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LNJ Logo 韓国:イーランド秋夕集中闘争5日目- 2008年9月6日土曜日
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「イーランドに行かないで下さい! ホームエバーに行かないで下さい!」

イーランド秋夕集中闘争5日目- 2008年9月6日土曜日

パク・ビョンハク/ 2008年09月09日12時28分

集中闘争4日目の原稿を書いて、また家を出るのが遅くなってしまった。今日は 民主労総が主管する集会が昼3時にホームエバー上岩店であるというが、私はソ ウル西部非正規職センター準備会(略称ソ非センター)が明洞フーアーユー店で する宣伝戦に行くとあらかじめ約束していた。明洞だけでなく、仏光洞と鍾路、 新村でもイーランド系列店の前で多くの連帯単位が1人デモをする予定だった。 集会申告書も出さずに踏み込む奇襲だった。秋夕を控えてしっかり稼ごうと血 眼になっているイーランド資本の後頭部を力いっぱい殴るつもりだった。

二時まで明洞フーアーユー店舗に集まることにしたが、私はあたふたと遅く出 てきたために3時を過ぎて明洞駅に到着した。

地下鉄駅の外に出ると晩夏の日差しは容赦なくアスファルトを熱くしており、 明洞の通りは真夏の海水浴場のように人々で混み合っていた。まぶしい陽光の おかげで目を半分とじていた私は頭がはっきりしていなかった。

明洞フーアーユー店舗に行くにはどこに行けばいいのか、インターネットでみ た略図を思い出しながら考えていると、向うに新世界百貨店が見えた。8月15日、 100次キャンドル集会の時に新世界百貨店前で青い放水銃を受けて戦闘警察と対 抗した多くの人々の姿が思い出された。警察の姿を一人の人間猟師にあちこち 追われながら力いっぱい走った記憶がまだ生々しかった。今はクラクションの 音だけが騒がしく、どこにもあの日の痕跡はない。キツネがめんどりを捕まえ るように人を捕まえて行った凄じい公権力はみなどこに隠れているのか、都市 は何ごともないように適当に忙しく、適当に騒々しかった。私はそれ位にして 背を向けてしまった。

込み合う人々をかきわけて、あちこちをさ迷ってやっとフーアーユー店を見つ けた。明洞聖堂に上がる坂の入り口にすでにソ非センターの人々がプラカード を持って立ち、宣伝戦をしていた。私も『秋夕贈り物はイーランドで買わない ようにしよう』と書かれた宣伝物を背に付けて、プラカード一つを渡されて、 店の近くに落ち着いた。私の前にはソ非センターでよく会う女会員二人が通る 人々にチラシを配っていた。

通る人々は非常に多かった。気楽な服装でなく、まるでクジャクが派手な羽を 広げるように、人々は何か過度に計画しておいたような服を着て道路を回った。 今ここをこうした姿で通ることがとても幸せなように、人々はしきりに笑い、 互いに顔を見あわせてげらげら笑っていた。私は『WHO.A.U君は誰か?非正規職 弾圧悪質企業!』と書かれたピケを持って立ち、ぼうぜんと人々をながめた。

イエスサラン宣教会から出てきたおばあさんが一列に並び、こちあちを行き来 しながら、イエスを信じろと叫んでいた。広く見れば同業者で、狭く見れば競 争者か? あんな宣伝戦をしなければもう誰もイエスを信じない世の中になった のか? フフッとむなしい笑いが出てきた。

フーアーユー店の入口の前でプラカードを持っていたソ非センター会員が何か 警察と話しているのが見えた。店舗が通報したのか、近所を巡回査察していた 警察が無駄な文句をつけたのかは明らかだった。そちらに行くと警察は即座に 他で行ってしまった。

「度々私たちが法を犯していると文句をつけるのです。どうせ集会申告書も出 していないから。ひとまず進めて、もっと用役や警察がきて制止したら、その 時に撤収しましょう。」

1人デモは法律上デモではなく、集示法の規制を受けない。プラカードを持って 互いに遠く離れている人々は、結局各自が1人デモをしていることになる。だが フーアーユー店舗の前はどれほど広いのだろうか。ソ非センターが1人デモとい う名目で集団宣伝戦をしているということは警察も知っていて、私たちも知っ ている。私たちにとって重要なのは、プラカードの内容を知らせ、チラシを配 ることであって、つまらない集示法などを守ることではなかった。悪質企業を 罵倒し、皮肉り、かみちぎることが重要で、どうすれば1人デモを合法的にでき るかということには初めから関心がなかった。

