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「キム・ヨンヒの死の生中継が一日も早く終わることを...」

[ヨンジョンのバカみたいな愛](101)サムスン解雇労働者キム・ヨンヒ氏のハンスト55日高空籠城48日目の話

ヨンジョン (ルポ作家) 2019.07.30 18:24

あいつの代りに私が上がったほうが気が楽だ

「サムスン重工業解雇者のイ・ジェヨンです。 (サムスン電子の李在鎔(イ・ジェヨン)副会長と)名前が全く同じで、 毎日悪口を言われています。 名前が同じだからではなく悪い奴と名前が同じなのでくやしいです。」

サムスン解雇労働者キム・ヨンヒ氏のハンスト55日目、 高さ20メートルの江南駅交差点CCTV鉄塔高空籠城48日目になる7月27日午後、 サムスン本館がある江南駅8番出口前。 緊急糾弾集会「サムスンは殺すつもりか?」でイ・ジェヨン氏が闘争経過を報告する。

彼もサムスン重工業の解雇者で、サムスン無労組経営の被害者だ。 労組の設立を妨害するためにサムスン側はイ・ジェヨン氏に対し、 角材テロや恐喝・脅迫・暴行・連行をして解雇した。 イ氏は2013年に民主化運動名誉回復補償審議委員会で民主化運動と認められた。 該当委員会はサムスン重工業に元職復職を勧告したが、 サムスン重工業は経営難を理由に復職を履行をせずにいる。

イ・ジェヨン氏は水をキム・ヨンヒ氏に上げてやりながら、 彼の状態をチェックして対話もし、 彼が一日も早く地面を踏めるように下で闘争している。 集会の時、経過報告もいつもイ氏の役割だ。 高空ハンストが長くなるほど、イ・ジェヨン氏の顔も黒くなり、やせていく。

▲ハンスト55日高空籠城48日目のキム・ヨンヒ氏[出処:ヨンジョン]

「今日、私が電話をして話をしました。 いっそ私と代わろう。私が上がる方が気が楽で、とても見ていられないので 降りてこいと話しました。 降りてきてはだめでしょうか? 降りてこなければならないのに、そのままは死んでも降りられないのです。 上がる二日前にも死を覚悟したという話を3、4回強調して上がりました。」

イ・ジェヨン氏はこのように長くなるとは、キム・ヨンヒ氏も考えていなかっただろうと言う。 イ氏を本当に驚かせたのはサムスンの態度であった。

「サムスンが人間なら、何かの対策が出てきただろうと考えます。 もちろん、サムスンで職業病で死に、テロをして、 そんな悪いことをしてもサムスンは自分はしていない、 直接やったのではないといいます。 いくらそうだとしても、いくらそれほど悪辣なサムスンでも、 高空鉄塔の上から乾いて肉がなくなり死んでいく醜い姿を見ながら、 まだ一抹の言葉もなく、対応もありません。 人であることを拒否したどころか、あいつらはもう人ではありません。」

イ氏はサムスンを人でなし扱いをしても、 サムスンを変えなければならないといった。 そしてキム・ヨンヒ氏が復職合意書を持って地面に足をつけるまでは、 自分もここから一歩も退かないとし、連帯を訴えた。

「一日に一回ずつ、経過報告を続けるが、 経過報告をしていると、ふと死んでいくキム・ヨンヒの生中継をしているような思いがして、 言葉を続けられないことも多いです。 キム・ヨンヒが死んでいく生中継が一日も早く終わればということが私の希望です。」

▲経過報告をしているイ・ジェヨン氏[出処:ヨンジョン]

正義をたてる闘争、民主労総が連帯する

梅雨の雨がしばらくやみ、湿っぽく蒸し暑い天気にもかかわらず、 300人以上の労働者と市民が集会に参加した。 キム・ヨンヒ氏が高空籠城を始めてから一番多くの人員が集まった日だ。 遠くは大邱で 1か月近くパク・ムンジン、ソン・ヨンスク二人の解雇労働者が高空籠城をしている 保健医療労組嶺南大医療院支部の組合員たちも上京して連帯している。

