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ストライキ現場で会ったタグボート労働者

[インタビュー] 「家族と一緒にいるためすべての仕事を甘受するのです」

ソ・ヘシク(ルポ作家)/ 2009年08月24日11時32分

「今、私たちが立ち上がった主な原因といえば、給料も給料ですが、私が今、 入社して15年になるのに社長の顔を知りません。社長が変われば一度ぐらいこ こに来て、私たちと話をして、直接の顔でも見て会社の事情がどうだとか、今 難しければ次に調子が良くなれば賃金を上げるとか、そんなふうにするべきな のに、賃金を凍結するというような話もなく、全部一方的です。個人が運営す る小さな会社よりもひどいですよ。給料が多い少ないより、まずそうしたとこ ろでとても感情が傷ついています。百パーセント思いのままにするから。

発言の機会もなく、そんな機会も与えず、会社が黒字だの赤字だのという話も せず、商売がうまくいっても上場会社ではないのでどこに公開しますか。会社 がうまくいっているのか、良くないのか、働く人も知らなければならないでしょ う。IMFの時、よそは苦しかったのではないですか。ここに船舶の入出港、ここ は難しい条件でなかったのです。IMFという外部の言い訳で、私たちの給料を削っ たのです。その時に削られた賃金を元に戻すのに十年かかりました。会社が本 当に苦しいなら、もっと賃金をたくさん払えと言えば問題になるだろうが、話 をしないというのです。全部一方的なんです。

社長が就任式をすれば食事でも一緒にして、信頼関係も作らなければならない のに、会食でもして会社の事情がそんなこんなだから理解してくれ、そうすれ ば気持も少しは解けるはずなのに、とても一方的なやり方を続けるので、私も それが一番気にさわり、だから労組が必要なんです。何でも勝手にするので、 ミスをすれば罰金、それに一回二回の懲戒を食らわない人はほとんどいません。 ものすごい数です。」

ストライキ12日目、残暑のメアム埠頭には一点の日陰もなかった。座り込みテ ントの下に座って話をしたり疲れてだるいからだを横たえていたタグボートの 労働者たちは、自分たちの話を聞きに来た私にさえ強い警戒心を緩めなかった。 ストライキが十日を過ぎて、多くの報道機関が来たが、飽きるほど話を聞いて も会社側の話しか報道しないと言い、これまでの傷を隠さなかった。幸い私は 前日に続き、二回目の訪問だったため支会長の斡旋で何人かの労働者の話を聞 く場を持てた。

▲タグボートとタグボート労働者たち

彼らの人生を聞いていると、今日この瞬間、このストライキ現場にくるまで、 彼らはいつも孤独で、疲れて、貧しく、佗びしかった。海は、彼らにとって新 しい世界への出口ではなかった。単に家族と一緒にいたくて選択した沿岸埠頭 の船の仕事は、家族の幸福を守り、作るには危険だった。三人の子供を産んだ が子供が生まれた日も仕事で、一度も病院に行けなかったという船長、5日間、 家に帰れず船で働いたという航海士、三十年の経歴でやっと125万ウォンの給与 が支払われる甲板長。いつも死と事故の危険がかくれた海で、彼らが毎日毎日 ぶつかる日常は、静かに聞いていることさえ苦しい心境だった。

会社の一方的な態度に心の傷をたくさん受けたというある機関士は、自分が正式 な休業で休んでいる日に起きた船の故障で懲戒されたという。

「私が減給を食らったんですが、私が休みの時、正式の休業日なのに、その日 船に問題が起きて、私がきちんと整備をしたのかというような原因も明らかに せず、単に機関長として責任を問うというのです。私が減給六か月、三か月と、 二回の減給を食らいました。減給も、私が会社と争って六か月の減給なら、六 か月で終わらず1年近くボーナスがカットされます。なぜかと聞いたら会社の規 定がそうだからと言うので、どこにそんなことがあるのかと聞いても一方的に そうします。」

タグボートは文字通り輸出入港に入る船を安全に港に導くため沿岸近くで船を 曵く船だ。前後にタグボート二隻が並び、船をロープで縛って港に渡す役をす る。出港する時と入港する時、どちらもこのタグボートの助けがなければ海に 出ることも港につくこともできない。船の仕事とはいえ主に沿岸の海で働くの で、出退勤して家族と一緒にいられるという点が、多くの労働者がタグボート を選択した理由だ。外洋船に11年乗って、妻が妊娠してタグボートに乗り始め たというある労働者は、単に家族と一緒にいるために我慢しなければならない ことがとても多いという。

「2002年に浦項で浦項タグボートに乗り、2005年の5月5日、前日まで浦項で働 き、浦項に4年いましたが浦項は悪条件です、とても渋いんです。とても生活で きないので、蔚山は月給がもう少し出るのですが、ところが勤務時間は浦項の ほぼ二倍になります、それでも一銭でも多く稼ごうと2006年に蔚山にきました。 前は外洋船の航海士で11年乗りましたし。

最後に外洋船に乗った時は、年俸が6500、外洋船に乗って船に乗ることも嫌で、 家内が子供もできたので結婚もしなければならず、家内が妊娠したのに放って も置けないので、それで沿岸で旅客船から履歴書を入れると浦項タグボートか ら一番最初に連絡がきて、陸上生活、それでもタグボートの仕事はほとんど陸 上生活でしょう、半々の陸上生活でしょう。船に乗る職業の中で出退勤するの はここしかないし、できることはこれしかなくて。タグボートに乗ると、稼ぎ はすべて使い果たして、船にしか乗ったこともなく、何も知らず、世の中のこ とも知らず、ここにいる人のほとんどがそうです。国際資格証明を持っていて、 高い賃金受けた人々が単に一つ、出退勤して家族たち一緒にいて、それ一つで す。それ一つのために全てを我慢して暮しています。」

