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韓国:21世紀の緋文字、第4身分の非正規職[2] | ||||||
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21世紀の緋文字、第4身分の非正規職[2]兄も弟も下請で始める人生、非正規職世代を起こす
キム・ヨンウク記者(合同取材チーム) 2010.12.06 15:21
非正規職、第4身分生き生きしている。蔚山現代車社内下請非正規職工場占拠は12月6日で22日にな るが、組合員の占拠座り込みは動揺していない。まず先に座り込みを解けとい う現代車側の立場と「正規職化の成果ある合意がなければ座り込みを解かない」 という非正規職労働者の立場はまだ平行線を走っている。 座り込み組合員たちを22日も頑強に粘らせる正規職化の熱望はどこからくるの か。一つには下請という身分が呼ぶ工場と日常の差別があり、もう一つには 彼らが何年も味わってきた間接雇用非正規職雇用そのもの問題がある。 彼らの質問は単純だ。一度、非正規職になれば永遠に非正規職でなければいけ ないのか。もし職業移動の自由があって、階層と身分上昇の機会がある『社会』 ならこの言葉は違う。しかし彼らに自由と機会は与えられなかった。非正規職 は鎖のような身分、拭い落とせない緋文字であり、どこにも組み込まれない 第4の身分でしかなかった。 ![]() ▲4日会社側が大型Hビームをつけたショベルカーで座り込み中の第1工場ガラス窓を壊し、組合員が窓にしがみついた。 最近雇用労働部が発表した資料によれば、今年8月に韓国の300人以上の1939の 事業場の41.2%が社内下請けを使っていることが明らかになった。また社内下請 を使う300人以上の788の元請事業場が、8529の社内下請業者を持つことが明ら かになった。 韓国労働社会研究所のキム・ユソン所長が今年3月の統計庁経済活動人口付加 調査を分析した結果を見ると、2007年3月以後、他の非正規職雇用の形態は減少 したが、派遣勤労はむしろ17万5千(1.1%)から21万2千(1.3%)へと3万7千人増加 した。間接雇用形態はさらに増えているという。 問題は間接雇用が呼んだ雇用不安と社会問題が深刻になっているのに、政府や 財界は、青年失業者に目の高さを下げろというだけだということだ。実際、 10月に政府が発表した国家雇用戦略2020も、こうした非正規職雇用拡散による 雇用率の上昇を試みるものだ。 統計と政府政策が語るように、蔚山現代車座込場で会った非正規職労働者たち は、現代車下請に入る前に社会に第一歩を踏み出し、多様な方式で間接雇用を 経験してきた。そして長い下請生活で、間接雇用の形態が一つの身分になった ことを正確に認識していた。またIMF外国為替危機以後、労働柔軟化政策が呼ん だ低賃金、非正規職雇用を味わった人が多く、雇用問題に関心が高かった。 座り込みをしている下請労働者のうち30代初中盤は、ほとんどが20代中後半に 入社した。彼らは98年のIMF構造調整が強要した労働柔軟化政策の典型的な犠牲 者だった。韓国社会は一部の運が良く金とバックがある人だけに正規職雇用を 許容した。 彼らのほとんどが現代車下請業者に入社する前も不安定な雇用を転々としなけ ればならなかった。不安定な雇用とは毎年の雇用不安に苦み、同じ仕事をして も賃金は正規職の半分にも至らないという意味だ。これに伴い生活も不安になる。 良質の雇用がなくなり、彼らの年頃の世代には非正規職は普通名詞になった。 不安定な労働世代の不安な人生は、同じ年頃の友人や同じ年頃の家族に同じよ うに襲ってきた。非正規職が世代化したのだ。 社会への第一歩、兄も弟も下請人生で開始今年33歳になるA氏は、2000年に23歳の時に現代車下請業者に入社した。