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女性の日『祭り』に対する遺憾

[3・8 100周年][記者の目]共に戦える女性の日を期待して

イ・コンマム記者 iliberty@jinbo.net / 2008年03月07日15時21分

山川も十回は充分に変わる時間、しかし変わらないものたち

ちょうど100年だ。100年といえば山川が十回は充分に変わる時間で、普通の人 なら体験できない時間だ。しかし変わらない多くのことたちがある。

100年前、米国トライアングルという被服会社で火事が起きた。146人の女性労 働者が火に焼かれて死んだ。彼女たちは通りに出て「賃金を上げろ」、「一日 10時間だけ働かせろ」、「労組を結成する自由をよこせ」を叫んだ。

100年後、ニューコア-イーランドの非正規職女性労働者は、キリュン電子非正 規職女性労働者は、清掃用役女性労働者は、学校非正規職女性労働者は、非正 規職の70%を占有する女性労働者は、「労働組合活動を保証しろ」、「安定した 雇用を保証しろ」と叫んでいる。100年過ぎても彼女たちは相変らず道路で 『人間』になるために戦っている。何も変わっていない。

▲チャムセサン資料写真

国際労働機構(ILO)の最近の報告書によれば、世界の就職女性数は昨年12億人で、 史上最高の水準を記録した。10年前と比べて2億人以上増えた。だが女性たちの 雇用は安定性が低下し、給与が低い職種に集まっている。

韓国の状況はさらに深刻だ。国際労組連盟(ITUC)の報告書によれば同一労働下 での女性の賃金格差は世界で韓国が一番大きかった。労働部の『2007年度事業 体勤労実態調査』によれば、女性労働者の賃金は男性労働者の64.8%で、同じ 正規職でも賃金は男性正規職の66.5%にしかならない。貧困を脱出するために 女性たちが就業戦線に出ているが、これは不可能だ。100年前と変わっていない。

『祭り』が必要だ。しかし今『祭り』を楽しめない

何も変わらない女性の人生を変えるという国際女性デーをむかえ、多様な行事 が準備されている。しかし準備されるイベントの姿はあまりにも違う。一方で は『祭り』をし、一方では『闘争』を準備して。

[出処:国際女性デー100周年記念3.8女性フェスティバル組織委員会]

主流女性運動と呼ばれる韓国女性団体連合などの167の団体は、『国際女性デー 100周年記念3.8女性フェスティバル組織委員会』(3.8祭り組織委員会)を構成し、 3月8日にソウル市庁一帯で『フェスティバル』をする。民主労総と韓国労総も 彼女たちと一緒にする。彼女たちは、「女性、新しい共同体世の中を開こう」 という題名をつけた。『新しい共同体』の価値は「人、ケア、共生」と説明される。

利益ではなく人を、ケア労働に対する社会化を、これを通じて誰もがともに暮 らす『共生』という共同体を作ろうということだ。もちろん、主流女性運動が 提示する一つ一つの価値について論じる点はとても多いが、なぜ『祭り』でな ければならないのかだけを論じよう。

  1. 8フェスティバル組織委員会が要求する○非正規職差別撤廃、最低賃金現実化 ○性平等家族政策実現、保育の公共性強化○統合的人権教育実施、差別禁止法 制定○移住女性に対する差別反対○女性障害者雇用割当制強化○食糧主権実現、 女性農民の社会的地位保障などは、祭りで得られるものではない。有名なキム・ ミファ氏とキム・ソンジュ氏が司会をして、青、紫、緑、赤で飾ったパレード カーで通りをデモ行進しても得られるものではないということだ。

もちろん闘争も、集会も、楽しく行われなければならない。祭りのようにしな ければならない。市民と共に声を出して、間違いを間違いだと叫ぶ祭りにしな ければならない。だが、主流女性運動が準備している今回の『祭り』は、参加 する団体の要求をならべて有名な芸能人を呼んで、遊び(?)、1908年紡織工場の 女性たちの痛みと、2008年の非正規職女性たちの戦いを生きた記憶にするので はなく、彼女たちの闘争を色あせた写真として額縁の中に入れて『記念』しよ うというだけとしか思えない。

一方で韓国女性労働者の会は、「ケア労働者として働くハンブモ女性の劇中の 主人公、カン・ファジャが体験するケア労働のストレス、ハンブモとしての困 難、非正規職労働者としての困難を経験して、闘争で『無期契約』を争奪する」 という内容で全国を巡回し、マダン劇をするに至ってはあきれるほどだ。無期 契約は、政府では『正規職』だと騒ぎ、労働界は契約を『武器』とするだけで、 むしろ非正規職を固定させる手段だと批判していることでもある。

▲チャムセサン資料写真

『女性の政治勢力化』焦点はどこにあるべきか

また、結論は『女性の政治勢力化』だ。もちろん4年に一回、国会議員を選ぶ総 選挙という重要な政治日程があるので、これは必ず問いかけられるべき問題だ。 だがこれまで主流女性運動で現れた『女性の政治勢力化』は、女性が国会に入 ること、政治に入門すること以上の意味を持てないのは事実だ。前の大統領選 挙で朴槿恵が有力な候補に浮上した時、これを支持すべきなのかどうかをめぐ り、主流女性運動の内部で行われた議論はこれを克明に見せる。

もちろん、世の中の半分が女性なのだから、政治でも何でも半分は女性という 性が占有するのは当然のことだ。これを遮っている障壁はすべて消えなければ ならない。しかしこれで終わってはいけない。判検事になる女性が増えたとか、 アルファガールだとか、ゴールドミスだとか、女性上位時代がきたとか世の中 は騒ぐ。だが女性の人生は何も変わらないという『現実』を認識しなければな らないということだ。女性が政治勢力化することの意味は、単にたくさんの女 性政治家を輩出するという意味を越え、政治を『女性主義』に再構造化するこ とに焦点が合わされなければならない。

女性の闘争力を確認する『国際女性デー』

1920年、ロシア革命家のコロンタイが書いた文では、初の国際女性デーを次の ように記録している。

「初の国際女性デーの行事は1911年に開かれた。成果は期待以上だった。女性 の日、ドイツとオーストリアでは多くの女性があふれ出て、海になった。小さ な都市のあちこちで会議が開かれ、村の講堂をぎっしり埋めた女性たちは、労 働者たちに席を作るよう要求した。これは女性労働者の闘争力を確認させる初 めての契機になった」

▲チャムセサン資料写真

そうだ。国際女性デーは、「女性労働者の闘争力を確認する日」だ。ケア労働 を社会化すると言いながら、これを低賃金、非正規職女性労働者で満たす世の 中に対抗して、仕事と家族を両立させなければならないと言いながら、女性に 仕事と家族の両方に責任を負うスーパーウーマンになることを強要する世の中 に対抗して、結婚せず、子供を産まない女性をまるで国家を滅ぼす犯罪者扱い する世の中に対抗して、女性の闘争力を確認する日にならなければならない。

2008年、現実を生きる女性たちに必要なことは、『祭り』ではなく共に戦えば 変えることができるという勇気を確認する『国際女性デー』だ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2008-03-08 03:24:57 / Last modified on 2008-03-08 03:24:59 Copyright: Default

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