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平凡な会社員を辞めてセウォル号の座込場に来た理由

[インタビュー] 『未来なくした』というイ・ヘリ氏

チョン・ジェウン記者 2014.09.25 16:37

イ・ヘリ(36)氏は大学で美術理論を専攻し、 展示・企画の仕事をする平凡な会社員だ。 美術展示解説員のドセント、子供たち美術教育などの仕事をしながら経歴を積んだ彼女は、 最近までソウルの忠武路にある公企業で社報作業をしていた。 他の人々が羨むような安定した人生だった。

彼女は8月31日に職場を辞めてセウォル号遺族がいる光化門・清雲洞の座込場にきた。 ここで遺族を助け、セウォル号特別法制定要求活動をしている。 市民団体や国民対策会議守備隊など、確実に所属がない彼女は人々の質問に 「イ・ヘリです」、「私は失業者なので名刺はありません」と自己紹介する。

保育園奉仕と泰安油類被害油帯除去の奉仕活動が全てで、 カトリック信者だが時局ミサには参加したことないイ氏の人生を、 セウォル号惨事が根こそぎ変えた。 惨事が発生してから、いろいろと悩み、行動を続けて来た彼女は 「未来をなくした」と確信した。

ボランティアでキャンドル、職場と焼香所を行き来する
「数百人が行きたまま...どれほど苦しかったでしょうか」

イ氏は4月16日から残念に思う気持ちで祈った。 昼休みに同僚と「全員救助」の知らせを聞き、幸いと思ったが、 退勤後に「誤報」の事実にあきれて「非常に衝撃」だったという。 働きながらも、時々言論報道とSNSを確認した。 次の日、その次の日も、乗客を救助できない状況に絶望した。

「4月末まで半月間、ずっとニュースを見て祈りました。 眠れなかったのです。 彭木港に行きたくても会社員なので決心するのが難しかったです。 救助できた子供たちが救助されず、大韓民国の山積した問題が爆発し始めて恐慌状態でした。 闇がおりて、明け方が過ぎる時間に、どこが海なのか、どこが空なのかもわからないあの船内に、 数百人が生きたまま閉じ込められていたわけでしょう。 どれほど苦しかったでしょうか。 自然災害でもないのに、とても常識では受け入れられない事故でした」

[出処:メディア忠清]

イ氏は何かしなければならないと思った。 社会が無気力だということを知り、祈るしかできない自分が苦しくていらいらした。 だが平凡な人間には、何をどうすればいいのかもわからなかったという。 そのうちに犠牲者の遺体が収拾されはじめ、 SNSでボランティアの募集を見て連絡し、 安山葬儀場で一日奉仕をした。 そこには檀園高校2年の6人の犠牲者がいた。 イ氏は「奉仕とは無関係に食卓を出して食卓を下げること」だったと謙虚に話す。 イ氏はまたできることを探しに出た。

「キャンドル集会に参加しました。 5月の第2週、安山で大規模キャンドル集会が開かれた時、初めて行きました。 そこで『ああ、でも私が参加するべき集会だ』と感じました。 清渓広場で毎週土曜に開かれるキャンドル集会に参加しました。 自覚と悟りの連続でした。 また私にできることは、退勤して一番近いソウル広場の焼香所に行くことでした。 毎日行って祈りました。 マスコミで接した犠牲者の子供たち、一般人の名前を思い出しながらです」

6月、京畿道からソウルに引越したイ氏は、 市民団体の会員が町内でセウォル号特別法制定を要求する署名運動をしているのを見て、 勇気を出して参加した。 署名場で一週間3〜4回、静かにプラカードを持って立っていた。 この時、遺族は真相究明を叫んで350万人の署名を国会に渡し、ハンストを始めた。 光化門にもハンスト場が作られた。 イ氏は勤務が終わると毎晩、市庁焼香所に行って祈り、 10分の距離の光化門座込場にきて署名運動を手伝った。 座込場でいつのまにか彼女のニックネームは「夜間組」になった。