民主労総のキム・ミョンファン委員長も参加して発言をする。 キム委員長はサムスンのビルが建ち、 サムスンの富が貯まるたびに多くの労働者たちが監禁され、拉致され、 労働組合が崩れ、市民がマイホームから追い出されたという話で発言を始めた。 キム委員長は、サムスンの反労働・反倫理的な態度を断ち切るために連帯してくれという キム・ヨンヒ氏の食を断った悲鳴が50日を越え、 生死の岐路に立っているのに、 サムスンはそのどんな応答も懺悔もしないと糾弾した。 そして、この闘争に民主労総が連帯するという決意を表明する。

「われわれ民主労総は、キム・ヨンヒ同志と共に靴ひもを締め、 鉢巻をしっかり巻いて共に戦います。 単に個人ではなく、サムスンが韓国社会で犯した拭えない罪悪を断罪し、 これ以上続かないように韓国社会正義を正すというキム・ヨンヒ同志の闘争に連帯します。 正義をたてる闘争、サムスンの反倫理的ふるまいをこれ以上続けさせないという決意を新たにする闘争を 民主労総が受け取めて共に戦います。」

▲キム・ヨンヒ氏に手を振りながら、喚声をあげる集会の参加者[出処:ヨンジョン]

長い間、解雇労働者たちはいつも孤独でした

この日の集会はサムスンを糾弾する集会だったが、 長期間高空ハンストで生命が危ないキム・ヨンヒ氏を助けるために、 土地に降りてきて共に戦おうと説得する場でもあった。 これは最近作られた 「サムスン解雇者高空ハンスト問題解決のための市民社会団体共同対策委員会 (以下『サムスン解雇者対策委』)」の公式決定事項だ。 キム・ヨンヒ氏は何日か前から水も飲まずにいる。 キム氏は足も伸ばせない狭い空間のために足を外に出して座り、集会に参加している。

集会中にキム・ソヨン(サムスン解雇者対策委)、 ユン・テックン(民主労総副委員長)、 イ・ドグ(民主社会のための弁護士の会、以下民主弁護士会)、 チョン・ジナン(人道主義実践医師協議会、以下人医協)氏が キム・ヨンヒ氏を説得するためにはしご車で高空籠城場に上がった。

「今日のような日はサムスンに踏み込まなければならないのですが。 私たちにそれができず、高空で命を賭けて戦っているキム・ヨンヒ同志を助けたくて 地上で一緒に戦おうと説得しに上がることになりました。 私の人生でこんな日がくるとは思いませんでした。 戦う人がもっとしっかり戦えるようにすることが、 これまで私たちの運動であり、活動だったと考えます。」

キム・ソヨン氏の人の手がとどかない高空ハンストが55日になり、 命が危なくなり、降りてきて戦おうと説得することになったと残念さを表現した。 キム氏自身がキリュン電子分会闘争の時、 94日間のハンストをして、ハンストの中断を要請する多くの声を聞いた張本人だったからだ。

「キム・ヨンヒ同志をはじめとするわれわれ長い間の解雇労働者たちは いつも孤独でした。 これまで孤独に戦ってきた労働者にとっては、すぐ昨日の事です。 われわれはこれまで、それを忘れて暮らしてきました。」

キム・ソヨン氏は キム・ヨンヒ氏が降りてくれば最後まで一緒に戦ってほしいと訴えた。

▲高空籠城場に上がる前に発言をする代表団[出処:ヨンジョン]

人の体で一番貴重な部位は痛いところ

キム・ヨンヒ氏は1982年にサムスン航空昌原第1工場に入社して、 2年後にサムスン時計に転勤発令が出され、働いた。 1990年にキム・ヨンヒ氏がサムスングループ慶南地域労組の設立準備委員長として活動すると、 サムスンはキム氏を拉致し、労組放棄脅迫と暴行をして家族までを懐柔脅迫した。

それでもキム氏が労組設立を諦めなかったため、 サムスンは事件を捏造して性暴力容疑で彼を懲戒解雇する。 1993年の解雇無効確認訴訟控訴審裁判で当時の文在寅(ムン・ジェイン)弁護士(現大統領)が 性暴力の事実はないという公証書を裁判所に提出せずに敗訴する。 その後、サムスンは大法院の公判15日前に上告取下書の作成を条件として キム・ヨンヒ氏と系列会社に1年勤務した後に元職に復帰すると合意した。 そしてキム氏をサムスン建設(サムスン物産建設支部ロシア・スモレンスキ支部)に発令を出した。

