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韓国:70の老人、櫓、死... | ||||||
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70の老人、櫓、死...[インタビュー]故イ・サンニム氏の嫁チョン・ヨンシン氏
ユ・ヨンジュ記者
www.yyjoo.net / 2009年02月02日11時21分
「どれほど孤独だったのだろうか、あの熱い火の中でどれほど孤独で寂しかっ たのだろうか。こう思うとまだ胸が詰まった感じでよく聞こえなくなります。 70の歳になって火炎瓶を持って屋上に上がらなければならなかったその辛い現 実を無視するこの世が恐ろしいのです。」 何日か前、タサン人権センターのパッキム・ヒョンジュン活動家が書いた文だ。 彼は「彼らが手に持った『火炎瓶』は最後に残された『希望』であり、世の中 に向けた『絶叫』」だったと書いた。
70の歳で火炎瓶を持って屋上に上がった人は、嫁チョン・ヨンシン氏の舅だ。 2次追慕大会があった日の午前に順天郷病院を訪ね、チョン・ヨンシン氏と会った。 2007年末から用役と衝突しなければならなかった。1年間ずっと、不特定なソウ ル市民の一家族が特定の撤去民になった。生きて生きて、なんとか生きようと したが、追い込まれて追い込まれて、一番最後に行くことになったのが櫓だっ た。七十の老人は櫓に上がって25時間後、30年暮してきた分身のような村の入口 の建物の屋上で惨めに殺害された。 老人の子供、チョン・ヨンシン氏の夫は龍山撤対委員長だ。彼は入院中に拘束 された。チョン・ヨンシン氏の話を書いた。 龍山で30年暮してきた舅 舅(故イ・サンニム氏)だ。72歳。30年、龍山で暮した。毎日明け方の4時30分に は必ずせきをした。教会に行って祈り、自転車で町内をひと回りした。軽く運 動した後は、まっすぐ店(レアホフ)に向かった。ビヤホールは夕方の商売、夫 (イ・チュンヨン、龍山撤対委員長)と私(チョン・ヨンシン)は普段、夜中3時頃 に家に帰ってきた。舅は閉まっている扉をあけて換気し、掃除をした。鷺梁津 の水産市場とギョンドン市場に寄って買い物もしてくれた。舅にとって、レア ホフは分身だった。 ビヤホールをする前に舅は姑(チョン・ジェスク)とカルビ屋をして、おい と暮していた。 夫と会ったのは2003年ごろだった。恋愛を始めた。江辺駅などで露天商をしな がらお金をためた。手あたり次第、アクセサリーも売り、服も売り、一円二円 と集めた。容易ではなかった。 舅と姑はますます苦しくなり、客さんもずいぶん減った。新郎と私も露天商を 続けるのは不如意だった。一緒に始めたのがビヤホールであり、食堂の工事を 始めた。 30年を越える建物だった。金を借り、家賃を除いて建て替えるように工事を始 めた。なんとか工事費も節約に努めた。舅が材料を買ってきて夫はペンキ塗り をした。姑は飯を炊いた。家族皆がいっしょだった。一日ももれなく1か月にわ たり工事をした。テーブルも自分たちで作った。本当に精魂を込めた店だ。 2006年10月に店をオープンした。店はすっきりしていた。姑が厨房で料理をし て、私がホールを引き受けた。家族みんながくっついて働くのを見て、周辺の 人々もずいぶん助けてくれた。商売は、町内で指折り数えられるほどうまくいっ た。希望が見えた。借金の利子を払い、ローンを返しても姑の生活費と家族の 生活費が出た。何年か苦労すれば借金も返せそうだった。舅、姑に休ませ、私 たちがすれば良さそうだった。恋愛5年後、昨年には結婚をした。幸福、希望と いった言葉を実感した。 店をオープンして4か月後の2007年2月に組合が設立され、4月に再開発事業施行 が認められた。2007年10月に組合総会が開かれた。移住と住居移転費支給案と 撤去業者が選ばれた。通常、事業認可期間が3-4年はかかるが、認可されてか らわずか一ヶ月で用役が入ってきて常駐し始めた。 事業承認が出る前に鑑定団が訪ねてきた。店の施設にいくらかかったかと聞か れた。何かわからなかった。そのうち事業認可が出た。少し後、郵便物が一つ きたが、そこに鑑定評価額が書かれていた。とんでもない金額だった。何の根 拠かを聞いても答はなかった。権利費は認めなくても施設費は認めるのに、何 の基準もなかった。レアホフは多いから静かにしろということであった。この 人たちでは対話にならないようだった。それ以前から区庁と用役が同じ連中だ ということをとてもよく知かっていたところであった。そこでは対話から逃げ た。対話をしようとしても聞く人がいなかった。 店は場所が良い。惨事のあった建物の向かい側にある。姑が食堂を始めた時も 入ろうとする人は多かった。当時、施設費を除き権利費だけで1億5千万ウォン が行き来した。レアホフの店の工事をして施設費がかなり上がった。建物を新 しく建てたのと同じことだったから。しかしそれは認めてもらえなかった。 