水産高を出て、兵役特例で国内船に三年乗って、続けて外洋船に乗っていたと いう彼は、広い海で船に乗り続ける生活が嫌になったという。20歳以後ずっと 海の上だけで暮した彼。前日の夜、ストライキ現場のメアム埠頭にも闇がおり ていた。海の上におりた闇は濃厚だった。自動車輸出船のカーキャリア号が華 麗な照明を発して遠い海に向かって走って行っただけで、停泊している26隻の タグボートには一点のあかりも見えなかった。

職場閉鎖という貼紙が貼られたタグボートの周辺を民間警備隊が守っていた。 タグボートがある海に背を向けて、彼は堤防の反対側の海に向かって釣り糸を 垂れていた。20歳以後、11年間商船に乗り、大西洋の海に浮いていた彼に釣り は船の上で享受できた唯一の趣味のようだった。家族もなく、友人にも会えな かった長い長い日々、陸地の生活は彼に懐かしさであり、長い孤独との離別だっ た。しかし静かな海とは違い、陸での暮らしは世知辛かった。

「私が働いて取る金は、本来受け取れる金、私の感じだけでも私が働いた五分 の一にもなりません。名目上、法に抵触しない最低水準でしょう。月々の賃金 が税金抜きで184万ウォンから185万ウォン。浦項ではそれよりはるかに少なかっ たんですよ。私の場合は外洋船に乗って貯めた金で結婚して、ローン以外に通 帳に9000万ウォンほどありました。浦項で四年暮し、通帳には2000万ウォンし か残らず、それさえ蔚山に来てすっかりなくなりました。1か月に40万から50万 ウォンの赤字が出ます。私が息子二人を育て、幼稚園にやると平均収入184万、 1855万ウォンでは1か月に40万、50万ウォンの赤字でしょう。」

単に生計の困難だけでなく、1か月に八、九回の当直と、休業者による欠員が発 生した時の代替勤務、そして波が高かったり台風でも来た日には、身動きもせ ず海で船を守って粘らなければならないタグボート労働者たちには、家族と共 にこじんまりした時間を送ることは、ただ胸の中の切実な小さな望みでしかな いようだった。

「私の場合、蔚山タグボートきて1600馬力の船に乗っていますが、五日間その 船から帰れなかったことが二回ありました。出勤すると、ひとりが休み、夜間 の番になり、船長、航海士の二人が分けて仕事をするのですが、ひとりが休む と一人で続けなければなりません。他の人員に代替できませんから。この仕事 は基本の単純作業を習得するだけでも三か月かかります、私はタグボート航海 士八年目ですが、経験では、ある程度熟達するには蔚山港ならおよそ二年はか かります、それでやっと大抵の作業ができます。代替勤務をすると自分の休み がそれだけ増えるわけでもなく、その代価があるわけでもなく、ここには責任 だけあって権利もなく、代価もなありません。」

頻繁な事故と命を威す危険が潜むところだ。三百時間を越える長時間の労働に 苦しむタグボート労働者の人生は難破船のように不安だ。ストライキは避けら れない宿命のようだった。

「ここは常に事故がつきまとう作業です。船舶どうしぶつかったり船に油がな く止まる事もあり、作業でロープを渡し、そのロープが降りてくるのに一瞬目 をはなせばあたってしまい、今回麗水では船から船に渡ろうとして海に落ちて 死にました、2か月前に。この仕事自体が常に危険です。海が静かな時も船はす べりやすいです。この前、私たちの船では船のロープを捉み、ロープに手がは さまって手首が切れました。次の日、あちらの海で手首が発見されました。」

▲進歩新党チョ・スンス議員の説明を聞くタグボート労働者

話の途中、進歩新党のチョ・スンス議員と党関係者がメアム埠頭ストライキの 現場に入ってきた。私が二回目にメアム埠頭を訪ねた日はおりしも『行動する 良心』を訴えた前職大統領が亡くなった日だ。全国民が彼の死を追慕したその 日にも、タグボート労働者への『行動する良心』は止まっていた。チョ・スン ス議員を追って多くの報道機関がストライキ現場にカメラを突きつけたが、そ の日の夜のニュースにはタグボート労働者の切実な要求は報道されなかった。

「良心がある人なら皆さんの要求が分かるでしょう、皆さんの要求はとても基 礎的な、基本的な要求ですから、必ず勝てる戦いです。勝利の確信を持って最 後まで共に戦って下さい。」

チョ・スンス議員の確言にもかかわらず、労働者たちの目は相変らず不安だ。 ストライキ半月目、会社はまだ民主労総脱退と船長の組合脱退を交渉の前提条 件に掲げている。会社と労働組合の交渉のために、公式、非公式の努力をする というチョ・スンス議員と蔚山労働支庁長の約束があったが、蔚山労働支庁は そんな約束をしたことも、する計画もないという立場を明らかにした。今タグ ボート労働者たちは海を出て、蔚山労働支庁前で毎朝デモを続けている。

ストライキが半月を越えようとしている。タグボートが海につながれて半月を 越えた。人間らしく暮したいというタグボート労働者の叫びが、つながれた船 のあちこちから幽霊のようにうごめく。あの船も錆を落として軽く出港したい だろう。船首の上にも多くの憂いが上がるようだ。八月末、すぐ台風がくるだ ろう。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2009-08-30 00:57:34 / Last modified on 2009-08-30 00:57:35 Copyright: Default

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