私はまた元の場所に戻ったが、警官は絶えず近寄ってきて文句を言った。それ でもかまわず宣伝戦を続けていると、頭がべろっとはげた情報課の刑事がきた。 1人デモではないと申告が入り続けているといった。しばらく刑事とどうのこう のして、20メートル程度の間隔をおいて立っている二人だけを残し、すべて撤 収することで妥協した。ところがその時は宣伝戦を終える5分前だった。

「さっききた警察はこの業者が何か悪いことをしたかと反問しました。私たち がどうせイーランド企業という大きな枠組みを糾弾しなければならないという ことを全く知らずにいるのです。率直にこの店の主人も、調べてみればキリス ト教信者ではないのでしょうか?イーランドの経営方針に同調をしているから 店舗主人ができるのでしょう。警官たちにはそうしたことを教育しないのか?」

「警察は無条件に政治的に中立でなければいけません。権力を握ったやつらの 方に立つのが中立で、他はみんな無視しろと教育するでしょう。警察に何の力 があるんですか。ただ上の言葉をよく聞くだけだ。」

われわれは4時少しすぎて宣伝戦を終え、少し話をして乙支路入口駅までプラカー ドを持って行進した。一番前に立つ人が拡声器を持ちシュプレヒコールをあげ ると、プラカードを持ってついて行く他の人たちも共にシュプレヒコールをあ げた。乙支路入口駅で私達はすぐワールドカップ競技場駅へ向かった。

上岩に到着すると五時だった。もうテント座込み場の前には300人程の人が集まっ て集会を開いていた。司会者が発言をしている所には次のような横断幕がかかっ ていた。

『非正規職撤廃イーランド闘争勝利のための決意大会』

ホームエバー上岩店入口には戦闘警察バスが停っていた。私は店舗周辺をいっ たいどれほどがっり囲んだのかが気になって、ひと回りぐるっとまわった。戦 闘警察は盾を前にたてて店舗周辺あちこちに座り待機していた。無線機を持っ て尋常でないまなざしでそわそわしている警察幹部も眼についた。用役は見苦 しい姿だった。普段上岩店を守っていた用役よりはるかに太って背が高い用役 が、それも群れになって店舗の入口ごとに立ち続けていた。警察と用役業者と イーランド企業が、呼吸をあわせている成り行きを見ると、笑いしか出てこな かった。

また隊伍側にきた。旗が多い。民主労総、公共労組、ソウル学生総連、女性労 組、移住労組、全国学生行進...... 民主労総ソウル本部が一足遅れてイーラン ド闘争を受け、今日の集会を組織したと聞いたが、そのためか、あるいは今日 が土曜日で場所が上岩だからか、秋夕集中闘争を始めてから一番多くの人がき たようだった。

集会はすぐ終わりそうだった。人々が一人二人と立ち上がり、持っていた短冊 を地下鉄の入口に張られた金網に一つずつさし始めた。近くに行ってみると、 それぞれ自分の希望を書くように、短冊には小さな文字が書かれていた。

『闘争勝利』
『現場に行こう』
『パク・ソンス会長粉砕しよう』
『イーランド労働者たち現場に復帰を』
『イーランド悪徳企業は目覚めろ』

集会が終わって人々が散り、宣伝戦を始めた。プラカードとチラシを持った人 が店舗の側に行き、警察と豚用役も一緒にあわただしくなった。戦闘警察は、 1人がやっと通れる狭い空間だけを残して店舗の入口を盾で幾重にも囲んでしまっ た。用役は無線機を持ってわけもなく人々を横目でにらみながらうろついていた。

組合員はプラカードを持って戦闘警察の盾の前に行って立った。

「イーランドは米国産牛肉を国内産だとだまして売り、流通期限が切れた魚を 新鮮だとだまして売った悪徳悪質企業です! 今はまたどんな不正を行っている かわかりません! イーランドに行かないで下さい! ホームエバーに行かないで 下さい! 悪質企業、市民の皆さんが不買で審判して下さい!」

組合員たちは盾の直前でシュプレヒコールをあげた。私はプラカード一つを持っ て店舗の入口側に立ち、別の場所で行われている宣伝戦に行くことにして、足 を移した。

上岩CGV側に行った。そこに行く町角の所々にもピケが置かれていた。ピケを一 つ一つ読みながら歩くと、どこからか音楽が聞こえた。生音楽だった。CGV側に 到着し、舞台一つが見え、その上で演奏をしている人々が見えた。ある会社員 バンドの無料野外公演だった。歌はTOTOの『Georgy Porgy』、私がとても好き な曲だった。舞台からちょっと離れたところでは人々が一列に並んで通る人に シュプレヒコールをあげていた。長さが20メートルはありそうなとても長い横 断幕を持つ人々もいた。横断幕には二行でこう書かれていた。