彼が下 請労働者で働き始めてからもう10年が流れた。A氏は現代車非正規職になるまで あらゆる下請業者で働いた。 A氏の実の弟も現代自動車下請労働者だ。いつもトラブルを起していた自分と違 い、弟はもっとよく暮すことを望んだが、似た世代の弟も労働柔軟化政策を避 けられなかった。金とバックがなければ良質の雇用が得られない世の中で、貧 しい家の兄弟は下請労働者の道を歩かなければならなかった。それで兄は弟が 下請労働者で働いていることがつらい。 弟は02年8月に入社した。軍隊を除隊して学校に復学するまで塗装部アルバイト で働き始めたが、社会は弟を下請労働者に縛り続けた。良質の雇用自体がほと んど出なかったからだ。 ![]() [出処:合同取材チーム] A氏も社会の第一歩を下請人生で始めた。外国為替危機が始まった97年、19歳の あどけない高校3年生だったA氏は、重電の現場実習で現代重工業に行き、働き 始めた。そこも重工業社内下請業者だった。時給2400ウォン。時給にすれば、 2000年の現代自動車入社の時より多かった。その上、夜間割り増しもあった。 それで19歳なのに、1か月ずっと夜間勤労をした。 しかし重電機に入社して3か月目から給与が出なくなり始めた。「外注用役業者 でした。社長が今回の仕事を終えて逃げようという基調でした。同僚と誰かが 行って賃金にくれと話さなければならず、私が選ばれました。ところが社長は 事務室での成り行きを見て、椅子を投げて出ていきました。」 彼はまさに現代のブラックリストに名前が上がった。現代に関するどんな業者 のアルバイトもなかった。高等学校を卒業してDナイロンという社内下請業者に 入った。友人の父親の会社だった。彼はここでも長く働けなかった。「私とよ く一緒に仕事をしていた方は年齢が高い人でした。そんなおじいさんに正規職 の課長がひどい扱いをしました。おじいさんがやられているので若さから課長 に反抗しました」彼は98年秋に追い出された。 IMFで全国が沸きかえっていた頃、20歳で雇用から追い出されたA氏は経済危機 の苦痛をそっくり受け、仕事を見つけられなかった。それで免除されていたが、 全力で軍隊に入隊しようとした。「雇用もないのに軍隊に行けば飯も食べられ 難しい時期を送れそうだったのですが免除でだめでした。当時はIMFで私の同じ 年頃は雇用がなく、みんな軍隊に行きました。私も3回も志願しましたが、私が 家長だという理由で軍隊が受け入れませんでした。仕事がなければ家で顔色を 伺わなければいけませんが、軍隊に行けばご飯は食べさせてくれるから..」 外国為替危機は国民的な金集め運動を呼び、雇用がなくなった青年はひとまず 雨宿りのために誰も彼もが軍隊に志願した。それで訓練所の入所も何か月も待 たなければならなかった。 結局A氏は家族の表情を避けるためにあらゆるアルバイトを始めた。イベント 会場に行って歌も歌い、薬売りもして、短期のみて営業職もした。 99年には釜山の叔父の喫茶店を手伝った。安定した仕事を探していたA氏は、 2000年の中旬に蔚山にきた。10月頃、チラシを見て現代自動車下請業者に入っ た。数年たち、ブラックリストから消えていた。 「その時は現代車の仕事はつらく、半日働いただけで出て行く人が多かったの です。仕事がつらかったんです。初めてトラックの仕事をしましたが、キーパー として穴埋めで各種の工程のあちこちを回って通いました」 「その時は何が差別で何が不当かも知りませんでしたが、03年に初めて正規職 の入社者を募集しました。ところがある日、偶然その人の月給袋を見たのです が、私たちがいくら働いても受け取れない額でした。これが差別なんだな。そ の上、私が彼らよりずっと仕事もよくできます。私より若い正規職には放言は しませんでした。ところが私のほうが年上なのに、管理者は放言をしました。 