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青い島、活火山を見ましたか?

[インタビュー]現代車支部非正規支会慶南産業解雇者たち

ソ・ヘシク(ルポ作家)/ 2008年02月18日13時05分

この道を最後まで走ると大和江が東海(日本海)に達し、ついに太平洋と一体に なる海が広がる。そこでは今日も輸出船舶が大きな口を開き、海外に売られる 自動車をごくりごくりと飲み込んでいるだろう。工場の出口では内需のために 売られる自動車がトレーラにのせられ、海岸道路からソウルへ、釜山へと四方 八方に売られる。ちょうど昼休みの終わりの鐘が鳴った工場の中、人々はまた 数百棟の工場の中に入り、決まった部品のように自分の位置に立ち、働いてい る。午後一時、数万人の労働者が働く工場だが、外からは人の姿を探すことは 難しい。コンテナボックスのような工場の中で、きちんとコンベヤーの速度に 合わせて息を吸い、息を吐く人々。人々はみんな工場の中に閉じ込められ、完 成した車だけが工場の外に出てくる。人はなく、自動車だけが見える現代自動 車工場。

島だった。青い島。

工場の正門を入ってしばらく車を運転して行ったところ。三人の非正規職解雇 労働者がいるテントは、午後のまばゆい日差しの下に青い島のようにふわふわ と浮いているようだ。

『粘り強い闘争!元職復職』 『必ず現場に戻る』

しびれるほど青いテントの叫び声を抱くスローガンが、ここが三人の解雇労働 者がいる所であることを知らせる。コンクリートの地面までしっかり閉じられ たジッパーを開いてテントの中に入ると、三人の労働者が私を待っている。 チョ・ジェヒョン、イム・テヒョン、シン・デウン。現代自動車下請け業者、 慶南産業の解雇労働者たち。たった今しがた外の世の中に出た娘の父や、故郷 の母の喉を詰まらせるなつかしい息子たち。一昨日は旧正月だったが、やっと 電話で家族に安否を伝えるしかなかった心が苦しい青年たち。走り寄って抱い てやりたい。とても熱いイワシの汁で雑煮を煮て、一杯、いや二杯、全身がいっ ぱいになるまで食べさせたい優しい子供たち。末っ子の弟のようで、甥のよう で、無邪気な目で私を見た息子のようなやつら。どうしようもない心を持て余 すしかない。電気カーペットを敷いたテントの中は思ったよりは暖かかったが、 風がはためく音が強く、行き来する外の車の音に気持が落ち着かない。魔法瓶 に入れた蜜茶がなかったら、私たちのぎこちなさは長く続いただろう。甘さが 濃くなるようにたっぷり蜜を入れた蜜茶を一杯ずつ回していると、少しずつ会 話が開かれる。甘い味は、時に苦しい暮らしの慰めになる。

非正規職を保護するという、あの馬鹿げた非正規職保護法さえなければ普通に 工場に通っているはずなのに、非正規職保護法が発効した昨年の夏、逆説的に も六、七年間、頑張って工場で働き、まじめに暮していた若い労働者たちが一 瞬で工場の外に追い出された。何度か名前の変更はあったが、いつもその場で 働いていた労働者たちにとって、新しく会社を引き受けた慶南産業はこれまで の勤続研修を認めず、新しい勤労契約書を書くことを要求した。非正規職保護 法のためだ。勤続研修を認めるということは、会社が非正規職保護法に違反す るからだ。長期間働いた労働者を正規職に転換するのではなく非正規職保護法 が実行される前に、これまで長期間働いてきた労働者たちの勤続経歴をなくし、 新しい短期契約を結ぶことが非正規職保護法を実現している工場の現実だ。あっ というまになくなった勤続手当の問題だけでなく、三ケ月、六ケ月、その上、 一日契約職暮らしで、一日で生活がめちゃくちゃになる瞬間が近付いてきたの だ。あの馬鹿げた非正規職保護法が工場を襲ったその瞬間に。

私たちには解雇される理由がない。いや。解雇される明白な理由がある。それ は、私たちが労働組合で活動したということだ。私たちの労働条件を改善しよ うとしたこと、会社の不当な待遇を正そうとしたこと、安全事故に備えた対策 作りを要求したことなど。それがまさに私たちが解雇された理由だということ を塗装3部で知らない労働者がいるだろうか? いや会社もよく知っているだろう。