『破廉恥なイーランド資本パク・ソンス会長拘束しろ』
『用役派遣拡散非正規職大量解雇ホームエバーニューコアに行かないようにしよう』

一方では私が好きな歌が流れ、他方では私が参加する戦いが行われていた。舞 台の前で公演を見ている人と私は、あるいは似た好みを持っていたかもしれな かったが、私はそちらには行けなかった。海水から塩を分離するように、私の 中で音楽の好みだけを分離したのを見ているようだった。その時私はちょっと ばかみたいに立っていたようだ。あちらの人々とこちらの人々を出会わせるこ とはできないだろうか。いや、まず私の中で分離しているものを一つにするこ とはできないだろうか。好きな音楽も聞き、闘争にも連帯し、それら全てが自 然な日常になったなら、果たしてそうできるだろうか。ところがなぜ彼らは私 たちが叫ぶスローガンに耳を傾けないのだろうか。

私はしばらく舞台側と横断幕側をかわるがわるながめて歩みを移し、水産市場 側に向かった。

そちらでも人が集まり、宣伝戦をしていた。プラカードを持つ人が歩道の所々 に立っていたし、通る人にチラシを配る人もいた。私はまた店舗入口側に行った。

そこで、ソ非センターの会員と会い、プラカードを持ってワールドカップ競技 場の周囲をひと回りして宣伝戦をした。私たちが競技場入口を一つ一つ通るた びに入口の内側にいたスーツの用役がつかつかと近寄ってきて、ここは通って もいけないというように私たちに目をむいてすごんだ。私は持っていたピケを 揺さぶってこんにちはと挨拶した。

六時に宣伝戦が終わった。組合員たちはテントの前に丸くなって座り、仲良く のりまきを食べ始めた。私は食欲がなく、地下鉄駅入口の階段に腰掛けてスパ スパとタバコを吸った。今晩、サッカー競技でもあるのか、競技場の中はもう 騒々しかった。いったい何をしているのか分からなかったが、騒がしい音楽の 音をバックに誰かがマイクでまったくわからない言葉をぺちゃぺちゃしゃべり まくっていた。お揃いのサッカーユニフォームを着て競技場の周辺に集まる人 も眼についた。その中にはホームエバーで買物をするためにショッピングカー トをガラガラ引いている人もいた。座布団を敷いてハハ、ホホウとしきりにしゃ べっている若者がいて、今日闘争に連帯しに来た大学生らしい人が話すのをそ ばで聞いていると、サッカー見物にきた人だった。競技場の入場を待っている のだ。

競技場の内側がますます騒がしくなり、人々は少しずつ増え始めた。地下鉄駅 からは休む暇もなく人々があふれ出た。土曜日の午後だった。人々はとても気 分が良さそうだった。隠せない活気が全身からあふれていた。恋人と、友人と、 家族と、事実、誰ときてもよかった。単に土曜の午後を楽しむ時間と、金持ち どうし二三人が集まれば、それだけだった。自分の時間を自分の好きなように 使うという喜びが人々を活気つけていた。

何かがとてもおかしくなっているようだった。つじつまが合わない不明瞭なも のを前に置いている感じ、本質が逆にドブに投げ込まれたような感じだった。 誤り? 誤りはサッカーにあるのか? イーランド資本にあるのか? 非正規職問題 は自分とは無関係だと思う人々にあるのか? でなければ私が社会科学の書籍を あまり読まず、問題を明快に分析できそうもないことか? 分からなかった。今 この時間、この空間をぎっしり満たしている活気がイーランド労働者と何の関 係もないという事実は、あまりにも明白で、むしろ私は当惑した。

ホットドッグをかじり、軽軽しくふざけて通り過ぎる人々の間でのりまきを食 べている組合員たちは、結局自分自身が新しい活気になるほかはなかった。楽 しんで消費しようとする活気ではなく、生きるための活気であった。家族と 同僚のための活気だった。私は続けてタバコに火をつけた。

何度も続け様にタバコを吸う私が気になったのか、ある組合員が私にのりまき と水を持ってきた。ありがとうと挨拶をしてアルミホイルを取り、のりまきを 切った。

6時50分に闘争文化祭が開かれた。イ・ナムシン首席副委員長が司会をした。 一番最初に民主労総ソウル本部事務局長が出てきて発言をした。

続いてイーランド・ワールドカップ分会支援対策委員会から、イーランド労組 に闘争基金が渡された。支援対策委員会の執行委員長が出てきて闘争基金をキ ム・ギョンウク委員長に渡し、今日ソウルあちこちで同時に進めた1人デモを 組合員に報告した。

ヨン・ヨンソク氏がギターを持ち出したので驚いた。全く予想できない登場だっ た。組合員たちは一つ二つとキャンドルをつけて持っていた。ヨン・ヨンソク 氏の飾らない声が鳴り響くきれいな初秋の夜だった。

ヨン・ヨンソク氏に続き、ソウル一般労組共同委員長が出てきて発言をした。 続いてキョン・ミョンイン氏が響きのいい安らかな声で公演をした。

ホームエバーミョンモク店からきたというある組合員が出てきた。(名前がわ からず申し訳ない!)

