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「ナヌンコムスダ」代案メディアの味

[寄稿]メディア運動にとっての「ナヌンコムスダ」の意味

パク・ミヌク(ACT!編集委員会) 2011.12.14 09:49

11月30日の夜。私は汝矣島公園にいた。ナヌンコムスダのトークコンサートを 見るためだった。しかし家に帰ってニュースを見ると、私は韓米FTA反対集会に 行ってきたようだった。コンサート中はあまりFTAの話はなかったが。何、FTA を愛する閣下への嘲弄、いや称賛は絶えず続いたので、いや何、そう呼べるか も知れない。だが、少なくとも私の横に立っていたミンクのコートを着たおば さんは、多分自分がFTA反対集会にきたとは全く考えていなかっただろう。

チュ・ジヌ記者が慎ましく何か言うたびに力いっぱい大声をあげた女性の方や、 チョン・ボンジュ前議員に「大統領選挙走者、チョン・ボン・ジュ」といたず らっぽく叫んだネクタイのおじさんたちも、その上、舞台に上がりFTA賛成国会 議員のリストの歌を完全に暗記して歌っていた大学生さえ、多分私が思うに、 自分たちがFTA反対集会にきたとは考えていなかったようだ。彼らは「遊ぶため に」そこにきたのだし、「見物」にきた。そして彼らは本当に多かった。初め 10万人が目標という話を聞いた時、冗談だと思ったが、それはホラではなかっ た。本当にその日、とても寒かったその日の夜に、私が思うには確かに10万に はなっていたし、「ひどく推定する」人たちが雨の汝矣島広場に集まった。そ の4人を見るために。

▲2011. 11. 30汝矣島公園〈ナヌンコムスダ〉コンサートに集まった10万の人波

Podcastを通じ、オーディオファイルの形で提供される〈ナヌンコムスダ〉は、 タンジ日報のキム・オジュン総帥、チョン・ボンジュ前国会議員、チュ・ジヌ 記者、そしてキム・ヨンミンPD、この4人が小部屋に座り、約2時間騒ぎまくる 内容の番組だ。主に政治的な素材を扱い、たいていは大統領などの大韓民国の 権力者たちを批判、嘲弄したり、政策の間違いに辛らつな攻撃を浴びせるとい う内容だ。だがその方式は、政治的な内容を扱いながら、固かったり退屈では なく、まるで酒の席で笑うように、実に軽薄かつ騒々しく、汚い言葉も飛び出す。 とにかく明らかなことは、とても「おもしろい」ということだ。

おもしろいこの4人の雑談は、4月28日に第1回が始まってから、爆発的な反応を 呼んでおり、現在、ダウンロード数は毎回数百万件になると言われている。当 然ながら、彼らの一句一言は、世論形成にかなりの影響を与えているが、その 決定打は10月26日のソウル市長選挙だった。多くの専門家は朴元淳(パク・ウォ ンスン)候補がソウル市長に当選した要因の一つが〈ナヌンコムスダ〉にあると 分析している。最近、〈ナヌンコムスダ〉の4人衆は全国各地でトークコンサー トを開き、オフラインにまで活動半径を広げており、コンサートには常に数千 から数万の観客で一杯になり、満員御礼になっている。

ここまでが〈ナヌンコムスダ〉のヒストリーなのだが、しかし本当にすばらし いことのようだ。〈ナヌンコムスダ〉は明らかに既存の放送の形態ではない。 単にPodcastだとか、オーディオファイルだという形式的な面を別としても、 〈ナヌンコムスダ〉は既存の主流メディアの領域に含まれない数多くの特徴が ある。いったい4人の中年男が集まってタバコを吸いながら、悪口混じりで大統 領を罵倒するようなことを、どこの主流メディアシステムが消化できようか。 彼らは他人の表情を見ることなく、自分たちが言いたいことを話し、批判した いことを自由に批判する。これは明らかに非-主流的で、独立的で、既存のもの の代わりをするという面で代案的だ。すると〈ナヌンコムスダ〉は、明らかに オルタナティブ(代案)メディアであるわけだ。ミディアクトのキム・ミョンジュ ン所長は、オルタナティブメディアをこう定義した。「代案的な体系と力量を 樹立し、主流メディアの政治的な変化に左右されない独立した声、内容と形式、 そしてコンテンツ生産の主体を持つこと」。どうだろうか。この定義に〈ナヌ ンコムスダ〉は正確に合う。

