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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕「逃げおくれた」伴走者―分断された社会で人とつながる
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毎木曜掲載・第415回(2025/12/18)

生きることを諦めない「助けて」と言える社会に

『「逃げおくれた」伴走者―分断された社会で人とつながる』(奥田知志 著、本の種出版、2020年)評者:内藤洋子

 公園などのベンチに仕切りが設けられたのは、いつ頃からだったろう? 始め目にしたとき、奇異に感じたが、すぐにわかった。これではホームレスの人が横たわることができないと。手荷物を枕にホームレスらしき人が寝ている様子は間々見かけていたが、そんな光景も消えた。では、ホームレスはいなくなったのか? いや、目に見えなくなっただけなのだ。

 本書の著者、奥田知志(おくだ・ともし)は1963年滋賀県生まれ。「NPO法人抱撲(ほうぼく)」の理事長で牧師である。北九州市でホームレス支援を始めたのは1988年にさかのぼる。「抱撲」とは耳慣れない言葉だが、老子の言葉で、「撲(ぼく)」は原木を意味し、抱撲とは、原木をそのまま抱き止めるという出会い方であり、人と人との関係を示すものだ、と奥田氏は語る。原木はあらゆる可能性を秘める。それが芽生える時を待つ。その覚悟が必要だと。原木ゆえに少々扱い難く、時には傷つけ合い痛むこともある。支援者は「その人をそのまま受け止め、その人に伴走する伴走者である。」これが第一のミッションだと。

 では、本書の題名にある「逃げおくれた」とはどういう意味なのか。奥田氏がキリスト教会の牧師だと知ると、揺るぎない信念で自己犠牲もいとわず、奉仕活動に捧げているのかと想像してしまうが、彼は自分を「逃げおくれた」弱い人間だという。逃げ出したい、もうやめたいとの思いに何度もかられたという。逃げ出してしまえば、目をつぶってしまえば楽なものをと。しかし、「出会ってしまった責任」があると、ただただ言い続けて、30年が過ぎた、と語る。

 現在は、北九州市の負の遺産であった指定暴力団工藤会本部事務所が解体され、その跡地を借金とクラウドファンディングで得た資金で購入し、「希望のまち」として再生させるプロジェクトを進めている。

 「ひとりの人をそのまま丸ごと受け止める。人が分断されず、そのまま生きていける地域共生社会の創造」を目指す。

 しかし、これまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。ホームレス支援活動を始めて20年経ち、「新しい地域福祉の拠点」を作る段階に入り、2013年に抱撲館の建設を始めようとしていた。しかし計画を知るや、「迷惑施設」だとして建設反対の住民運動が起こる。半年の間に17回の住民説明会を開催するも、ホームレスへの偏見や差別に基づく発言が飛び交い、理解を得るのは困難を極めたという。

 また、2013年に起きた相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」での事件は、大きな衝撃を残した。「生きる意味のあるいのち」と、「生きる意味のないいのち」と分断線を引いた植松聖被告の犯行は言語道断だが、そのような価値観は現在の日本社会に見受けられるのではないかと、奥田氏は問う。生産性の有る無しで人間の価値を量るのではなく、「今生きているということが絶対的な価値」と言い切れる社会を作れるのかと。

 2020年には新型コロナ禍が、世界を不安に陥れた。緊急事態宣言が発出され、ステイホームが推奨されたが、「ステイホーム」できる人々を支えたのは、「アウトホーム」で働く人たち、エッセンシャルワーカーだった。彼らは感染リスクの高い仕事を引き受けた。そして、そもそもステイする家がない人たちはどう生きるのか。派遣切りで社員寮を追い出された人、ネットカフェの閉鎖で居場所を失った人々には、マスクも10万円の給付金も届かない。コロナはそれ以前からあった社会の脆弱性を露呈させた、と奥田氏は言う。人間は一人では生きられない。助ける人が必要な脆弱な存在である。本来人間の中にあるべき<他者性>が、現代社会では失われてきている。居るはずの他者が不在となって、自己責任論が横行し、「助けて」と言えない社会になっていると。

 「この国の闇は、格差であり、差別であるが、私は『子どもが自らいのちを絶つ』ことが最も大きな闇だと思っている。なぜ子どもたちは、「助けて」とも言わずに死んでいくのか。それは大人社会が助けてと言わないからだ。今の社会は強くなることだけを求めてきた。「人間の弱さ」を前提とした社会をつくることが必要だ。」

 奥田氏はホームレス支援を始めてほどなく、「ホームレス」と「ハウスレス」は違うと気付かされたという。ハウスレスは家がないということに象徴される「経済的困窮」を意味する。一方、ホームレスは、ホームと呼べるような人との繋がりがない「社会的孤立」を意味する。たとえ家を得て自立しても、社会的孤立は人を死に追いやる。生きる意味、生きる意欲は、自分が他者から尊重されていると実感できる「自尊感情」と、自分は他者から必要とされていると実感できる「自己有用感」から見えてくる。希望は外から差し込む光のようなもの。ここでも<他者性>は大きな意味を持つ、と語る。

 私は本書を読み、何の衒(てら)いもなく静かに語る奥田氏の言葉の数々に心打たれ、多くを学んだ。
「『困っている人』が、いつのまにか『困った人』と呼ばれるようになる。そして排除が始まる。」との何気ない一文も、目からウロコだった。差別と排除の論理は、日常どこででも再生産されているのだ。
 多くの人に読んでいただきたい一冊である。


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