だが、サムスンは引続いてキム・ヨンヒ氏に労組放棄を強要して 暴力と復職合意書恐喝、スパイの汚名をかぶせて告発するなど、 あらゆる方法で困らせて解雇した。 その過程でキム・ヨンヒ氏の父親は遺言状を残して行方不明になり、 彼の妻はサムスンの指図を受けたと疑われる警察から大きな苦痛を受けた。 サムスンが彼の家族に加えた苦痛は20年以上、彼の胸に大きな傷として残っている。 結局、キム・ヨンヒ氏は定年まで一か月という6月10日、 ハンスト8日目の体でサムスンに復職と謝罪を要求するために、 高空に上がる選択をすることになる。

高空籠城の後、 市民社会団体がサムスンに問題解決を要求して交渉を要求をしたが、 サムスン側はキム・ヨンヒ氏が働いていた会社は現在、 サムスングループの所属ではなく、 当時の関連職員がサムスンに残っていないという理由をあげて、何の対策も出さない。

イ・ドグ弁護士は自分が活動している民主弁護士会で、 李在鎔(イ・ジェヨン)拘束のためにソウル中央地方法院の前にテントを張った時、 梁承泰(ヤン・スンテ)前大法院長拘束のために大法院の前でテント野宿闘争をした時、 鉄格子の中にいる李在鎔の造形物を引っ張ってきた人が キム・ヨンヒ氏だったということを一足遅く知ったし、申し訳ないといった。

「人の体で一番貴重な部位はどこでしょうか? 心臓ですか? 肺ですか? 胃ですか? 脳ですか? 違います。 人の体で一番貴重な部位は、痛いところだそうです。 キム・ヨンヒは私たちの痛い手、痛い足、私たちの痛い心臓、 爪にトゲが刺さった指です。」

イ・ドグ氏は監獄でひとりが寝るために使う面積は1.06m2だが、 その半分にもならず、眠ることも出来ない空間に、 これ以上キム・ヨンヒ氏を置いておけないとし、 降りてきて一緒に戦おうと訴えた。

この日の集会進行の最後には 「キム・ヨンヒ同志を迎える」と記載されている。 その下には、降りてこない場合のプログラムも共に書かれていた。

一時間ほど、四人が順番にはしご車に乗って高空に上がり、キム・ヨンヒ氏と向き合う。 キム・ヨンヒ氏がひとりひとり上がってくるたびに握手をして話をする。 キム・ヨンヒ氏の手を握って説得してみたりもしたが、結果は失敗だ。 暑い中で四回もはしご車に上がっては下りた消防労働者に、 代表団がお疲れさまと挨拶すると、 ある消防労働者は自分たちはかまわないと言って残念そうな表情をする。 はしご車から降りて、なぜとても危険に見えるこの闘争をするのかと 消防労働者が心配していたので、キム・ソヨン氏が説明したという。

▲キム・ヨンヒ氏と彼を説得するために上がった代表団が話をしている場面[出処:ヨンジョン]

サムスンが謝罪して問題解決に出てくるようにしなければなりません

「元は79kgまでありましたが、今は50kgもない状況です。 一時的に前が見えない症状を訴えましたが、 関連して話すことを望まれなかったので詳しく聞けませんでした。 右側半身マヒも訴えていましたが、その部分についても現在何も言いません。 尋ねたのですが返事をされず、 詳しく知るのは難しいが、その時よりつらく苦しい状況であることは明らかです。」

人医協のチョン・ジナン氏がキム・ヨンヒ氏と会った話をする。 7月23日から医療スタッフの訪問も拒否してきたキム・ヨンヒ氏は、 医療支援よりも闘争に対する自分の意志が強いということをよく伝えてくれと言ったという。 そしてサムスンが自身にしてきたあくらつな行為に対する話をしたといった。 チョン・ジナン氏は、キム氏が心理的にとても不安な状態なのでとても心配だとし、 下でもっと努力して希望を見せるしかないのではないかと話す。 人医協はキム氏の医療スタッフの訪問拒否について、 声明書を通じて「ハンスト闘争者に対するマルタ宣言(世界医師会、1991年)」に立脚し、 医者は本人が望まない医療介入はできないと残念さを示した。

