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News Item 20050518yon
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あらゆる人の飯の歌

[歌よ飛んで行け:文化活動家インタビュー](3)-3集「息」で迫るヨンヨンソク氏

イコンマム記者 iliberty@jinbo.net

*ヨンヨンソク3集「息」の表紙*

弘大前は本当にずいぶん変わった。住宅街を中心に活動していた貧しい作家た ちは、ピカピカの建物が住むようになって弘大前を離れ、弘大前は巨大な建物 と商業文化の林になりつつある。弘大前の巨大な繁みで生を歌う、怠けた血、 ヨンヨンソク氏に会った。ヨンヨンソク氏は1集、豚のダイエット、2集、工場 に続き、3集アルバム「息」を発表して、自分の生、私たちすべての生を歌う ために余念がない。雨の降る日、伝統喫茶店での対話は、一緒に飲んだ菊茶の ように濃密で香り高かった。

「私が一番したいことは、人々と呼吸して歌うこと」

しばらく前に、長かったけれどおもしろい歌マラソンがあった。ここにヨン ヨンソク氏も参加にした。ヨンヨンソク氏のホームページに、公演を見た人々が 「歌ってくれてありがとう。熱情的な公演、大変でしたね」と残した文から、 ヨンヨンソク氏の熱情的な舞台を想像することができた。道で無数の歌を歌う ものの、バンドと一緒に公演を構成して小劇場という空間で歌を歌うことは、 ヨンヨンソク氏にとってもう一つの経験であり、これまで心にわだかまっていた ものを何か少し解きほぐす機会だった。「苦しいレコード作業を過ぎても、 解きほぐせなかった私の胸の中で、なにか少しは解きほぐせました。私が一番 したいことは、こうして人々と呼吸しながら歌うことなんです」と公演を回想した。

ヨンヨンソク氏に今回のアルバム作業はあまりにもつらい作業だった。死を考 える程に…。今回のアルバムの題目は「息」だ。「息という題目は、何かの概 念というよりも、自分の姿をそのまま話したものです。私がいる、この世が、 うまくやっていけない程におかしくなってきたでしょう」。彼の話からは、世 の中の荷物をきちんと担おうとして苦悩する民衆の姿が見える。彼は初めて息 をするために、今の秩序を破壊しなければならないと話す。「今の息がつけな い社会を、すべての人が共に息ができる世の中にしようとすると、破壊しなけ ればなりません。私たちを取り囲んでいる抑圧と差別などの全てを破壊しなけ ればならないんです」。彼は息をするために、難しいが破壊の道を歩む。

「歌というものは、自分の生の困難を払い落とす過程にならなければいけない のですが、今回のアルバム作業はどうしても心にわだかまっていることを払い 落としてしまうことができません。歌は、希望を語らなければならないのに、 私はそういうことがあまり好きじゃなくて...実際、あまり希望が見えないん ですよ。私の歌はどうしてこんなにつらいのか...(笑い)」。

3集アルバム「息」、息をつくための破壊

3集アルバムには13曲が含まれる。12曲、そして1曲はボーナスだ。「最初は14 曲を入れる予定でした。最後の曲があって「終わり」という歌です。私の話を そのまま込めた歌なんですが、私にはこれ以上残っているものがない。すっか りなくなった。終わりだ。そんな私の話をそのまま込めた歌でした。ところが、 それでこの歌を入れるとあまり憂鬱になりそうなので、入れれませんでした」。 彼は歌は、時代を反映して、社会をありのままに見せるもので、曲を作る人の 姿をそのまま表すことだと考える。「終わり」という歌は、こうしてヨンヨン ソク氏の気持ちをそのまま込めた歌のるようだった。

曲の紹介を頼むと、録音してずいぶんたつのであまりよく覚えていないと言い、 記者をあわてさせた。「思い出すままに言うと、『最後のカード』という歌が あります。この歌は、カードの借金で最後のカードである死を選択せざるをえ ない人々の話です。カードの借金で自殺する人多いでしょう? カードの借金 で子供を投げて自殺したおかあさんの話は私を悲しくさせました。「脆弱で」 という歌は、戦争のような日常の話です。戦争のような日常、私の利益のため に誰かを殺さなければならない世の中、そして、それを認めざるをえない脆弱 な姿を見せようとしたんです。「パン」という歌があるんですが、歌詞はとて も簡単です。働いてパン食べて、また働いてまたパン食べて...仕事中毒になっ ている人々の話です。「なくした笑い」は私の話です。惰性の生で笑いをなく し、人に会うのも嫌だった私の状態をそのまま見せたんです」。今回のアルバ ムの歌は、彼が考えるように時代を反映し、時代を生きる自分の姿を鏡のよう に映している。