▲〈ナヌンコムスダ〉メンバーの漫画

そうだ。〈ナヌンコムスダ〉に好意的であってもなくても、とにかく否定でき ない事実は、〈ナヌンコムスダ〉が明らかにオルタナティブメディアであるだ けでなく、既にわれわれがオルタナティブメディアと呼んでいたことと事実、 別に違わないということだ。だが、〈ナヌンコムスダ〉は主流メディア陣営、 そしてオルタナティブメディア陣営の双方から、鬼っ子扱いされてきた。主流 メディアでは当然、長い間〈ナヌンコムスダ〉を無視してきた。今ではもう、 そうすることはできないほど〈ナヌンコムスダ〉が大きくなったが、それでも 今も〈ナヌンコムスダ〉は主流メディアから怪談生産者、浅はかな放送、一時 の流行程度に置き換えられている。数百万件のダウンロード、10万の人波など の数値が証明していても、主流メディアは〈ナヌンコムスダ〉を無視している のは、影響力を小さく見せるためにわざとそうしているということもあるが、 一度も経験したことのない現象への当惑感によるものでもある。

主流メディア、つまりマスメディアは歴史的に「常に」議題設定機能を担当し てきた。議題設定とは、マスメディアがある議題を重く扱えば一般の受容者は その問題を重要だと思うようになり、結果的として重要な議題に浮上するとい うことだ。大衆社会で、これは非常に重要な権力であり、マスメディアは自分 たちの中だけで打ちつ打たれつ戦っていただけで、一度も他の競争者を考えた ことさえなかった。これまでオルタナティブメディアは着実に活動してきたが、 主流メディアの立場では、一週間に3〜40分をパブリック・アクセス番組に譲歩 して、同情を施してやらなければならないかわいそうな相手と考えていただけで、 オルタナティブメディアを競争者とは夢にも考えたことがなかったのだ。

ところが、〈ナヌンコムスダ〉というこの怪物は、オルタナティブメディアの くせに主流メディアを凌ぐ影響力を持っているので、いったいこいつをどう見 ればいいのかと混乱しているのだ。それで何とソウル市長選挙があった10月ま で、主流メディアは〈ナヌンコムスダ〉を全く口にしなかった。まるで存在し ないかのように。インターネットに出まわる××女映像ぐらいの取り扱いをし ていたのだ。今はしかたなく、とにかくその影響力は認める傾向だが、他の オルタナティブメディアのように、ただ無視し続ければすぐ消えるだろうと信 じているか、そうでなければ、少なくともその議題設定機能だけは何とかして 奪おうと血眼になっている。主流メディアが持つ最高の権力である議題設定 機能までオルタナティブメディアに奪われるような恥ずかしいことは経験した くないのだ。そこで持ち出した単語が「怪談」だ。あのどこの馬の骨とも分か らないようなやつらが重く扱う議題はみんな根拠がなく、公衆の議題として適 していないという調子で追い込むことで、〈ナヌンコムスダ〉の議題設定機能 そのものを剥奪しようとしているのだ。

主流メディアのこうした反応は、十分に予想可能で理解できる。ところが多少 いぶかしいのは、既存のオルタナティブメディア陣営の反応だ。彼らもやはり 〈ナヌンコムスダ〉を事実上無視しており、自分たちとは全く違う何かだと受 け止めている。これについては何の議論や分析もなされず、これをオルタナティ ブメディア陣営がどう吸収するかにも全く関心がないように見える。誰が見て も明らかにオルタナティブメディアであり、最大の成功ケースである〈ナヌン コムスダ〉が、むしろオルタナティブメディア陣営から徹底的に無視されてい る理由は、事実、主流メディアが〈ナヌンコムスダ〉を無視してきた理由と明 らかに一致する。

オルタナティブメディアが〈ナヌンコムスダ〉を無視する理由も、一度も経験 したことがない現象への当惑感によるものだ。オルタナティブメディアがこの 程度にまで影響力を持ったことをこれまで見たことがないから、これは私たち とは違う何か別のもので、いっそ新しい種類の主流メディアと考えるべきだと 思っているようだ。はなはだしくは、これほど強い人気を享受し、とてつもな い影響力を持つこと自体が、すでに彼らが主流だという証拠であり、非-商業性 を重視するオルタナティブメディアの精神に外れるという思いもあるようだ。