「初めて署名運動をした時は、一言も言えずプラカードを持って立っているだけでした。 光化門でも『何か手伝いたい』と言ったところ、よろこんで受け入れてくれました。 『特別法制定ための1千万人署名を頼む』、 『安全な大韓民国作るための署名です』など、 すぐに会話の門が開かれました(笑)。 その時、市庁広場に追慕焼香所があって、 10分の距離に親が真相究明のためにハンスト野宿座り込みをしている状況が、 私はとても印象的でした。 この社会で行われるとんでもなく非常識な状況でしょう」

重い病にかかった大韓民国に私が根を下ろすとしても
「中道・中立を維持しようとしたが...自己満足ではないのか?」

5月から8月まで、ソウル広場焼香所と職場を行き来した彼女は職場を辞めた。 イ氏は普段から社会問題に関心が強かったが、 2008年の狂牛病キャンドルから双竜車・竜山惨事・江汀・密陽など、 どんな集会にも参加したことはない。 何が彼女の心を動かしたのだろうか。 韓国社会の素顔があらわれたセウォル号惨事を見て、 彼女は「根元から腐った」社会の構造と向き合うようになったという。

「その日から時間が止まりました。 何故だろうか? 何をすればいいのだろうか? どうすればいいのだろうか? 3つの答えを探さなければいけないと考えました。 このうち、『なぜ』セウォル号惨事をつらく感じ、 共感する人々と一緒にしなければならないのかは分かりました。 私は未来をなくしたと確信しました。 私は普段、淡泊で、健康な人になろうとすれば、 自分『中心』になければならないと考えていました。 それで社会の動きに関心がありました。 ところで総体的に治療ができないような重病にかかった大韓民国だと悟った瞬間、 私が根をおろそうとしても私は腐るしかないと考えました。 また、子供たちが死んでいく時間、両親が、家族が待った残酷で恐ろしい惨事は、 最後の警告のようでした。 きちんと真相究明をすることができなければ、これからも惨事は起きるでしょう」

[出処:メディア忠清]

彼女の心を動かしたもう一つは、反省と省察だった。 セウォル号の乗客は「じっとしていろ」と言われてじっとしていたのに、 なぜ自分はじっとしているのかを考えるようになったという。 誰も自分にじっとしていろとは言わなかったのに。 イ氏は日常に埋没し、政治・社会問題は関係ないという個人にも、 今回の惨事に責任があると話す。

「私は普段一つの問題について、いろいろなメディアの記事を読みます。 自分なりに『政治・経済・科学・文化など、最近、何が問題なのかを知っている。 変わる政策も知っている』と考えていました。 結局、自己満足に過ぎませんでした。 416惨事を体験して『私はとても驕慢で錯覚に陥っていた』と感じました。 『ニュースを見て、バランスよく、中立的な視線を維持するために努力する姿勢は、 惨事を防ぐためには何の助けにもならないんだな』ということです。 もう少し考えてみると、私はアイデンティティ、主体性もなく、 ただ息をしているだけで、何も考えず、堂々巡りで同じ所から動けなかったのです。 大統領、政府官僚、国会議員などがすることが不適当だと関心を持たず、 無視していたことが積もって、 結局、大惨事を起こしてしまったのではないでしょうか。 軽重の差異はあっても、みんなに責任があります」

もちろん、就職が難しい年齢で、安定した職場で経歴も積みたかった。 徐々に老後の準備もして、楽しみたいことも多かった。 しかし彼女はまさに今日一日の与えられた時間に感謝して、 集中して暮らすことも難しいのに、 30年、50年後に備えて縛り付けられて生きたくはなかった。 彼女は会社を辞めたことを後悔せず、 光化門・清雲洞の座込場でさらに多くのことを学んでいる。 セウォル号惨事で彼女の価値観は次第に変わった。

「当然、楽しく暮らしたいです。 お金は人生を便利にしますが、平和にはしないようです。 通帳の残高が増えるのを見ながら 『私はいつ、どうなるのかもわからないのに、これにどんな意味がある?』という気がします。 私は未来を失いました。 生活の時計が止まったので、これを見つけることが先です。 『私はもう貧乏になる』と思うと楽になります。 両親を扶養しなければならず、子供を育てる立場なら、座込場に出てくるのは難しいかもしれません。 しかし座込場にいて、世の中と人間の関係をまた学びます。 学校-会社-結婚という枠組みの中では会えなかった人とここで会うことができます。 人生がまるごと私に入ってきます。 私の人生が健康な方向に成長しているようです」

職場を辞めて、両親が心配したかという質問にイ氏は 「私がうまく戦略を組んだようです」と言って笑う。 その一方で、娘の選択を信じる両親に感謝するという言葉を忘れない。 友人が「座込場に行くと飯はくれるのか?」という質問に 「ここにくればおいしいご飯がもらえる」と笑う。 「嫁に行かないの?」という質問も笑い流す。 彼女は最近、気持ちに余裕ができた。 かえって逆に尋ねる。 「ご飯を食べるために生きる? 良いことだけして生きてはいけなくても、なんとか暮らせる。 まだこんな調子で暮らしてる」。

「お母さん、私が事故にあったら景気浮揚のために適当に真相究明する?」

9月25日でセウォル号惨事から163日、国会本庁前の座り込み76日、光化門広場の座り込み74日、青瓦台前の座り込み35日目になる。 座り込みが長くなり、特別法制定をめぐる攻防が長期化して、だめなことはセウォル号のせいだ。 セウォル号のおかげで経済が難しく、商売ができないなどで国民が被害を受けているといった「セウォル号疲労感」が提起される。 イ氏は最近、セウォル号座込場に来たのは良かったという気がする。

「多分私もセウォル号家族に 『特別法は制定できそうもないからいいかげんにしたら』と言ったかもしれませせん。 今回、自分で気付かなければ。 非難と嘲弄はしなくても、何も解決していないのに、こうしたとんでもないことを言う人の間にいたでしょう。 少しだけ考えてみれば、今、止めろと言えば、 私が大きな傷を受けて苦しむ時、 誰に助けてくれと言えるでしょうか? 止めろと言えば、手を取ってくれる人はいません」

[出処:メディア忠清]

彼女は最近、自分に質問を投げかけながら、相手の気持ちを推し量ろうと努力する。 もしヘリ氏が同じ惨事にあったとすれば、彼女の両親もここに来て座り込みをしたと確信する。 もし彼女の弟が同じ惨事にあったとすれば、姉である自分が真相究明活動をしただろうと話す。 「乗客を救助できたのに救助できない誤った国」、 「青瓦台の前に観光客は行けるのに、遺族は行けないおかしな国」、 さらに「福祉政策のない国」、 「非正規職を解決できない二極化の国」、 「セウォル号惨事からいくらもたたず規制緩和・民営化を推進する国」、 「満腹の人はずっと満腹なのに、空腹の人にもっと税金をかけるという政策を使う国」で、 彼女はずっと質問を投げる方法を選択した。 セウォル号惨事に対する最近の彼女の質問は 「私なら、どうしただろう?」だ。

「子供が大きくなって『お父さん、2014年のセウォル号惨事の時に何をしていたの』と聞かれたら、 『私は座り込みやめろといった』というのでしょうか? でなければ『署名はした』、『リボンを100個作った』、『ミネラルウォーターを買って運んだ』いうのでしょうか? 活劇の武勇談を伝えるという話ではなく、一回ぐらいは自分に問い直してほしい。 孫や孫娘が『おばあさん、おじいさん、その時に何をしたのですか』と聞かれたら、 『あいつらは従北アカだ』とか 『景気が悪いのに、あいつらのおかげで苦しくて、私がやめろといった』というのでしょうか? そうしたら単純な子供たちは『お母さんは私が事故で死んだら、景気浮揚のために適当にするのでしょうね』と話すかもしれません。 そうしたら皆さんは『なんで事故が起きるなんて言うんだ! おかしなことを言うな!』と言って子供たちを叱るのでしょうか?」

付記
チョン・ジェウン記者はメディア忠清の記者です。この記事はメディア忠清にも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-09-27 20:00:55 / Last modified on 2014-09-27 20:00:56 Copyright: Default

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