『君は非正規職』だと、ぞんざいに応対しました。」 A氏も当時、正規職を志願した。だが彼はいわゆるコネがなく、非正規職として 残った。「後で正規職の先輩が『お前らは非正規職だからだめなんだ。(正規職 に)なれたのは能力だ』と話したことが生々しいです」 しかし現代自動車の生産工程は、誰がなんと言っても正規職と非正規職に差は なかった。「私の前の正規職が作業しなければ私は仕事が出来ず、私が作業を 休めば後の正規職は仕事が出来ません。」 彼は7月22日、大法院が現代車社内下請を不法派遣と判決したという知らせを聞 いてもぼんやりしていた。そのうちにソウル高裁が、現代車社側の違憲申請を 棄却してもう一度不法派遣を認め、工場内コンベヤーの間で歓呼しながら歩き 回った。 「非正規職人生を変えるストライキ」![]() 83年に生まれた20代後半のB氏。B氏は04年11月に入社して、今年で下請5年目だ。 まだ三十にもならない私だが、B氏も非正規職という烙印で受けた傷が大きかっ た。彼は初め軍隊を除隊してから、アルバイトとして入社した。長くいるつも りではなかったが、若くてつらいと思わず働いた。そのうちにある程度適応し、 他の職場に変るの容易なことではなかった。 彼は『どんな仕事をするのか』と聞かれれば『自動車に通っています』と答え る。するとたいてい正規職か下請かと聞かれる。「正規職かと聞かれなければ、 ただ自動車に通うことになります。最初から下請とは答えません。誰かの前に 卑屈になりたくなかったといいましょうか。」 彼は今回の座り込みが始まった時、個人的な事情で最初から参加できなかった。 そのうちTVとインターネットを見て、電話もして家にいることが居心地が悪く なった。「500人が私のような目的で工場の中で寒さに震えているのに、事情が あるからと家にいられませんでした。お母さんには冗談半分で出勤すると言い、 当分会えないといいました。座り込みから6日ほど経って、座込場に入りました」。 B氏の友人で、大企業の正規職は十人に一人の割合だという。その他は自営業や 中小企業、協力業者などで働く。彼は自身と同じ工程に自分と同じ年頃の正規 職の友人がいる。だが班別の会食でも同じ席に座れば自尊心が傷つく時がある。 「私のほうがその友人より経験も長いし、仕事も全く同じで、トイレの掃除も 互いに一緒にするのに、賃金はとても違います。ひどい社会でしょう。仕事を しただけ稼ぐのが常識なのに、非正規職はたくさん働いて、さらに残業もして 月次も使いません。なぜ私はもっと働いているのに賃金が少ないのだろうか。 さらにつらい仕事をしてもなぜ賃金に差が出るのでしょうか」 まだ若い彼にとって、今回のストライキは人生を変えるストライキだ。人々の 前で何も気にせず自動車に通うと話したい熱望は人生を変えた。「今回のスト ライキは人生の折返点になるでしょう。正規職を勝ち取るどうかです。新しい 人生が始まるでしょう。もう他人の前で堂々として、恥ずかしがらずにいたい のです。もし失敗すれば解雇されるか懲戒されるでしょうが、私のもうひとつ の人生が始まるでしょう。」 マンアワー(Man Hour)交渉のたびに襲う不安、「自動車は希望がない」05年1月に入社して、現代車下請で6年間働いたC氏は離職を夢見続ける。C氏は 今年で31歳だ。彼は自分がお小遣に使う程度の金もない。入社6年になっても、 ボーナスがない月はあれこれ天引きされて120-130万ウォンを受け取る。その金 で毎月積金と保険を入れている。「私が自由に使えるお金は殆どありません。 どこかに行こうとすれば家に手を広げなければなりません。」 彼はお母さんと暮す。結婚もしていない。恋人もいない。彼は積立金に82万ウォ ンを払う。ここに終身保険、相助、長期住宅用意貯蓄も別に入る。そして賞与 が出る月にその金を分けて生活費として使う。