話を聞いてくれるところはなかった。対策委に関心を持たざるをえなかった。 私たちの話をきいてくれる人、同病相憐の人しかいなかった。舅も新郎もがん ばった。 その人たちは、それでもわれわれは商売がうまくいっているのでたくさんくれ るのだと話した。実際にひどい金額の人も一人や二人ではなかった。現在旅館 をしている人は鑑定評価額がたった200万ウォンだった。それをもらってどこに 行って何をするのか。露天商はまったく払われなかった。彼らは権利金を払っ て場所を買って入ってきた。昔は区庁からも人がきて、1か月にいくらか払っ たという。 用役と衝突、被害者が加害者に変身 用役という人たちとぶつかるなど夢にもおもわなかった。最近ある用役が惨事 があった後にインターネットに書き込んだ。昨年7月1日にあったことだ。くや しい。 舅と住民3人が横断幕をかけようとしてはしごに上がった。闘争が生きる道とい う横断幕だった。対策もなく移住しろというので、私たちも戦うしかなかった。 舅はがんばった。明日だったから。これを見た用役が付けるな、降りてこいと 大声を上げた。4-5か所から15人程が来た。そのままきて、はしごから引き下ろ した。舅はなぜ君たちがそんなことをするのかと抗議した。周囲の人々は怪我 をしないか心配になって止めさせた。 用役は舅の急所をつかんだ。70の老人にそんなことができるか.. 言葉が出てこ ない。げんこつで殴られ、地面に倒れ、服が裂れ、その光景を見た市民は呆れ ていた。白昼に30歳ほどのがっしりした男が70の老人を殴って引きずっていっ た。写真を撮ろうとするとカメラを壊すぞと向かってきた。警察も来なかった。 みんな逃げて身を守った。用役1人が乱暴そうに大きな袋に鉤を付けて現れた。 横断幕を破った。
その用役は鉤を持って脅迫した人だった。もし舅が唇を切れば、出血するだろ うしすぐに病院に行って措置を取っただろう。何があるか分からない。彼らど うしで自害もして、話せば椅子を投げるなど、予想できない行動をした。住民 たちはそう言った。人が一台合えば一台殴ることもできる。そう考えても常識 的に30代の人と70歳の人が喧嘩をして、さらに倒れている状況で唇をかんだな ど、呆れ返る話だ。亡くなった方をそう言うこと自体が話にならない。私たち 家族には、ただ舅と新郎が委員長だという理由一つで困らせ続けた。他の人が やっても委員長がやったとなすりつけるのが常だった。
次の日、舅は告訴をした。用役も対抗して告訴をした。舅は3週だったのに、用 役は4週の診断が出てきたといった。舅に事前逮捕令状が下された。捉まえにき た。逃げた。 商売できるか レアホフは夏には門を開けて商売をした。前に花屋がパラソルを出したが、一 度は用役のような人がその場に座って文句をつけた。社長を探したよ。私が社 長だといった。君のほか男はいないかと文句をつけた。ガラス窓を蹴ってテー ブルを押してそう言った。警察に申告をした。 アルバイトの人たちも怖くなって、申告をすれば警察がくるにはくる。くれば 彼ら(用役)も人だから理解しろという。それが全てだった。報復が恐くて、ま た店に来ないように警察に頼んだ。警察は分かったといったが、その後も向い 側の花屋に一週間も現れた。恐ろしくて、出て行かなかった。アルバイトが社 長はいないというとお前たち商売できるのか今に見ていろと話した。 ある日は客だと言いながら、酒をくれと言った。そうするなと言っても効果が なかった。姑がどうしたと聞くと、おばあさんとは話さない、彼女を連れてこ いと一週間横暴を働いた。
レアホフから家に行くには路地を行かなければならない。家に入る前に交差点 があるが、用役が立って行かさなかった。家に帰ると言っても立っている権利 があると言ってどいてくれなかった。警察に通報した。用役が通さないという と、警察は回り道をしろといった。夜に道をふさぎ、コンビニエンスストアー に座って見ればやってきて殴る。私たちも人だと反抗する。すると拳で殴る。 用役が来てからは、ほとんど毎日喧嘩していたようなものだ。ほとんど毎日。 町内には屋台をしている人が多く、食堂や花屋など夕方の商売をする人が多かっ た。住民は町内パトロールに立ち始めた。がっしりした連中が、夕方になると やってきて卑劣な言葉を吐いて町内をかき回した。老若男女もない。好き放題 だった。
一度はパンツ姿で木刀を持った用役がいた。乞食みたいな女どもを刺身にする と言って大騒ぎをした。絶えることがなかった。櫓を作る前日まで続いた。用 役会社は2つというが、事実上一つだった。ヒョナムもホラムも同じだった。数 が足りなければ、互いにこいと呼ぶ。 我が家の前は駐車場だが、用役はそこにコンテナ3つを持って行って常駐した。 店は前面がガラスで外が見えるが、周囲を徘徊し続けた。我慢できずに隣の店 が引っ越した。隣の店が引っ越したので、そこを殴り壊し、汚物をばら撒いた。 お客さんは臭いと言い、酒を飲みながらも出ていってしまう。死んだ鳩、腐っ たタマゴを投げて店がめちゃくちゃになる。商売するなということだ。舅が用 役を捉えた。最後までついて行くと用役事務室に入った。警察に通報した。警 察は30分もかかって現場にきた。証人もいる。世界日報の記者がそれを見た。 事務室にいるから捉えろといっても、警察は捉えようとしなかった。約40分後、 その用役は裏口から逃げた。警察? 信じられない。