たとえば2007年5月、塗装3部のシラー場でスキッド安全事故が発生した。事故 原因は明らかだった。センサーの誤作動による機械の欠陥だった。しかし会社 側の管理者は、労働者の不注意による誤作動だと言い張った。私たちは機械の 誤作動であることを、作業者が怪我をする可能性があることを繰り返し説明し た。しかし会社側は労働者のミスだと一蹴した。結局、作業者が怪我をした。 われわれはラインを止めて対策作りを要求した。それで、ようやくセンサーの 誤作動による機械の欠陥を認めた。そして安全装置を設置した。あえて非正規 職がラインを止め、安全装置を要求したから、元請と下請け会社のどちらも狙 いに狙っていただろう。

解雇された時を振り返るとあきれてしまう。業者が変更になって1週間は何の問 題もなく働いた。その時、われわれは新社長に勤続年数保障を要求した。しか し下請け社長の後に立ち続ける元請会社の壁に遮られた。勤続は諦めても雇用 は守ることで同意を集めた。そして集団で勤労契約を作成しようとしたが突然 元請と結んだ請負工程が減り、7〜8人は受け入れられないと言って5人を解雇し た。しかし会社は釜山地労委不当解雇の審理の場席では、そんな話は一言もし なかった。ただ『事業を新しく始め、彼らと勤労契約を結んでいないので解雇 は成立しない』と主張した。

ほんとうに理解できない世の中だ。使用者と労働者には互いに異なる常識が存 在する世の中だ。使用者に通じる常識は、われわれ労働者には通じない世の中 だ。持てる者の世の中だ。だから一日に何十回も諦めそうになっても歯をくい しばる。くやしくて腹が立ち、最後まで戦おうとする。最後まで闘って、必ず 労働者の常識が正しいことを見せてやろうとする。

・金属労組現代自動車非正規職支会慶南産業解雇労働者の闘争記録文より

昨年、金属労組現代車支部と非正規職支会は慶南産業労働者の解雇が発生した にもかかわらず、賃金交渉を無争議妥結で終えてしまった。労組が無争議妥結 で交渉を終わらせたことで、組合員の間には大きな動揺が起こった。労組が交 渉を妥結した状況で、下請け業者が戦いを引っ張り続けるのは無謀だという意 見があった。組合員たちは多くの憂慮と混乱に陥った。しかし誰一人も解雇さ れてはならないので、とにかく勤労契約書作成に同意して、その後にまた戦い を準備しようという方向で意見が集約された。しかし新しい業者を運営する慶 南産業は、勤続研修認定と勤労契約書作成拒否闘争を主導した五人の労働者と の契約を拒否した。名目上の理由は、余裕人員が多く、人を減らすということ だった。

他の同僚に勤労契約書を書きにこいという携帯メールが会社から飛んで行く間 にも、五人の労働者には何の連絡もなかった。内心不安だったがそれでも連絡 がくるだろう、くるだろうと黙黙と働いた彼らに9月10日、いよいよ会社から初 めて一通の携帯メールが飛んできた。「000氏は慶南産業と勤労関係がないので 賃金を支払わないのはもちろん、安全上の問題で生産作業から退出して下さる よう再度要請します。-慶南産業キム・ムンサン」。携帯メールを受け取っても 三、四日は仕事に通い続けているので、今度は同じ内容の内容証明が飛んでき た。これ以上、工場で仕事が出来なくなった。

「いろいろな話がありました。テントを張って座り込みをやめよう、すぐ秋夕 もくるのに、ではこのまま退いて埋ずもれてしまうのか。秋夕連休には工場に 誰もいないのだから、とにかく急ぐことはその前にこの事実を工場に知らせる べきではないかという話がいろいろ行き来しました。でもこのまま退くのはと てもくやしいので、この事実が工場の中で起きたということを人々に知らせる ことにしてテントを張りました」。

去年9月26日、初めて工場の前にテントを張ったが、四日後にどかどかと会社の 人々が走りよって物を取り上げるように強制的に労働者を持ち出し、テントを 壊してしまった。秋夕を送り、また十月の初めに二つ目のテントを張ったが、 今度は一日で取られてしまった。二つ目テントも空しく取られてしまい、共に 闘っていた組合員も少しずつ力が抜け、疲れていった。