インターネット、携帯電話、ガ ス費などを払うと、別に使える余裕はない。 C氏は99年に高学を卒業して2年制大学に入学した。軍隊に行って04年に卒業し た後、7か月間、専攻を生かして働いた。しかし小さな事務所なのに加え月給は 80万ウォン、20年間下端生活をするほかはない雇用であった。結局彼は運送会 社の配車員を離職した。ここでは130万ウォンを受けとっていた。食事は出たが、 四大保険はなかった。雇用保険が何かも知らなかった。いくら頑張って働いて も貧しい社会であった。 配車員も賃金と適性が合わなかった。彼は仕事を止めて7か月間遊んだ。24歳で 失業者になったのだ。お母さんは失業者になった息子に目さえ会わせればいや な話をした。ほとんど廃人のように暮した。「お母さんは失業者の時、口を開 けば胸に突き刺さることを言いました。私も何か言われれば受け返しましたし」 彼が現代車社内下請に入社して、一番喜んだのは母だった。どこで働くかでな く、ただ働くことを喜んだ。彼は現代車の下請としておよそ6年働いたが、1年 に3千万ウォン以上受け取ったことがたった一度だけあった。彼は税金を払い、 1年で2700万ウォン程度を受ける。 「国家雇用戦略というのをニュースで見ましたが、今後派遣法も私たちのよう な生産職に適用されると聞きました。私たちが訴訟したことがそうして適用さ れるんでしょうか。そのニュースを見て今、製造業も安定した雇用が殆どない んだろうという気がしました。それで私は自動車はもっと希望がないと思います。」 彼はいつのまにか雇用問題の専門家になっていた。C氏は6年間、離職のために 100か所以上調べた。彼にとって自動車産業は斜陽産業だからだ。「自動車産業 は、次第にモジュール化されて自動化され、最小人員で工場を運営するでしょう。 私は運良くその最小人員に残れるとは思いません。」 ![]() 自動車産業自体が人材の構造調整を続けるということを現場で体で感じたのだ。 彼は正規職になっても最小人員にしようとする自動車産業の柔軟化戦略に一生 苦しむと見た。 「毎年雇用不安に苦しみました。マンアワー交渉が始まれば、私が生き残れる か、毎年そうしているうちに自分の足で歩こうと思いました。背を押されてる のではなく、堂々と歩くと言いながら、まだ抜け出せずここまできました。」 不安な非正規職は、彼の趣味を資格証明の勉強にした。07年から資格証明の勉 強を始め、各種の電気、産業記事作業証を7つか8つほど取った。彼は主に機能 職の正規職雇用に100回以上志願した。しかし全部落ちた。6年間、昼夜間勤務 に関係なく一日5時間、資格証明勉強をした。彼は今でも離れたい。 「初めは落ちるたびに日常に戻るのが難しくて長くかかりました。自己恥辱感 も大きかったです。どこも同じ結果の時、また日常に戻る時間が長くかかった のですが、それが何度も繰り返されるので、あとになると簡単に受け入れられ るようになりましたよ。」 C氏は雇用不安さえなければ、みんなこれほど長く座り込みはしなかっただろう といった。そして非正規職だと臆病に暮してきたといった。合コンをしても、 下請だという理由で大きな傷を受けて、自分も知らないうちに臆し始めた。そ のような生活が、下請から抜け出すために慢性的な疲労に苦しみながらも血が にじむような資格証明の勉強をさせた。 「兄はサムスン職員だと思っていたが、実は下請職員でした」D氏は29歳だった2002年に現代車の下請業者に入社した。彼は下請が何かを知っ ていた。お兄さんがサムスンの正規職職員だと思って99年にお兄さんの紹介で サムスン協力業者の非正規職で働いてみると、お兄さんも非正規職だった。びっ くりした。中小企業に入れば中小企業の職員になれたのに、自身はまったく下 請の下請業者だった。ノートパソコンのフレームを作る業者だったが、3か月で 止めた。賃金や福祉の恩恵も低く、正規職と共に働いた。