「実は私が初めて闘争した時は、ちょっと太っていたんですけれど。闘争が続 くので体力的にあまり荷が重くなって、ちょうど家の近くにヨンマ山があって、 毎日登山をしました。ところが闘争が長くなり、登山も長くなりました。毎日 山に上りながら、私自身に催眠をかけました。この闘争に必ず勝利する。われ われは必ず職場に帰る。いつもそう考えて、今まで耐えてきました。ここにい らっしゃった仲間たち、民主労総の仲間たち、そして連帯の仲間たちすべて、 今までイーランド闘争を熱くしてくれました。職場に帰れるようにしてくれと いう私たちの正当な要求、素朴なおばさんの闘争は必ず勝利するでしょ..... 私たちの闘争は絶対に龍頭蛇尾になりません。初めに援護と支持をしてくれた ように今後も勝利できるように力強い連帯をお願いします。シュプレヒコールを 叫びます。

何がなんでもストライキ闘争勝利しよう!
われわれは必ず底力を発揮して、パク・ソンスを追い出さなければなりません。 われわれは生きるために死ぬほど闘争しました。私たちを助けて下さい!もう 一つだけシュプレヒコールを叫びます。
底力を発揮して、ストライキ闘争勝利しよう!」

ああ、私はスローガンを共に叫びながら、組合員の言葉がガラスの破片のよう に胸に飛びこんできて刺さるのを感じた。生きるために死ぬほど闘争したとい うのだから。100日近く断食をしているキリュン労働者と45メートル上で命をか けて座り込みをしているKTX労働者が、一瞬思い出された。すべての非正規職解 雇労働者の要求は一つだった。私たちを助けて下さい!

私は金があって権力を持つ連中の喉首を握り締めて訊ねたかった。それがそ んなに難しいことか?

続いてマイクを持ったイ・ナムシン首席副委員長は、にこにこと笑いながら、 ワールドカップ分会にもいよいよ歌グループができたといった。ファン・ソン ヨン職代と進歩新党党員チョ・ヘウォン氏が出てきた。ワールドカップ分会歌 グループを準備中だが、とりあえずデュエットで出てきたという。チョ・ヘウォ ン氏がギターをひき、ファン・ソンヨン職代が歌った。文化祭に参加したすべ ての人々がちょうどキャンプに来た若者のように歓声をあげ、肩を揺らせ始めた。

だが楽しい雰囲気は、イ・ギョンオク副委員長とホン・ユンギョン事務局長を はじめとする六人の組合員が歌に合わせて踊ろうと出てきた時、絶頂に達した。 人々は手をたたきながら喜び、笑い声はきれいな初秋の夜をぐるぐると回り、 歌にのって遠く夜空に鳴り響いた。歌とダンスが終わり、人々は力いっぱい歓 声をあげて、拍手を送った。

これからの生活が苦しい時も、孤独な時も、力になってくれるような記憶を思 わず確かめ合うような瞬間が来れば、今夜のイーランド労組テント座込み場前 で一緒に分けあった場を思い出すのではないかと私は考えた。涼しい夜の風と、 小さな赤い光の灯皿のようなキャンドルと、手をたたき、笑った姿と、歌声と、 座っていた座布団の触感と、ホットドッグを売っていた露天商のおばさんと、 最後まで険悪な表情を崩さなかった用役と、テント座込み場を通り過ぎた多く の人々と、ときどきインクがにじんだ私の手帳と、目の前でかげろうのように ただようタバコの煙と、その他、私が言葉で表現できない全てがたまには私の 胸をドキドキさせないだろうか、私は新しいタバコに火をつけながら考えた。

イーランド組合員に感謝したい。そして申し訳ない。私がもらったものほどに、 私もあげたかった。もしかすると、だから今この文を書いているのかもしれない。

文化祭が終わった。人々は挨拶をして明日の闘争を約束して散っていった。 歌声が止んだ夜空には、虫の声がいっぱいだった。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2008-09-12 08:42:32 / Last modified on 2008-09-12 08:42:33 Copyright: Default

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