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韓国:龍山惨事現場の一日 | ||||||
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われわれは龍山惨事現場を離れることが出来ない[寄稿]龍山惨事現場の一日
シン・ユア(文化連帯代案文化センター)/ 2009年10月13日12時26分
とても寒かった冬、「生きていけるようにしてくれ」と櫓に上がった撤去民が いた。だが公権力は彼らの叫びを無惨にも踏みにじり、彼らに『都心テロ犯』 という汚名をかぶせてしまった。あれほど寒かった冬が過ぎ、春が去り、夏が 去り、今秋になった。だが相変らず彼らと残された家族は、龍山惨事現場を離 れずにいる。そして今日も龍山惨事現場では一日が始まる。
早朝6時になると間違いなく起きて化粧をして焼香所に出て行き、食事を上げる。 ていねいな儀式が終わると厨房で使う空間からご飯のにおいがしてくる。この 9か月近く生活してきた龍山惨事の家族たち(全撤連、遺族、活動家、神父様..)は 通りでの野宿そのままの姿で箸を取る。ある日はアンプから聞こえてくる歌声 に元気よかったり、ある日は佗びしさに目がしらが涙ぐんだりもする。 食事を終えた人々は膳を片付けるたり、すりへって先がほとんど残っていない ほうきを持って路地を清掃したりもする。焼香所の前に置かれた浄水器でコー ヒーを入れて飲んだり、昨日の大小の事を話したりもする。遺族は焼香所の前 に用意した屋外椅子に座り、弔問客を迎える準備をしながら色々な話をする。 神父様たちは司祭団のテントでしばらく茶を飲み、聖書を読んだり祈祷をした り、食後のけだるさに少しの間眠ったりもする。 けだるい午後はうとうとしたり弔問客を迎えたりもしながら過ぎ去る。「食事 をどうぞ〜〜」どこからか聞こえてくる声は夕方を知らせる。 夕食を食べるとせわしくなる。夕方のミサ準備と、押し寄せる弔問客を迎えた り、団体と文化芸術家が作る多様なプログラムを進める。司祭団の夕方のミサ はナミルダンのトレードマークだ。忘れ去られていく惨事を想起させ続ける有 難いことでもある。信徒が1人2人と集まって、アンプからは音楽が流れ出る。 このようにして9か月をすごしてきた。これほど長い時間が過ぎても、私たちが この惨憺とした現場を離れられないと考えた人はいなかった。だがわれわれは 今日もここ、龍山惨事現場にいる。去年の冬のみじめなあの日を忘れられない からだ。 亡くなった人たちが作った生活の基盤で、今は残った人々がまた希望を探すた めに、龍山惨事現場は何か所かの空間を拠点として毎日毎日忙しく動いている。 事故現場であり、焼香所が設置されているナミルダン・ビル(惨事がおきた建物 だが、1階にナミルダンという宝石店があったという理由でナミルダンという名 を事故現場の名前にしている)。この建物には焼香所以外にも、多くの人々の食 事を提供したり全撤連の家族が留まり、しばらく休める食堂空間がある。その 前には遺族たちが常時座り込みをする空間と100日以上野宿座り込みをする司祭 団の座り込みテントがある。そして路地の中にはムン・ジョンヒョン神父様が 以前、平沢米軍基地拡張移転反対を主張して全国を歩き回った花馬車があるの だが、この花馬車の中はあまりにも不思議な空間だ。コンピュータからベッド まで、神父様の祈祷空間であり作業空間だ。そしてこの花馬車の後にはナミル ダンに上がる出入り口があるがここには凶悪な戦闘警察車と黒い警官服を着た 戦闘警察が365日24時間、歩哨に立っている。 ナミルダンの裏に回ると故イ・サンニム氏が運営していたレアというビヤホー ルがある。この建物にはいろいろなところでいろいろな運動をする活動家が座 り、龍山惨事解決のアイディアを出す。1階にはビジュアル・アートをする作家 が展示し、コーヒー豆を焙煎してコーヒーを配ったり、インターネット・ラジ オで竜山のニュースを伝える放送をしたりもする。2階に上がると状況室という 小さな空間があり、会議のために集まる空間になったり、夕方には一杯酒を飲 みながら、色々な話をすることもできる空間だ。さらに上がると屋上からは竜 山撤去現場を一目で見られる空間で、現在はメディア活動家が編集作業をする 編集空間がある。惨事当日、故イ・サンニム氏の嫁がお父さんと一緒に櫓に上 がった夫のイ・チュンヨン(全撤連竜山4地区委員長で現在拘束収監中)氏を残念 そうにながめながら涙を流したその場所でもある。
ナミルダンの周辺には幟が立っている。幟は葬儀を準備するために作り、各種 の集会と追悼行事に使うために作られた。しかし警察と用役は何度もこの幟を 破り取った。ネズミが夜明けにひとの家の倉庫に入り、すこしずつかじってい くように...... 寝て起きればなくなり裂けている姿に遺族の心はさらに悲しく なる。今でもこの前、誰かわからない人の蛮行でずたずたに裂けて醜く立って いる。 ナミルダン・ビルの裏の交差点には、撤去されたり、撤去中の建物に一般人の 接近を防ぐフェンスが張られている。このフェンスには多くの人々が痕跡を残 して行く。亡くなった人を追慕したり、MBへの怒りを示したり、警察と用役の 愚かさとまぬけさを暴露したりもする。その形態も多様だ。絵と詩と、文字そ して横断幕と幟、さまざまな設置物...... 龍山惨事から9か月がたち、その時 間ほどに本当に多くの痕跡があちこちに刻まれている。 ずっと路地を進むと三湖ふぐ料理店という看板のある建物が見えてくる。いく らか前までは、用役事務室があって接近を敬遠させた空間だ。ここには順天郷 病院葬儀場で生活していた遺族5人が生活空間として移ってきた。つぶれてしまっ た空間に仕切り工事をして、電気、水道の工事をした後、遺族が家でない空間 で苦しまないように最善を尽くして用意したくつろぎの場所だ。 遺族が三湖ふぐ料理店の建物に来る前、1階にはナクチ図書館という看板を作っ て活動家が休み、全撤連と龍山惨事現場を訪れる人の憩い場として利用する空 間があった。明け渡し期限が過ぎたという理由で用役と警官の暴力と暴言を聞 きながら引きずり出され、ナクチ図書館はハンマーで粉々にされ、今はゴミの ように捨てられている。それで遺族が三湖ふぐ料理店の建物に来るまではとて も心配していた。用役からいじめられなか、また空間を壊されないかと思った。 夏の暑かった通りは、もうずいぶん寒くなった。また冬が来ようとするのは恐 ろしいだけだ。ナミルダン近くのそば交差点が人々で埋まれば、この寒さも温 みに変わる。一日のつらい日程が繰り返され、遺族とナミルダン周囲の家族は 累積した疲労感の中で寝つく。用役が夜明けにまた何かネズミのまねをするの かという不安と怒りを抱いて、浅い眠りを求める。 ナミルダン・ビルの向こう側には資本の高層ビルが月の光を受け、ここナミル ダンを見下ろす。悲しい。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-10-15 01:33:37 / Last modified on 2009-10-15 01:33:38 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | ||||||