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韓国:竜山惨事遺族、入居者対策を要求して座り込みに突入
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竜山惨事遺族、入居者対策を要求して座り込みに突入

中区巡和洞開発地区、昨年から工事開始…「7年間歯ぎしりしてきました」

キム・ヨンウク記者 2015.01.20 10:55

2009年1月20日、生存権を要求して櫓に上がり、 警察特殊部隊の無理な鎮圧で撤去民5人と特殊部隊員1人が炎に包まれて死亡した竜山惨事の痛みが ソウル市中区巡和洞に続いている。

竜山惨事の当時、犠牲になった故ユン・ヨンホン氏と、燃える櫓から墜落して負傷したチ・ソクチュン氏は、 中区巡和洞(巡和第1-1区域都市環境整備事業)の撤去民だった。 巡和洞撤去地域も竜山惨事撤去の懸案と同じ商店街入居者の問題だったため、 竜山撤去は他人のことではなかった。 どちらも全国撤去民連合に所属し、惨事の前日、 竜山撤去地域の櫓座り込みに連帯しに行って惨事にあった。

2008年3月に撤去が完了し、7年の歳月が流れたが、巡和洞は一昨年まで工事をしなかった。 6年ほど空地だったが、2013年の8月に着工申告がなされた。 組合設立不存在確認訴訟などの紛争で5年ほど事業が中断されたうえ、 2012年12月に東部建設からロッテ建設へと施工者が変更され、 昨年春に本格的な工事が始まったためだ。

巡和洞の入居者はユン・ヨンホン氏の夫人、ユ・ヨンスク(56)氏とチ・ソクチュン(45)氏の二世帯だけが残っている。 二世帯とも有名な飲食店街のここに入居者として入り、それぞれ10年、7年ほど商売をして、 家族と共に店と住居を兼ねて暮らした。 二世帯とも設備投資費はもちろん、5千万ウォンもの保証金も受け取れず撤去にあった。 彼らの要求は別の場所で商売ができるように生計対策を用意してくれと言うことだ。

ユ・ヨンスク氏は「ここは本来市庁職員と警官、ホワイトカラーがよくくる有名な飲食街だった」とし 「ミラクチョンイという食堂をしていたが、昼は田舎からのキムチを入れたキムチチム、 夜には肉を出した」と当時を回想した。

チ・ソクチュン氏は夫人と共にミンムルジャンオ・ナルという食堂を運営していた。 1階に6つ、2階に5つのテーブルを置いて自分が厨房をし、夫人がサービスをして、人件費を節約して運営した。 チ・ソクチュン氏は「多くの金は稼げなくても貯蓄してただ暮らすには十分だった」と述べた。 チ・ソクチュン氏の店は保証金5千万ウォン、権利金も5千万ウォンだったが、一銭も受け取れなかった。 チ氏は「家主が保証金を払うべきなのに私たちの場合(再開発)組合が建物を買ってしまった。 組合は話をしないが撤去費用で通常保証金が行ったという話がある。 一銭もなく追い出された」とし 「ここは厳格に払うべき移住費もきちんと払わずそのまま持っていった。 本当に泥棒だ」といった。

ユ・ヨンスク氏は2007年に巡和洞の撤去が始まる頃までは、闘争をあまり知らなかった。 ほとんどの撤去のように、強制撤去が入ってくると用役と戦わなければならず、 夫とチ・ソクチュン氏が闘争と連帯に行った。 だが竜山惨事に連帯に行ったユン・ヨンホン氏の死は、ユ・ヨンスク氏を変えた。 竜山惨事は合意したが、まさに自分の懸案だった巡和洞の問題が解決せず、 ずっと心の荷物に残っていた。 「竜山惨事の合意後も、遺族は全国を歩き回って闘争を続けた。 それと共に他の遺族は商売をして、少しずつ落ち着き始めたが、 私は巡和洞地域の工事が始まれば座り込みに行かなければならず、 商売を始めることもできなかった。それで大変だった」と言う。

当初、座り込みは昨年4月の整地工事が始まるのを見て、その時に突入を考えた。 だが数回手術を受けたチ・ソクチュン氏の再手術が5月に予定されていたうえ、 セウォル号惨事が起きた。 座り込み突入をセウォル号問題の解決後に先送りして、建物がますますできていて、 これ以上先送りできないという判断が作用して、1月18日にテントを張った。

チ・ソクチュン氏はまださらに手術を受けなければならないほど、体調が悪い状況だ。 当時、火から逃げて竜山の櫓から墜落し、左足のかかとが六つに割れ、腰骨が折れた。 足首は両方とも動かないほどだった。 彼は「片方は良くなったが、片方は骨が壊死して刺激すればつぶれてしまう。 血液の循環もできない。 それをみんな出して骨を移植しなければならないが、一昨年の12月に移植手術が失敗し、 昨年5月に再手術した」とし 「手術がうまくいったようだというが、来年6月にCTを撮らなければならず、 人工関節にしなければならない。 当時、腰骨が折れて今もとても腰が痛い」とからだの状態を伝えた。

ユ・ヨンスク氏は「ここが空地だった時はいつも心が重かったが、 実際にテントを張って入って来ると気が楽だ。 戦いが終われる契機が来たなあと思うと、とても気が楽でうれしい」とし 「工事をせずに数年間、何もできず手をこまねいていたが、やっと気が楽になった」と言う。 ユ・ヨンスク氏は「空にいる夫が支援してくれるでしょう。 明日(6周忌追悼式がある)磨石に行って助けてくれと話さなければ」と笑った。

1月18日に座り込みに突入した日、座り込みテントを張ったが大雪が降った。 チ・ソクチュン氏も「テントを張るのに大雪が降り、神様が私たちを祝福すると気がおかしくなったようにとても喜びました。 7年でしょう。7年間、ぎりぎりと歯ぎしりをしてきました。 本当に不届きです」と笑った。 続いて「昨年、再手術のために座り込みが延期されて残念でしたが、 それでも始めれば半分と言います。勝利のために肯定的に考えようとしています」と付け加えた。

テント座り込みに突入した翌日の19日の朝7時には、ロッテ建設側と衝突があった。 朝7時に入ろうとしていた工事車両を阻止した。 ユ・ヨンスク氏は「ロッテは自分たちは知らないといいました。 東部建設に交渉しろと言うのですが『施工者がロッテに渡った時はこうした問題があることをすべて知って、それも甘受したのではないのか』と問い詰めたところ 『組合に行って話せ』と言うので、それなら再開発組合の人を連れてこいといった。 悪口を言って、謝罪も受け、昨日取って行った横断幕もまた受け取った」と状況を伝えた。

二人はもう座り込みプログラムを作り、テントもさらに広げて、本格的な座り込み闘争を続けていく予定だ。 竜山惨事真相究明委は 「『竜山惨事』の被害で精神的、身体的苦痛をあじわっている当事者が、 また苦しい闘争に追い出されている状況で、 ソウル市と中区庁が問題解決に動けるように、孤独な闘争にならないようにしてほしい」と訴えた。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-01-21 14:45:38 / Last modified on 2015-01-21 14:45:39 Copyright: Default

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