作って戦っていて、それを一緒にしていた。6.27 の後には支会がおかしな決定をしたせいで、共闘本は自然消滅した。

暫定合意をどう思うか?

正直言って反対だ。決定的な理由は勤続年数だ。勤続年数で解雇期間は除くと いったが、それを含めて整理することもできた。勤続年数が1年8か月も短くなっ てしまった。それがマジノ線ではないかと思う。何度か討論しようと言ったが、 クレーンの下でもうまく討論ができなかったと理解している。(記事提携=蔚山 労働ニュース)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-11-15 18:18:33 / Last modified on 2011-11-15 18:18:53 Copyright: Default

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