「私たちの闘争が不足していたんだと考えるようになり、 とても反省したりもします。 キム・ヨンヒ同志はこのように毎日毎日サムスン財閥に対抗して、 大きな喚声をあげる仲間たちがとても誇らしくて愛しているという言葉を必ず伝えてくれと言いました。 一人で戦う時は本当に孤独だったが、 今は多くの人たちが集まって楽しいという表現まで使う気持ちが、 とても痛ましかったです。 多くの人たちがきているからサムスン財閥がひざまずく日までいくらも残っていない、 その時まで最善を尽くして頑張るという話をします。」

キム・ヨンヒ氏と会って来たユン・テックン民主労総副委員長も、 キム・ヨンヒ氏の無事帰還とサムスンの謝罪、 李在鎔副会長再拘束のために、 さらに大きな闘争をするという決意を明らかにする。

「本人が本当に小さな火種一つになりたいと言いました。 地面に降りたら、うやむやになるのではないのか。 長期化すればもっと極端な行動をするかもしれないと話しました。 本当に今が自分の最後の戦いだと考えて、このままで降りてくることができないと、とても強硬でした。 一日もはやく地面を踏めるようにするためにはキム・ヨンヒ同志を説得しなければいけませんが、 結局はサムスンが謝罪してこの問題解決に動くようにしなければなりません。」

キム・ソヨン氏は多くの人たちが不可能だと考えるが、 不可能を可能にしなければならず、今後の持続的な連帯を訴える。

▲集会を終えながら、キム・ヨンヒ氏を見てシュプレヒコールをあげる参加者[出処:ヨンジョン]

仲間のみんなが光になって、生命になりました

一時間の間、鉄塔の下で待機していたので喉がカラカラに渇いた。 地上での少しの暑さと喉の渇きもこれほど耐え難いのに、 あの高いところで食を断ち、今では水まも切ったキム・ヨンヒ氏は、 どんな心情で耐えているのであろうか?

「仲間の皆さん、本当に涙が出るほど感謝します。 私も労組を放棄できなかったというその理由だけで、 口にできない弾圧を受けてきました。 ここからサムスン屋上の木を見ながら、 屋上の木の一株よりひどい労働者の境遇を考えました。 サムスンの倫理意識がこの社会を支配して、 サムスンが超一流企業だという名札を付けているのがこの国なのかと言いたいですね。 7月10日は私の誕生日でした。 定年退職の日でした。 ここに上がってくる時、その中にサムスンの問題が、 解雇者の問題が解決しなければ、私は死のうとしていました。 しかし仲間の皆さんがわれわれサムスン解雇労働者たちの光になって生命になったので、 また気持ちを変えて生きて最後まで戦うことにしました。」

キム・ヨンヒ氏は、代表団の訪問が終わった後に電話で、 健康に労働組合の根がサムスンにおろせるように、 自分の残った人生をすべて捧げると話した。 そしてサムスンは自分が命を絶つことを望むようだ、 意地でもこれ見よがしに生きて、 サムスンが行った不当な労働弾圧と犯罪行為を社会に知らせるという約束をした。

吹き荒れる強い風にも 襲いかかる激しい抑圧にも
われわれは必ず集まり 向き合った
身を切る夜 苦しい夜、冷たい夜明けの霜の中でわれわれは対抗した
愛 永遠の愛、変わらない同志よ
愛 永遠の愛、君は私の同志

集会の参席者はキム・ヨンヒ氏をながめて 「サムスンは謝罪してキム・ヨンヒを復職させろ!」、 「李在鎔は監獄へ、 キム・ヨンヒは地面へ!」、 「粘り強い闘争でサムスンを変えよう!」といったシュプレヒコールをあげて 「同志歌」を歌って集会を終えた。

この日を起点としてキム・ヨンヒ氏はハンストを中断し、 一日に重湯一カップを食べ、高空籠城を続けている。 人医協の医者たちはキム・ヨンヒ氏が今、無事に降りて来ても 臓器に深刻な後遺症が残る可能性が高いという。

猛暑の特別放送が続く今日も、 李在鎔氏は江南駅の交差点で キム・ヨンヒ氏が涙を飲み込みながら死んでいく生中継をしているだろう。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-08-05 09:16:29 / Last modified on 2019-08-05 09:17:44 Copyright: Default

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