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権利を犯罪にする国家

[人権オルム]正当な権利行使のために社会的な経験を作ろう

チョンノク(人権運動サランバン) 2014.09.01 15:27

8月20日、大法院は2009年の鉄道ストライキによる業務妨害容疑で起訴された キム・ギテ元鉄道労組委員長に対する上告審で、一部無罪判決をした。 2009年5月〜6月の安全運行闘争は、食堂外注化反対を掲げており、 団体交渉の対象ではない不法争議行為なので業務妨害罪に該当するという2審の判決に対して無罪を判決したのだ。 大法院は6月にも業務妨害容疑で起訴されたシルラ精密支会労組の幹部6人に対し、一部無罪を判決した。 二つの事件とも2011年の大法院全員合議体判決に(2007ト482)従うものだ。

2011年当時、大法院は2006年の鉄道労組のストライキに対し 「使用者が予測できない時期に電撃的にストライキが形成され、 使用者の事業運営に甚大な混乱や損害を招いた場合にのみ業務妨害罪が成立する」と判決し、 「正当な争議行為ではない場合には、無条件に業務妨害罪に該当する」という既存の判例をひっくり返した。 使用者中心の「予測の可能性」と「甚大な混乱と損害」が条件とはいえ、 争議行為そのものを犯罪視する判例から一歩踏み込んだ判決だ。 なお2010年に憲法裁判所は、業務妨害罪に対する憲法訴訟に合憲と決定と、 業務妨害罪に対する大法院の既存の判例の問題を指摘している。 「争議行為は原則として業務妨害罪の構成要件にあたるので処罰できるが、 労組法上の正当性が認められれば処罰できない」という既存の判例が 「一般刑法を過度に適用し、争議行為を基本的に犯罪とみなす余地がある」ということだ。

意味ある判例が少しずつ蓄積されつつあるが、労働者の争議行為への弾圧は相変わらずだ。 大法院によれば、2009年から13年11月までに業務妨害罪で起訴された人は2万4316人にのぼる。 上で言及した大法院と憲法裁判所の判例も、結局は業務妨害罪の合憲性と鉄道労組の業務妨害罪を認めた。

集団的抵抗権に対する体系的な弾圧

興味深いことの一つは、労働者のスト権-業務妨害罪に対する検警と司法府の態度が、 集会・デモの権利-一般交通妨害罪に対する態度と非情に似ているという点だ。 憲法33条により労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)は基本権として規定される。 ところが現実にはその具体的な実行のための法律である労働組合および労働関係調整法(労組法)は、 労働基本権の実現のために多くの留保条項と前提条件をべたべたと付けておいて事実上、 労働三権を封鎖するか、非常に制約的な場合にのみ作動するようにしている。 集会およびデモもまた、憲法21条で言論出版、集会結社の自由として明示されている。 だが集会およびデモに関する法律(集示法)は、集会に関するすべての事項を警察の統制の下に置かせている。

その上、憲法21条2項で許可制を禁じているのに、警察は集示法によって集会申告に対して禁止通告を乱発し、事実上許可制で運用している。 労組法はすべての人が享受すべき労働基本権の主体を労働組合に限定し、 その労組もあらゆる条件を備えなければ設立(申告制なのに!)を許可する。 争議行為は勤労条件に関することに限定すると言いながら、 間接雇用や整理解雇、民営化のように雇用と労働条件に直接的な事案でストライキをすれば不法と規定される。 誰もが自由に集会・デモをしろといいつつ、 いつ、どこで、どんな方法で集会をするのかを申告させ、 これを破れば不法集会と規定される。

あまり近いものと思われない労働権と代表的な自由権の一つである集会・デモの権利を権力が解釈して扱う方式は、驚くべきほど似ている。 空に高く浮かんでいる憲法は、臆面もなく国民の基本権だと宣言する。 ところが現実では、すべての争議行為は基本的に「威力による業務妨害」であり、 道路を利用するすべての集会・デモは「交通妨害」だ。 その中で労組法と集示法をよく遵守した「合法」ストライキと「合法」集会・デモだけを例外的に認めるというその態度である。 争議行為、集会・デモそのものを基本権の正当な権利行使として尊重するのではなく、 根本的に犯罪行為と認識しているためだ。 労働者と市民、労働権と市民権という異質な外観にもかかわらず、 体制を守る権力から見れば、投票すること(代議制民主主義)を越えた集会・デモや市場経済と私有財産を威嚇する労働者のストライキの差は、 それほど大きくは見えないのだ。

権利と犯罪の間

争議行為と集会・デモのような集団的な抵抗に対する国家権力の観点と態度がこのようであれば、 変化を引き出す力はどこから出てくることができるのだろうか。 結局、運動の力しかない。 議会による代替立法も、司法府の判断変化を引き出す代案的な法解釈論も、 これを追求する運動がなければすべて不可能だ。

[出処:チャムセサン資料写真]

集会・デモと労働者の争議行為に対する権力対応の類似性を話したが、明らかな差もある。 70〜80年代の軍部独裁時期に活発に行われた民主化闘争は、街頭での激烈な街頭闘争、集会・デモで象徴される。 少なくとも韓国社会において集会・デモは民主主義を勝ち取った歴史的な集団経験として残っている。 2011年10月に警察庁が主催した「先進集会デモ文化定着のための討論会」で、 討論者として参加した東亜日報の記者は、 合法/不法、暴力/非暴力を厳格に区分して対応するという警察の立場に対し、 80年代の民主化闘争時期の集会を語り、正当な集会を区別する基準は結局、集会・デモの正当性がどれほど認められるかではないかと話し、参席者を驚かせた。 憲法のような上位法で、別途条項により集会・デモの許可と検閲を禁じているのも、 韓国現代史の経験を共有しているためだ。 2000年代に入り、集会の参加者を処罰する主要根拠として機能した一般交通妨害が問題になったのは、 2008年の大規模キャンドルデモで1300人が起訴されてからだ。

しかしわれわれは労働者たちのストライキ、各種争議行為に関する共同の集団経験が不足している。 韓国社会において、ストライキはいつも「利己主義」、「関係ない人を担保にする行為」、「経済を亡ぼす行動」だった。 形式的民主化とともに市民意識は高揚したが、労働者の階級意識は韓国社会においては、まだ席を占めることができなかった。 80年代末から90年代の初め、いくつかの地域を中心として活発だった労働運動の経験と、 96年、97年の全面ストライキが現在の韓国社会での労働者階級意識、 社会的支持を形成する集団経験にはつながっていない。 労働者の争議行為に対する刑法上の業務妨害-民法上の損害賠償-使用者側の懲戒、解雇が特に何事もなく行われる理由だ。 労働者の集団行動が犯罪ではなく、正当な権利行使になるためには、 韓進重工業の希望バスと昨年末の鉄道ストライキで見られた国民的な支持、 労働者の闘争という共同の社会的な経験作りが反復-変奏されなければならない。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-09-02 13:20:38 / Last modified on 2014-09-02 13:20:39 Copyright: Default

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