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「全員復職すべきだが、あまりに長引いてしまいました」

キリュン報告大会、闘争勝利の喜びと悔恨が交錯

キム・ドヨン記者 2010.11.01 19:52

キム・ソヨン分会長は「キリュンの今回の合意で、非正規職闘争が一歩進む」 と評価した。だがその一方で共に復職できなかった組合員を思い、涙を流した。

▲キム・ソヨン キリュン分会長は共に復職できなかった組合員の話をして涙を流した。

調印式が終わり、彼女は走馬灯のようにめぐる6年間の無数の場面の中でも 特に2005年7月、労組結成報告大会の瞬間を記憶していた。

「10分間で150人が労組に加入しました。組合員は労働組合に入れば解雇されな いと言って涙を流しました。闘争の初期にきちんと合意ができていれば、組合 員全てが皆同じように復職できたはずなのに。あまりに長引きました。」

彼女は交渉妥結後、真っ先にチョン・ミョンヒ組合員の墓を訪ねたいといった。 チョン組合員は闘争中の2008年にガンで亡くなった。

「2008年の交渉の時、復職希望者を把握しました。その時、チョン・ミョンヒ 組合員がすでにガンの末期でした。それでもはやく良くなって復職したいとい いました。まだ希望者リストに入っています…。」

金分会長は2008年、1000日以上、社会的闘争をした時、結局解決できなかった 時が最も苦しくつらかったと言う。

「あの時は本当に解決すると確信していました。それでもだめだったので、本 当に絶望的でした。これからどんな方法で闘えばいいのか。」

その一方で、その時の案に合意しなかったことを後悔していないと言う。

「当時、会社で出した案は、第3の会社に就職を斡旋するという程度の案でした。 その時は、何も取れなくてもこの案は受け入れられないと、組合員たちと泣き ながら決めました。その案を受け入れれば、またあの生活に戻らなければなり ません。派遣というのは、働いてみなければ、その苦しみはわかりません。虫 を見るような目、同じ仕事をしても半分の賃金、無分別な解雇…。それが恐ろ しくて戦っているのに、あきらめたらまた派遣職で働かなければならないから。 最後までやろうといいました。」

闘争が長びいた理由はもちろん『派遣法』だった。だから派遣法撤廃に対する 彼女の意志は相変らず確かだった。

「私たちの問題は解決しても、2年未満の不法派遣労働者への対策は相変らずあ りません。当分は疲れた体を整えて、家族もまとめて、休んでいる間に全国巡 回をしようかと考えています。派遣法問題で苦しんだ生き証人の私たちが話さ なければいけません。当事者しか暴露はできません。法が非正規職労働者を保 護するように、第2、第3のキリュンが出てこないようにします。」

彼女はまだ闘争している非正規長期闘争事業場への応援と激励も忘れなかった。

「多くの仲間たちが笑い話で、先に闘争を始めた私たちに『ボロ車がどかなけ れば進めない』と言っていましたが、願いがかなうことなりました(笑い)。私 たちの合意で一歩進むと思って頑張ってほしいです。ドンヒオート、才能、GM みんなうまくいくでしょう。そして今、苦しいKECの仲間たちが頑張ってほしい です。正当で素朴な要求のために命を賭けて焼身しなければならない現実が残 念ですが、克服しなければなりません。」

4時、キリュン旧社屋で百人ほどの連帯団体の会員を集めてキリュン分会は報告 大会を開き、これまでの闘争を整理した。

20日間、食を断ってハンストを続けていた二人の組合員は、相変らず実感がわ かないように、そして喜びより虚しさが先立つように茫然と席を守っていた。

オ・ソクスン組合員は「まだ落ち着かない」とかすれた声でかろうじて口を開 いた。

「3時に調印式が終わったという連絡を受けても、頭が空っぽになったように、 特別な感情がないが、『この調印式のために三回も断食して、高空にも上がら なければならなかった。韓国の社会はこんな社会なのか』という思いに気持が つらかった。私たちの勝利は、完全な即時正規職復職ではないが、2年以下の派 遣職労働者が勝利を勝ち取ったことに満足している。こうして6年間やってこら れたのは、皆さんが本当にたくさん力を貸してくれて、気を遣ってくれたおか げだ。多くの人が連帯したように私も不法派遣問題の解決に誰より先頭に立つ。」

ユン・ジョンヒ組合員は全員が復職できなかったことの罪悪感を話しながら 喉をつまらせしばらく言葉をつげなかった。

▲断食20日目のユン・ジョンヒ組合員が発言で喉に詰まらせ、しばらく言葉を止めた。

「2005年に拘束された時、家族しか面会できず、面会しに来た組合員を実家の 母だと言ったことがある。その時からその組合員をお母さんと呼んでいるが、 今日は調印式だとは、とても電話できなかった。組合員全員が復職できないと いう、とても大きな罪悪感で…。この申し訳ない思いをどうすればいいのか… この申し訳なさを抱いて組合活動をがんばっていかなければならない。」

二人の組合員は5時半頃に断食を終え、緑色病院に運ばれた。病院で彼らは検診 を受ける予定だ。

次の金曜の5時にはキリュン電子旧社屋の空地で勝利報告大会が予定されている。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2010-11-02 07:46:23 / Last modified on 2010-11-02 20:10:19 Copyright: Default

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