工場の中、四車線の道路を走るトラックの重たい音と冬の風の音が騒がしくテ ントに襲いかかり、私たちの切実なインタビューは飲み込まれそうだ。今長い 日々を戦う彼らに向かって襲いかかる監視と暴力、かろうじて失業給与でがん ばっている生存が、いつ日照りで地面が出てくるように乾いてしまうかもしれ ないという危機感、初めは暖かかった組合員たちさえ、クモの巣のような監視 網に、今では工場の中では気軽に一瞥することができないという、この冷たい 現実が粘るその場で、彼らは1月22日に三つ目テントを張った。冬の酷寒でも頑 張れるように、もっと強くテントのロープを地面に縛りつけた。

「私たちが解雇されたら、そのまま出て行けば良いと思う知れませんが、これ は私たちだけの問題ではありません。今私たちの解雇問題は蔚山、大きく見れ ば全国の非正規職労働者全ての問題です。私たちがここで戦っていることを全 国に伝えなければなりません。最初は私たちになりましたが、私たちだけでは なく、誰かがこの闘いをしていることを全国に見せなければなりません」。

故郷が近い釜山だが、正月に家にも帰れなかった労働者チョ・ジェヒョン。自 分は年上だと思っているかも知れないが、今34歳の若い労働者の、世の中をす べて抱いているような重くつらい決心が胸を打つ。その響きがとても大きくて、 テントの壁を打つ外の音も私の耳に入ってこない。孤独で疲れてだるい島のよ うに見えたテントの中に、こんなに重く世の中の下に根をおろした木があった とのだから、岩があったのだから......

お母さん!申し訳ありません。

お母さん、気持はこいつがうまくいくようにと願うでしょう。大きくなった子 供が少しずつ歳を取ってもまだ結婚さえしていないのも心配でしょう。子供の 社会生活も、お母さんの立場ではとても不足だと思います。子供が心配で、家 の中でも外でも一刻も休むひまがないことでしょう。

こんな渦中で子供が会社を解雇されました。それでまだ復職の戦いをしていま す。こんな私の姿を見て「今からでも直ちに故郷に帰ってきて、他の職場で就 職の準備してはどうだい」とおっしゃいます。私でなくとも、今のように闘争 している仲間たちの両親もまたお母さんのようにおっしゃるでしょう。

だがこの国のこの土地、どこに行っても社会が変わらなければ、そこでも非正 規職です。そしてそこでも何の理由もなく、また解雇されたら次はどうすれば いいのでしょう?

お母さんは「ただ静かに暮してはいけないのか」とおっしゃいました。お母さ ん、申し訳ありません。本当に申し訳ありません。お母さんは私が小さい時か ら「間違ったことは許しを乞い、悔いて正しく生きろ」と教えました。私は正 しく生きるために努力しました。でも社会は優しい人を利用して、正しく生き ればバカ扱いします。法の通り、罪を犯さずに暮せと教えられても、悪いやつ らはその法を利用します。そして悪いやつらがいつも勝利します。

お母さん、金もなく譲り受けた財産なく、優秀なバックもない私はどう生きて いけばいいのでしょう? 私が成人になった今、お母さんはそのまま適応しろと、 不当なことを、誤っていることを、知んふりをしてやり過ごせとおっしゃいま す。お母さん、これは違うと思います。だから私は今くやしくて不当だと戦っ ています。ところがこうした私の行動がお母さんの胸に突き刺さるようです。 本当に申し訳ありません。お母さんを思えばいつも涙が出ます。子供が多いわ けでもなく、私と妹だけなのに...... 子供の道理も出来ず、長男の道理もきち んと出来ずにいます。