だが、いくら超大ヒットしても、〈ウォナンソリ〉や〈糞蝿〉は相変らず独立 映画であり、人気と影響力が大きくても、それがそのまま商業的という言葉と 等価ではない。オルタナティブメディアはそのオルタナティブなシステムと独 立性を最大の特徴としており、その結果、コミュニケーションの範囲はたいて い狭かったのであり、コミュニケーションの範囲が狭いことをオルタナティブ メディアの特徴だと主客転倒させることはできないだろう。

また、〈ナヌンコムスダ〉は結局エンターテイメントだから、オルタナティブ メディア陣営とは種類が違うという意見もあるかもしれない。だが、これも、 オルタナティブメディアという言葉がジャンルを分ける言葉ではないために、 論理的に成立させるのは難しい。オルタナティブメディアはそのオルタナティ ブなシステムと独立性さえ備えれば、エンターテイメントでもいいし、バラエ ティでもいいし、トークショーでもいい。

もちろん、明らかなことは、〈ナヌンコムスダ〉がいくら人気があってもこれ は多くのオルタナティブメディアの一部門でしかなく、オルタナティブメディ アを代表しているとか、オルタナティブメディアの「オルタナティブ」に浮上 したわけでもないということだ。最近、チョン・ボンジュ前議員がキャンドル の時に活躍した〈カラーTV〉を卑下して、〈カラーTV〉はつまらないから潰れ たとインタビューをして問題になったが、この発言はもちろん適切ではなかっ た。これは〈無限挑戦〉PDが〈無限地帯〉PDに視聴率の自慢をするのと違わな いからだ。また、チョン・ボンジュ前議員のこうした発言で〈ナヌンコムスダ〉 が既存のオルタナティブメディアと線を引いたと判断してもいけない。むしろ 各自の役割をはっきりさせたと考えなければならないだろう。ビデオアクティ ビズムとしてのオルタナティブメディアがあり、〈ナヌンコムスダ〉のように ユーモアと風刺のオルタナティブメディアがあるのだ。そしてこれは私たちが みな抱いて行かなければならない宿題だ。

▲〈ニューヨークタイムズ〉に掲載された〈ナヌンコムスダ〉の記事

では、〈ナヌンコムスダ〉がオルタナティブメディア陣営にあたえる意味は何 だろうか。ただ、もうひとつのオルタナティブメディアとして片付けてやり過 ごすには、その業績(?)は強烈だ。〈ナヌンコムスダ〉の経験が特別な理由は、 オルタナティブメディアが「直接」公衆の議題を設定するのに成功したという 点だ。前に言及したように、議題設定機能は主流メディアの専有物だったし、 主流メディアは公衆の議題を設定するだけでなく、支配イデオロギーから抜け 出した議題を公衆の議題から除外する役割までしてきた。

オルタナティブメディアはこのようにマスメディアから排除された問題、マス メディアで省略された実際の生活の姿を公衆に積極的に議題化することをその 大きな目的としている。そのためにオルタナティブメディアは当然できるだけ たくさん公衆と出会うように、コミュニケーションの範囲を拡張させることが 必要で、言い換えれば人気を得ることが必要だということだ。

主流メディアだけが人気商売をしているのではない。オルタナティブメディア も議題設定のためには、人気、つまり人の気勢が必要だ。結局、運動が何かの 特定の変化を目標にするのなら、そのためには人を動かさなければならず、そ れはコミュニケーションと説得と教育と決定の過程の中だけで可能だろう。 オルタナティブメディアはその過程で大きな役割を果たし、初めからそのために 考案、設計されたのだ。

だが、人がいなければ、誰とコミュニケーションし、誰を説得して、誰を教育 して、誰と決定するのか。しかし残念なことに、これまでオルタナティブメディ アは単独で社会の変化を起こせるほどの規模の人を集めたことがなかった。な ぜならオルタナティブ・メディアの本質的な属性上、非常に小規模でマスメディ アのように大量の情報を流布させることができないから、その影響力はあまり 大きくないことが多かったためだ。ただし、オルタナティブメディアが設定し た議題をマスメディアがまた議題化したり、ほとんど同時に共に議題化して、 公衆の議題に影響することはよくあった。これらはたいてい戦争やデモ、スト ライキ、災難現場といった特定の事件に関係があることが多い。インターネッ ト放送局が撮影した警察の過剰鎮圧の映像が話題になり、地上波のニュースで 扱われ、これを通じて社会問題が形成になるといったことだ。

