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韓国:煙突から降りた日、煙突の下の人々
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地面に、今私たちの所に

[寄稿]煙突の上の労働者が降りた日に会った煙突の下の人々

ソ・ヘシク(ルポ作家)/ 2009年01月24日9時52分

「一度悪夢を見て目覚めた気持ちです。」

煙突の上からキム・スンジン、イ・ヨンドの二人の労働者が降りる支度をする 間、彼は言葉もなく煙突の上を見つめていた。今どんな気持ちかという私の度 重なる問いにも彼は何も話さなかった。いや、話せなかったのだろう。彼の首 はもうとても長い歳月、縛られて縫合されたようだ。解雇されて過ごした六年 間という歳月、一番悲しい日は正月だったが、今年も憂鬱で悲しい正月になる ところだった。だがイ・ヨンド、キム・スンジン二人の仲間が地面を踏むこと になりうれしいと言うヨンイン企業のクォン・オギュン支会長。解雇され苦労 した六年ほどの歳月に、長く恐ろしいこの数か月が過ぎた。万感が交差すると いう彼の言葉のように、ヨンイン企業労働者の復職闘争で始まった戦いに三人 の労働者が命をかけ、数千人の労働者が蔚山に駆け付けた。そして数万、いや 数千万の人々がこの切迫した連帯闘争を知った。この途方もない波動を誰が予 想しただろうか。

「とても気楽です。気持ち重く元旦を送るところでしたが、気持ちがとても楽 です。」

やっと後ろ手に組んで安らかに笑う現代自動車労働者はただ気持ちが楽だとだ け言う。これまで私たちみんな、いかに苦しかったのか。気が焦る冬の日照り にもかかわらず雨が降るかと思って心労焦燥し、雪が降る日も空に向かって、 願わなかったか。今煙突から彼らがおりてきた。今回の正月、雑煮食べて胃も たれの心配はない。

「幸運でしょう。だがこれからがもっと心配です。現代が数えきれない程合意 しましたが、パク・イルス烈士闘争の時もこの合意書をみな破ったのです。こ れからもこの合意書が紙切れになるかと心配なんです。」

この前までは監獄で尾浦造船闘争と連帯し、ずいぶん痩せてしまったペ・ムン ソク民主労総文化局長が、今後の憂慮と決心を語る間、煙突の上に救急のヘリ コプターが近付く。煙突の上の二人の労働者を安全にヘリコプターに移す間、 ヘリコプターの翼は大きな音をたてて休みなく回る。ヘリコプターが宙に浮く には、あの翼が休みなく回っていなければならない。翼が休まず回っている間 は、丸い形になる。私たちの心配と憂慮、決心も一つにまとめてあのヘリコプ ターの翼のように丸い円にすればどうだろう。そうすれば私たちもヘリコプター のようになれるかも、そうかもしれない。

「キム・スンジン、イ・ヨンド二人の仲間はとても苦労した。残念な合意だが、 今回の闘争を経験にして、もっとしっかりした民主労組を作るためにすべてを 賭けて闘争していきましょう。地域の仲間と全国から連帯にきてくれた仲間に 感謝します。2009年は李明博政権打倒闘争にもっと頑張って闘いましょう」。

長い歳月、尾浦解雇労働者として暮し、誰よりも尾浦造船事業場の民主化を見 てきた労働者、キム・ソクチン。集会場でいつも彼に会ったが彼はいつも深い 考えに沈んでいるようだった。シュプレヒコールをあげる時も歌を歌う時も、 彼はしばしば地面をながめてばかりいた。過去の日はとても重かった。彼の生 もとても重かった。将来を予感する彼の声もとても重い。

「正規職が中心になって非正規職闘争に連帯したこの闘争はとても美しい。 こうした蔚山での闘争が全国に広がればうれしい。」

煙突闘争を終え、煙突の下で共にした10日間の同調断食を終えるチョ・スンス 前議員の黒い顔にも善良な笑いが広がる。本当だ。この闘争が美しいのは境界 がない戦いだったからだ。私もその愛に感染した。バカな愛をまた一度始めら れそうだ。

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news/view.php?board=news&id=45210">原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2009-01-27 18:09:53 / Last modified on 2009-01-27 18:09:55 Copyright: Default

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