男子職員は5人だった が、自分だけが下請だった。 そのうち、2001年に友人の紹介で蔚山の現代ハイスコに入社した。ハイスコの 雇用も全て下請だった。時給は2200ウォン。夜昼2交代だったが税金を払えば手 取りは100万ウォン程度にしかならなかった。また求人新聞の交差路を検索した。 現代尾浦造船で時給5千ウォンの雇用があった。『良い、仕事だけ熱心にすれば いい』と思った。やはりここも下請業者だった。ところがあまり仕事がなかっ た。昼間だけの仕事なので時間が少なかった。また交差路を探した。現代車の 工場が600%を払うからといっても、何とか金をかせぐには夜昼なく頑張らなけ ればと考えた。 D氏が入社した当時の時給は2500ウォンだった。税金を払い110万ウォンを受け た。それでも賃金団体協議の妥結で成果給が出れば、それでも慰めになった。 彼は初め何も知らず特別勤務支援をして、少しずつ体に故障が起きた。甲状腺 機能昂進症がきた。目が突出した。その次は金が優先ではないように思い、特 別勤務を自制した。当時、特別勤務をすれば7万ウォンになった。 彼は雇用の不安が一番深刻な問題だという。「車種が変わればモジュールが止 ります。その時、雇用が一番不安です」。毎年続く雇用不安は、彼らに鳥肌を 立てさせた。 2-30代、社会の第一歩は非正規職として踏み出し、永遠の非正規職![]() 彼ら非正規職の人生を不安にさせる労働柔軟化は、1998年の外国為替危機で IMF(国際金融機構)の救済基金を受ける条件として推進された。これにより職業 安定法上の労働力取り引きに対する規制が緩和され、間接雇用が広がり始めた。 こうして始まった労働柔軟化戦略は、1998年の「派遣勤労者保護などに関する 法律(派遣法)」の制定につながり、職業安定法により禁止されていた有料勤労者 供給事業として「勤労者派遣事業」を例外的に認めた。事実上、労働力の中間 取り引きが合法化されたのだ。これは、現代車社内下請業者のように労働力の 中間取り引きで利益をあげる人材業者の盛況を呼んだ。労働力の仲介行為をめぐり 労働界は「本質的に人間の取り引きだ」と反発してきた。 全国不安定労働撤廃連帯のキム・ヘジン代表はこうした下請労働者の実態は、 深刻な社会問題になったと診断した。間接雇用と非正規職雇用により安定した 青年雇用がないという。キム・ヘジン代表は「現在、非正規職は何%なのかでは なく、新規の雇用に正規職雇用が何%なのかが非正規職問題の尺度になる」とし 「すでに2-30代は最初から非正規職で就職し、一度非正規職になればずっと 非正規職で、事実上、正規職は不可能になった」と説明した。 キム・ヘジン代表は「政府や財界は、青年失業者に目の高さを下げて就職しろ というが、青年たちは一度非正規職になれば永遠に非正規職になると感じてい る」とし「年がたつほど2-30代の青年雇用は圧倒的に非正規職雇用が多くなる 方式に進んでいる」と指摘した。 金代表は続いて「今は一つの職場に就職して結婚して子供を産み、家を用意す る希望がない状態になった。そんな希望が難しいので、雇用で安定した生活を 送る夢を見ることできず、不満が累積する」とし「間接雇用の労働者たちは、 これまで希望がない不安な暮しをしながらも、不満の捌け口は曖昧だった。そ んな意味で今回の現代車の非正規職が元請事業主に怒って責任を明確にするの は重要」と説明した。(蔚山=メディア忠清、蔚山労働ニュース、チャムセサン 合同取材チーム) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-12-06 21:29:14 / Last modified on 2010-12-06 21:29:16 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |