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世の中で最も軽快だった抵抗の記録〈パーティー51〉

[寄稿]トゥリバンの抵抗を描いた最初の「社会的製作」ドキュメンタリー

カン・ソングク(透明社会のための情報公開センター)2014.12.12 11:29

映画は、カルククス屋のトゥリバンがあったビルの撤去から始まる。 最後に残った建物一戸ががらがらと崩れる様子を3人の音楽家が空しくながめている。 しばらくギターを弾きながら 「ア〜、トゥリバ〜ン、トゥリバ〜ン」と続けて叫ぶパク・タハムはやりきれない気持ちで撤去現場周辺をうろうろする。 ハ・ホンジンは「今日はあったのに明日はない」と吐きだして、すぐ涙声になる。 この嘆きの一言に再開発という言葉の欺瞞と暴力性が明確になる。 「土地や資源を再度活用する」という意味の再開発は、現在存在するものの消滅が前提になる。 役に立たないものが消滅し、役に立つものができるのだ。 ところで有用と無用の基準は何か? 誰が有用と無用を決めるのか? では彼らは役立っているのか? またわれわれは役に立たないのか?

〈パーティー51〉について話すためには、しばらく2009年の状況を振り返ってみなければならない。 再開発に抵抗するために電気まで切られ、半分廃虚になったビルを占拠して座り込むことは、決して普遍的な経験ではない。 再開発は長い間(特にソウルと首都圏の)社会的な問題だったが、抵抗は主に撤去民当事者らの役割だったからだ。 こうした意味で、2009年は重い意味がある時間だった。 われわれは2009年を撤去民5人と警察1人が死亡した竜山(ヨンサン)惨事で始めた。 そして竜山惨事は極端な場合には、抵抗の結末がどれ程まで恐ろしい状況に至るのかを人々の脳裏に刻印した。 竜山惨事で再開発の矛盾とそれに対する問題意識がまた喚起され、普遍化したのだ。

竜山の悲しみと恐怖がまださめやらない2009年の年末。 弘大前のトゥリバンでは、竜山と全く違う方式の撤去抵抗が弘大の前で始まった。 トゥリバンは当時、弘大入口駅から東橋洞三叉路方向(現在弘大入口駅4番出口前の大通り)にあるカルククス屋だった。 社長のアン・ジョンニョと彼女の夫で小説家のユ・チェリムが全財産の8500万ウォンと2500万ウォンほどのローンを合わせて、やっと賃貸で用意した空間だった。 だが何とか生計の基礎ができて2年後、弘大入口駅に空港鉄道が入るという理由でトゥリバンは消滅の危機に瀕することになる。 工事を担当するGS建設と撤去施行社ナムジョンD&Cがこの夫婦に差し出した補償金は、引越費用として約300万ウォンが全てだった。

とんでもない補償金と強制撤去という崖っぷちで、他に選択肢がなかったアン・ジョンニョ、ユ・チェリム夫婦は結局、トゥリバンで座り込みを始める。 竜山のナミルダン・ビルと同じすさまじい状況に直面するかもしれないトゥリバン。 こうしたトゥリバンにある日、ハンバッ、パム島海賊団、パク・タハム、回基洞タン・ピョンソン、ハ・ホンジンなどの音楽家が訪ねてくる。 これらの音楽家とバンドがトゥリバンの座り込みに合流し、トゥリバンはすさまじく悲壮な抵抗ではなく、 軽快な抵抗の場になる。 チョン・ヨンテク監督は、この時からカメラを持ってトゥリバンに集まった音楽家と主人夫婦、彼らの軽快な抵抗をカメラに収め始めた。

トゥリバンに集まった音楽家とバンドは強制撤去の危機の中で、トゥリバンでライブ公演を始めた。 トゥリバンの公演がすなわち占拠であり、座り込みの手段は音楽だった。 週末を中心として毎週公演が絶えず続いた。 猛暑の中でついに電気が切られる悪条件でも、公演は止まらなかった。 トゥリバンは再開発という普遍的な社会問題の他にも、自立音楽家たちが繰り広げる実験的で才覚と嘲弄に満ちた公演を行い、 こうしたトゥリバンだけの魅力はすべての社会の期待と関心を集中させた。 結局これらの音楽家たちは2010年5月1日のメーデー120周年をむかえ、 トゥリバンで60以上のバンドが出演する「ニュータウンカルチャーパーティー51+」を開き、 ここに公式に2500人を超える観客が集まった。 1年半に達する531日間の座り込み期間中、50回を越える公演と二回の「ニュータウンカルチャーパーティー51+」が開催され、 〈パーティー51〉はこの公演現場の熱気とトゥリバンで活動した音楽家が展開する舞台の上での才覚と狂気をそのまま2014年の私たちにそのまま伝える。

私たちが十分知っている通り、トゥリバンの抵抗はこうした努力によって大きな成果を上げた。 結局、トゥリバンは長い座り込みの末に比較的合理的な水準の補償金を受け取り、 弘大周辺を離れることなく抵抗の空間として、カルククス屋として、また動き始めることができた。 だが厳密に言えば、再開発座込場に音楽家が集まったトゥリバンは、とても独特な状況だった。 もし〈パーティー51〉がトゥリバンで再開発の暴力性を告発し、勝利を記念するだけに留まっていれば、この映画は非常に残念なものになっただろう。 しかし〈パーティー51〉は、ここからさらに一歩踏み出す。 〈パーティー51〉は生活領域を再配置して変質させる資本主義の都市学の中の弘大、 つまり今は音楽だけでは音楽が不可能に近い弘大前と向き合った音楽家たちの人生とトゥリバンを重ねて見せる。 実際に音楽家たちは、彼らとトゥリバンの同質感を本能的に認識していた。 トゥリバンで最も積極的に活動した音楽家の1人のハンバッ氏は 「弘大前から押し出される音楽家の境遇と撤去民の境遇は同じだ」と話す。 この言葉は長い間、インディ音楽の創造的活動の場だった「弘大前」という領域の変質についての証言だ。 実際にトゥリバンに集まった音楽家たちは、トゥリバンの抵抗の過程でこうした現実を直視して、 自分たちのやり方で連帯して分業し、自らのアイデンティティを形成して成長する。 結局、彼らは変質した弘大前が音楽家に付与する「インディ」という修飾語よりもはるかに急進的な「自立音楽家」としてのアイデンティティを自らに付与し、 自分たちだけの組合を作り出す。 〈パーティー51〉は、こうした過程もそのまま表わしている。 〈パーティー51〉が単に再開発闘争を扱う映像運動としてのドキュメンタリーではなく、 トゥリバンという状況が連結した一種の成長ドキュメンタリーと見られる理由もそのためだ。

最後に〈パーティー51〉についてぜひ知っておきたい部分がある。 今はさらに広く試みられている「社会的製作」の方式を〈パーティー51〉が一番最初に実験したということだ。 社会的製作は映画の趣旨に共感し支持する個人や団体が小額の寄付を行い、映画の製作に参加する方式だ。 江汀村に関するドキュメンタリーや、サムスン半導体労働者故ファン・ユミ氏の話を劇映画に製作した〈もうひとつの約束〉も、 同じような似た「政策トゥレ」によって製作された。

また〈パーティー51〉は映画の著作権についても差別的な実験を試みている。 映画封切りから3年後(著作権法は、映像著作物に対して公表後70年の保護期間をおいている)には、営利および修正を禁止する条件で、誰もが〈パーティー51〉を所蔵し、共有することができる。 一部の映画を除くほとんどの映画が劇場での上映が終了すると、大衆との接触がないまま著作権により財産として保護されている現実を考慮すれば、 〈パーティー51〉は実効性のない著作権の保護を自ら解体することで大衆との接触面を広げ、 公益としての映画を同時に追求しているということだ。 こうした実験も今の著作権体制に対する軽快な抵抗だと言えるだろう。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-12-14 12:47:09 / Last modified on 2014-12-14 12:47:10 Copyright: Default

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