「おお私の飯、おお私の飯」

いつのまにか中堅歌手になったヨンヨンソク氏は、どうして歌を歌うようになっ たのだろうか? 「元から音楽が好きでした。小さい時は、子供合唱全国大会に 出て一等にもなったんですよ。唯一の男子ソプラノでした」。音楽と美術を好 んだ彼は、画家になりたくて美大に進んだ。

「大学に行って熱心に運動をしました。それで卒業する頃になると、社会出て 何をするのかと悩むようになりました。漠然と現場に行かなければとも考えま した。それとともに、現場にいる文化活動家単位と出会って、文化芸術生産者 連合を作りました。その中には映像、音楽、美術、文章を書く人々が集まって いました。その時、小さな空という歌サークルがあって、毎日練習だけしてい たんです。その友人を見て、機能も重要だけど何の歌を歌うかについて悩まな ければいけないのにと思いました。それで、これまで私がそうだなあと思った 文章を集めて練習室前に貼り付けておいたんです。その詞に曲を付けた歌は、 「戦線はある」「同志に」のような歌です」。ヨンヨンソク氏の音楽との出逢 いはこうして始まった。

「ある友人がギターを弾いている姿を見て、まるで私が初めて美術を始めた時 の気持ちのようでした。それとともに私も音楽をしたいと思ったんです。私も 音楽をするんだと冗談のように騒いでいました」。20代後半、自分の全てを捧 げて文化芸術生産者連合を運営した。だが、生計といくつかの問題で、人々は 離れ、結局団体は解散した。「私の意志とは違って団体を解散することになり、 とてもつらかったです。その時に初めて死を考えるようになって、運動をして 初めて自分自信を振り返るようになりました。就職をするかと思ったのですが、 またこっちに戻ると言い切ることもできなくて....そうこうしながら歌を歌え ば、飯が食えないかと思ったのです。以前、集会の飾りを作って、現場で彫刻 展示会もしたのですが、飯がもらえました。飯も食べられて私がしたいことが できたら、どんなに良いでしょう(笑い)」。彼は歌を歌い始めた。そして天地 人公演にパンクしたゲスト席を満たしたのを契機に、本格的に歌を歌った。

インタビューの間も、公演渉外とレコード作業の仕上げのために電話のベルが なり続けていた。ヨンヨンソク氏は移住労働者、貧民、長期闘争事業場など、 最も苦しい人々がいる空間で会える。彼は飯のために戦う人々に、現実と、現実 を超えた何かを話し、飯のために歌う。彼にとって飯は、歌を歌うための原動力で あり、歌の素材であり、歌の全てだ。

日程より遅いインタビュー記事を書いている記者に一本の電話がかかってきた。 「3集アルバムの記念公演をすることになりました。6月4日の7時30分、弘大前 ローリングホールでやります。これも必ず記事にいれてください。感謝します」。

そんなに飯だけ食べて暮せるんですか。飯も食べて、生活が苦しいですね。そ んなに飯だけ食べて暮すのもつらいですね。私が世の中に暮している理由は、 飯を食べるためだけではない。私も、私にも誰にも劣らない夢があった。私の 愛する人々と共に暮していきながら小さくても私の夢を育てたかった。ああ私 も夢を見はしたのか。私にも夢というのはあったのか。そう、私は呪われた土 地で夢も忘れた。一寸二寸前も見えないこの土地に。一日一日、生きていくこ とさえ手に終えない呪われた青春の時間を送る。おお私の飯、おお私の飯 〜ヨンヨンソク2集工場「飯」歌詞より

2005年05月17日18時31分

原文

翻訳/文責:安田(ゆ)


Created byStaff. Created on 2005-05-18 18:00:07 / Last modified on 2005-09-05 08:07:54 Copyright: Default

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