お母さんが私を思うほどではなくても、夜空の星を見るたびにお母さんのそば で行きたい思いが浮かびます。優秀ではなくても、それでもお母さんに親孝行 をしなければという思いをいつも胸の中に抱いて生きてきました。2006年にお ばあさんが亡くなった時、お母さんはとても後悔して、3日間、昼も夜も二つの 目から涙がかわく日はありませんでした。私はそんな姿を見ました。そして私 は知っています。お母さんはおばあさんに真心をつくしたのに親孝行がきちん とできなかったと言って後悔の涙を流されたということを。私もやはり同じで す。お母さんの姿を見ながら、お母さんが生きているうちに真心をつくさなけ ればならないということを知っています。だからいつも心の1か所が痛いです。 今度の正月にはお母さんのところに帰れないと思います。家がひんやりとして いるということを私もよく知っています。私は悪い奴です。死に値します。本 当に申し訳ありません。でも復職したら、きっと帰ります。だからそれまで、 健康でいて下さい。

・金属労組現代自動車非正規職支会慶南産業解雇労働者チョ・ジェヒョンの手紙文から

工場に入る前に外から電話で、何が必要かと聞いたが、あまり必要なものはな いと言うので、本当にそうなのかと思って家からやっと蜜茶だけ沸かしてきた が、実際にきてみると私の目には必要なものが全くない。テントの中はとても 乾燥しているのに、喉を潤すいい飲み物がない。外からくる時、ミカンでも買っ て来ればよかったと後悔する。前日まで旧正月連休期間で、構内食堂も門を閉 じ、数日間ちゃんとした食事もできなかっただろうに、突然手ぶらでやってき てインタビューをすると言ってあれこれ尋ね、再び労働者たちのつらい気持を 汲み出している自分自身がうらめしい。一度くるのも大変な工場なのになぜこ んなに何の準備もなくきたのだろうか。長い座り込みと冬の寒さで疲れている 彼らにミカン一箱でも買ってきたならどんなに良かったか。外ではありふれた ミカンだが...... ああ、私はインタビューという目的だけに汲々としていて、 まさにこの人たちが置かれている境遇と現実には無関心だったのがでないか。 インタビューは手段でしかなく、目的になってはいけない。人に細かい配慮を することもできない私の心遣いがインタビューをの間中ずっと心を押してくる。

彼らがテントを張っている所のすぐ近くには、彼らを解雇した慶南産業がある。 そして出退勤の時間になると同僚たちが会社の車に乗り降りする停留場が前に ある。きっと工場に帰るという決意と、同僚労働者の支持を訴える強烈な希望 がこの場にあるのだ。しかし風雨で田畑がさらわれてしまうように、二回もテ ントが取られながら闘っていた労働者たちが強制的に引きずり出される間も組 合員たちは静かだ。

「中で動かなければどうして会社は反応するでしょう。中でちょっと労働者が 動いてくれれば会社も反応するはずなのに......」

会社から何の反応があるかという私の問いに、インタビュー中ずっと言葉がな かった労働者シン・デウンがいきなり一言を投げる。彼の話は今このテントを 守っている三人の労働者皆の願いだろう。しかし今この時間にも工場の中で働 く労働者たちの気持は気楽なのだろうか。ここに足を一歩踏み入れれば不利益 になるのは明らかな不安な人生に、連帯の責任をすべて渡すのは残忍だ。だが 工場の中の彼らは果たして知っているだろうか。村大将軍のように、どっしり と工場の前を守っている外の彼らによって、工場の中の彼らは白菜の中葉のよ うに無事だということを。荒々しい波風に白菜の表面の葉が破れれば、中の若 い葉もみんな破れ、そしてまた誰かが白菜の表面の葉になって、中に襲いかか る波風を防がなければならないということを。

勤労契約書に明示された内容を聞いて偶然知った内容だが、慶南産業では三ケ 月、六ケ月単位と期間を明示した他の下請け業者と違い、契約書に契約期間が 書かれていないらしい。それだけでなく、一部の下請け業者ではいつでも一方 的に解雇できると契約書に明示するが、慶南産業の契約書にはそのような内容 がない。インタビューの途中、偶然にこの事実を知り、私は胸の一角がじんと した。三人の労働者のうち、誰もこんな話はしなかったが、彼らがここでテン トを張って最後まで戦うもう一つの理由がわかった。彼らがテントを畳む瞬間、 中にいる同僚の暮しも吹き飛んでしまうことを彼らは誰よりよく知っていた。 これが労働者の戦いだ。自身の利益を越えた大きな心。私はこの若い労働者の 戦いの前で身をすくめ、とても恥ずかしかった。