私は撤去民だが、全撤連の会員ではない。だが舅と新郎は会員だ。新郎は心配 なことをあまり私に話さなかった。いつも大丈夫だと言って安心させた。だが 人が入る時になっても入らず、何日かで解決するといっていたが、今後が不透 明に思えた。櫓というやつに何度かついていったことがあるので、それが何か 知っている。撤去民が最後に期待するのは闘争だ。民主労働党も平和的な方法 を言うけれど、せいぜいわずかな移住費の増額ぐらいがすべてだった。そうで はなかった。生活の基盤、30年暮してきたわが家、私の店、私の暮しというも のがある。建設会社と組合と当局は、建設公園敷地に仮収容団地を作って商売 ができるようにしてくれという小さな希望も握りつぶした。
19日の明け方、舅と新郎が櫓に上がった。上がった後に知った。それしか方法 がなかった。胸が詰まった感じでよく聞こえなかった。警察が郵便局までぎっ しり詰め掛けた。店の向かい側の建物の屋上には、用役と警察が水をかけ続け た。まだ櫓ができてもいなかったのに下の階からは真っ黒な煙が出続けた。用 役が建物の中に入り、むちゃくちゃに殴られるだろうと考えると、身を置くと ころも知らなかった。祈る他にできることはなかった。その時も、死ぬとは思 わなかった。 対話を行うことはできた。私たちが何を望むのか。一回だけ話を聞いてくれて も、櫓には上がらなかっただろう。彼らは引きずり出して、半殺しにすること しか考えていないように見えた。用役と警察が私の横に立って私が誰なのかを 知らず、意識しないで話したが、2時間で終わるというような調子で話した。 舅が亡くなったことが信じられなかった。一日中尋ね歩いた。現場に1回だけ入 れてくれと言って、3時間も泣きながらしがみついた。龍山警察署に遺体を訪ね て行けと連絡がきた。もしやと思う気持ちでついて行くと、身元未詳の遺体が 3体あるという。なぜ身元未詳かと聞いた。とても遺体が毀損しているからだと いう。許諾なく解剖検査をした。国科捜の結果が出たというので順天郷病院に きた。しばらく後、遺体を確認したが、調べられなかった。私たちの舅ではな い、信じられないといった。その翌日、舅だということであった。指紋が出て きたという。腹が立つ状況だ。指紋で確認できる遺体をなぜ一日も身元未詳と いって、家族の許諾もなく解剖検査をしたのか。姑が遺体を見た。指輪をはめ ていた。初め一回だけ見せてもよかっただろう。そうして一回だけ入れてくれ と言ったのに、だめだというのであった。 新郎入院中逮捕、拘束 新郎が逮捕される前日、内科医師は29日の検査結果を見て退院を決めようといっ た。毎日レントゲンを撮り、28日のX線にはガスによる肺炎症が現れた。鼻を かむと出血し、痰を吐けば黒い灰のようなものが出てきた。逮捕される日もレ ントゲンを撮り、耳鼻咽喉科に持ってきた。ギプスをした膝包帯を解くと、と てもはれていた。MRIを撮らなければならないというときに、トイレから出てく ると、刑事が押しかけた。退院措置され、逮捕されるということであった。
櫓になぜ上がったか 舅も亡くなった方も、貧乏なまま亡くなった。暮らすために入って殺された。 生きるために入ったのであって、死ぬために入ったのではない。先住民をみん な追い出して土地投機に目のくらんだ金持ちだけが得をした。そんなに無理な 要求だったのか。30年、1か所で商いをし、子女が学校に通った根拠地だった。 そんな人たちがいったいその金をもらってどこに行って何をして暮すのか。 工事の期間だけでも、できることだったろうに、0.001%だけ考えてもできただ ろうに、用役に払う金はあっても借家人に払うものはないというなんて、いっ たい話になるか。櫓に上がった人たちは、一回対話ができたらこんなにまでなっ てはいなかっただろう。 この人たちは櫓なぜ上がったのか。なぜ初めから警察がきて、鎮圧して、用役 が警察の盾を持っていたのか。組合と話すためにであって、警察と戦うために 上がったのではない。その人たちは犯罪者ではない。無力で貧しい庶民だ。最 後まで明らかにしないのなら、第2、第3のくやしい人たちが生まれ続けるだろ う。今は何が真実なのか、何が現実なのか区別もできない。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-02-05 05:26:08 / Last modified on 2009-02-05 05:26:10 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | ||||||