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[論評]中央と地方の温度差は晩秋の気温の差より大きかった

─民衆総決起、中央指導部の小心さを克服してこそ

チャムセサン/ 2006年11月23日4時47分

民衆総決起が始まった。ソウルと京畿はもちろん、大田、忠清、江原、全北、 光州、全南、釜山、慶南など、全国各地で70万が参加する民衆総決起が始まっ た。11月22日に始まった民衆総決起は、11月29日の第2次総決起、12月6日の第 3次総決起につながり、韓米FTA阻止と社会二極化の解消、そして労働基本権争 奪のための全民衆の闘争として始まっている。

この日、全国各地の道庁と市庁は労働者・農民、貧民と市民の怒りと叫びで覆 われた。忠南と慶南、江原そして全南道庁と光州市庁は、怒りに立ち上がった 労働者と農民により「接収」され、ほとんどの地域で道庁と市庁は一日中「糾 弾の対象」にされた。民衆総決起に参加した人々が見せたのは、他でもない生 活の基礎を崩す現実への怒りだった。それは開放農政と新自由主義政策で暮し を破綻させた盧武鉉政府への怒りであり、労働基本権を剥奪し、社会の二極化 を深刻化させるFTAへの怒りが集まって噴出したものだ。一株の白菜さえ買う 人がいないという農民の血を吹くような絶叫、いったい誰が病気の牛を食べる のかという慨嘆、今でさえ不十分な医療福祉をさらに悪化させていく未来への 絶望的な叫びだった。

しかし11月22日の第1次民衆総決起は、労働者・民衆の怒りと、これを越えよ うとする決然とした意志を見せただけではない。全国各地の数十万の民衆が闘 争したのと違い、ソウルではいつもより静かに総決起行事が進められた。早く から、交通渋滞を憂慮する政府と言論の無差別な扇動があった。まるでソウル 市内の交通が集会とデモで詰まるかのように悪意の扇動を行い、それは集会に 参加した大衆と市民を対立させる結果をもたらした。問題は、これをどう克服 するかという点だったが、大会を主催した汎国本と民主労総は、支配者たちの 論理に対抗できずに屈服し、静かに民衆総決起行事を進めてしまった。そして ソウルでの民衆総決起は、交通渋滞を憂慮した「静かな総決起」という形容矛 盾を産んでしまった。その結果、ソウル中心部の交通はいつもよりスムーズだっ たというのだから、これは市民と集会参加者の自発的な協力が成し遂げた皮肉 でしかない。

重要なことは、秩序を保ち平和に行進するのか、あるいは、果敢に道路を占拠 するかという闘争の「形式」の問題ではない。労働者民衆に要求されるのは、 支配者が要求する形式に応じるのではなく、本来の意図を生かす方法を探すこ とだ。主流の論理に抱き込まれた論理ではなく、労働者民衆の熱望がそのまま 表現される時、支配者の論理は崩れる。全国各地であれほど激烈な闘争があっ たが、新聞には深刻な交通渋滞という単語は登場しなかった。これがまさに現 実だ。民衆総決起の意味を生かし、いかに大衆が一つになるのか、労働者民衆 の怒りと熱望をいかに表現するかという点がカギだった。この点で、民衆総決 起闘争の指導部は、極めて小心な行動で集会参加大衆の熱望さえ挫くような行 動をしたという点で批判されざるをえない。短いデモ行進でも、集会とデモの 自由を守り、民衆総決起の意味を生かそうとする人権活動家と社会団体活動家 の絶叫が続いたが、総決起の指導部はこれも無視してしまった。これは汎国本 としての基本的な役割さえ忘れた処置でしかない。

さらに憂慮されることは、そうした問題が連続して発生しているという事実だ。 11月9日に開かれた民主労総闘争本部代表者会議では、労働者大会のイメージ と戦術が議論され、「闘争する」労働者大会をすることで合意し、具体的な戦 術は戦術会議に委任することになった。しかし戦術会議は招集されず、役員会 議で、集会だけを開くことに決めたという。代表者会議の決定事項を役員会議 でひっくり返してしまったのだ。こうした非民主的な意志決定構造はゼネスト に関する民主労総の決定事項の信頼を大きく落としてしまった。これにより、 ゼネストと民衆総決起の砲門をひらく11月12日労働者大会も「組合員の闘争の 疲労」を考慮して基調が修正された。このような状況は汎国本に続き、民主労 総に従っていく闘争基調が出てくることになった。そのためほとんどの地域で 大きな混乱があったという。

民主労総と汎国本には、果たして今現在の労働者民衆の怒り、現実を変えよう とする民衆の熱望をきちんと反映しているのかを問わざるをえない。民衆総決 起がこれほど差し迫った現実認識の中から出てきたのであれば、それにふさわ しい闘争を組織しなければならず、それが表現されなければならない。しかし、 ソウルとは違って全国各地で行われた現実は、晩秋の昼夜の気温の違いほどに 大きな格差を見せている。こうした現実、全国各地の労働者、農民、貧民が怒 るこの現実が何を語ってくれるのか、ソウルと中央指導部はなぜこうなったの か、何を反省すべきかを深刻に反省する状況に到達した。

光州では瞬間的に2万ボルトの電流が流れる俗称「レーザー銃」をデモ隊に撃 ち、何人かが負傷したという。交通渋滞を武器として、集会とデモの自由を根 源的に抹殺しようとする政府の意図はわからなくもない。だが、逃げて解決で きる問題ではない。一度ドロ沼にはまれば、抜け出すことができずにさらに悪 化するからだ。今、民衆総決起は始まった。間違いがあれば、すぐに直さなけ ればならず、誤りは反省して正さなければならない。さらに重要なことは、ま ずそのような意志を持つべきだということだ。民衆総決起が世の中を変えるた めの出発点であるとすれば、同時に労働者民衆自らも変える契機にならなけれ ばならない。これが民衆総決起にかける期待が特別なものであることのもう一 つの理由だ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンス:営利利用不可・改変許容仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2006-11-23 17:04:05 / Last modified on 2006-11-23 17:04:08 Copyright: Default

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