私たちがここから退いたら別のイム・テヒョン、チョ・ジェヒョン、シン・デ ウンが生まれるでしょう。だからわれわれは退けません。労働者たちは使い捨 てですか? われわれ労働者は現代車と下請け社長が好きにできる使い捨ての物 ではなく、暖かい血が流れる人間です。人間ですからわれわれは闘うのです。 不当に対抗して、生存権を守ろうとするのです。

・金属労組現代自動車非正規職支会慶南産業解雇労働者たちの闘争記録文より

インタビューで出会った多くの労働者から一様に感じるものがあるとすれば、 彼らには個人の私的な利益も目の前の安楽を心配する利己心もないという点だ。 彼らも人なのに、なぜ自分たちの生に不安と心配がないのかは、長い闘争を通 じてむしろとても気持が澄み、明確になったという感じがする。長い間の苦難 の中で解脱に達した仏様のように、人間は極限の苦痛の中で生活の真理とぶつ かったりもする。大雄殿の仏像の前でうずくまる貧しい衆生のように、恐れ多 く煩悩の多い私は、この若い労働者の前でしきりに私自身が破られるような痛 みを感じる。

このテントから工場の中のほうにもう少し走ると、東海(日本海)の海が始まる。 太平洋の始まりだ。海の始まりから韓半島の東の土地の終わりのここ。青い島 のようにテントを浮かべた労働者たち。しかし今分かる。彼らが浮かべたこの 青い島は小さな島ではない。東海の数千メートル下に、その深い根をおろした 火山島。熱い溶岩がまだ煮えている熱い島。ここは活火山だ。

「韓国の国民のほとんどが小規模の事業場で働く庶民です。いつまでこの小規 模事業場の解雇問題を見てばかりいるのですか? 今、ますます短期勤労契約に 変わっているのが現実です。このまま行けばますます庶民は食べて暮すことが 難しくなります。この事実を全国民すべてが知らなければなりません。子供を 産み、私たちの子供たちもこの現実を背負っていかなければならないのですか?」

彼らが問いかけている。非正規職保護法が襲った工場。一年から六ケ月に、六 ケ月から三ケ月に、1ヶ月に、一日に、ますます一時間の先も分からない不安な 生に追いやられているこの瞬間。果たしてわれわれは何事もないかのようにそ のまま暮していいのだろうか。明日にはまた誰の生が工場の外に追い出される かも知れず、また誰かの命がなくなるかも知れない。八ケ月になる赤子を外の 家に置いても、夜にはテントの中で背を丸くして寝る労働者イム・テヒョン。 とても重い話を始められず家の話には口を閉じたがる。ミルク代であり、おむ つ代はどうするかという明白な問いが喉まで上がってきたが、私はこの不吉な 問いを伏せておくことにする。ただしその赤ん坊がよちよち歩いきだす今度の 夏には、お父さんが工場で働いていたら良いという切実な願いだけを胸に刻ん だまま。

欲を言えば闇がおりるまで長い話をしたかったがすぐ退勤時間に合わせて、現 場闘争を始めなければならない彼らから、もうこれ以上の時間を奪うのは無理 のようだ。残念な気持を閉じ込めたまま、一つ一つ荷をまとめて私はまた習慣 のように何か必要なものはないかと尋ねる。

「必要なんものですか? 私たちの戦いをぜひ外に知らせて下さい」

ああ、やっと頭の中で次はミカン一箱を必ず買ってこなければと考えていると ころに、彼らの返事が打ち下ろす。切実な疎通、そして連帯...... この閉じ込 められた工場の中で、若い労働者たちが人間の生を叫んでいるというこの事実 を知らせてくれと。頼むから私たちがここに生きていることを。この切実な叫 びを知らせてくれ。知らせてくれ。

会社正門に出入証を返して車を運転して帰る道。家までの道にはホームエバー 労働者の青いテントがある。去年の夏から、あの馬鹿げた非正規職保護法が襲っ たその瞬間に、突然青い島々が都市に浮かぶ。世の中の底まで根をおろした火 山島。熱い活火山が。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2008-02-21 18:56:09 / Last modified on 2008-02-21 18:56:12 Copyright: Default

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