しかしマスメディアが徹底的に排除していた議題をオルタナティブメディアが 単独で引っ張っり出して、人々に直接的に知らせ、公衆の議題にするのは例が ないことだった。それを〈ナヌンコムスダ〉がやり遂げたのだ。それも特定の 事件に関する特定の問題だけでなく、「政治」という抽象的で広範囲な議題を、 もちろん「閣下」という具体的な対象を目標にしてはいるが、韓国のどの主流 メディアもやり遂げることが出来なかった規模で公論化させているのだ。

オルタナティブメディアが直接公衆の議題を作り出すことこそオルタナティブ メディア運動の、方法的には、最終目標といえるものだ。したがって〈ナヌン コムスダ〉のこの驚くべき経験は、ぜひとも議論され分析され、熟考されなけ ればならない。だが、前述のように〈ナヌンコムスダ〉がオルタナティブメディ アの「代案」やロールモデルになれと主張するのでは決してない。代案メディ アが直接公衆の議題を作る最良の方案は、〈ナヌンコムスダ〉のように特定の メディアのカリスマに依存するのではなく、一つの議題について多様な形態の 多くのメディアが繰り返し内容を生産し続けることで、それが結局公衆の議題 に浮上するというモデルだ。

方式的な面では2008年の狂牛病事態の時のキャンドル集会がそれと似た事例に なるだろう。このケースは、主流メディアと議題設定を分けあい、特定の問題 でさっと燃え上がった場合ではあったが、議題が広がり続け、公論化されたと ころに〈カラーTV〉をはじめ多くのオルタナティブメディアが決定的な役割を 果たした。その上、一般市民も積極的に参加しようとするほどの規模のコミュ ニケーションを見せた歴史的な事例だった。これと似たものでは、最近米国で 始まり、全世界に広がっていっている「ウォールストリートを占領しろ」デモ がある。これはオルタナティブメディアが直接、公衆の議題を設定したモデル ケースだといえる(詳しい内容は[ACT! 77号]に掲載した「オンライン動画で ウォール街占領デモを見る-ニューメディアが提示する新しい疎通の可能性」を 参照してほしい)。

〈ナヌンコムスダ〉の例は、それ自体が望ましいモデルだから重要だというよ りは、何よりもオルタナティブメディア陣営にとって特別な経験を提供したこ と、そして自信を得させたこと、そして一般大衆がオルタナティブメディアに 親しませたことに大きな意味があれる。小部屋で獣のような四人の男が真夜中 に笑いながら騒ぎ始め、それが6か月後には10万の人々をあの寒い日に、濡れた 地面に喜んで座らせたという特別な経験。このように政治と社会に、いや他の 人の生活にまったく関心がないように見える現代人を相手に、代案メディアが これほどの力を発揮することもできるという自信。

この数年間、メディア運動の地形はメディアセンターとメディア教育を中心に 動き、パブリック・アクセスを始めとするオルタナティブメディアはますます 萎縮して、その自信を失う傾向であった。だが、メディア民主主義に向かって 進むメディア運動の花は、結局代案メディアの活性化にならざるをえない。幸 いにも今年、パブリックアクセスネットワークが復活し、[タンディTV]、 [フログTV]、[福祉渇望化火賊団]、[ツイッター無比]など多様な試みが 登場するなど、オルタナティブメディアへの関心と体系がまた復活している。

〈ナヌンコムスダ〉を通じ、この一年、大衆はオルタナティブメディアを味わ い、少なくともそれが何か、なぜ必要かは知るようになった。マスメディアは 支配イデオロギーに合った議題だけを公論化するということ、そこに依存して 力なく言いなりになってしまうことを覚醒するようになった。メディア運動陣 営はこの機会をのがさずに、メディア民主主義への歩みをさらに強めなければ ならないだろう。このように〈ナヌンコムスダ〉がメディア運動陣営に投げか けた宿題と含意は思ったより小さくないかもしれない。これからもっと議論し て熟考する必要があるのではないかと思う。(出処=ACT77号)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-12-14 14:12:27 / Last modified on 2011-12-14 14:12:34 Copyright: Default

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