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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『別れを告げない』(ハン・ガン)
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毎木曜掲載・第374回(2025/1/16)

生者と死者との交流が導く真実―ハン・ガンの世界

『別れを告げない』(ハン・ガン、斎藤真理子訳、白水社、2024年4月刊、2500円)評者:志真秀弘

 本書の扉に著者によるエピグラムがおかれている。
「済州島4・3事件とは、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が建国する直前の1948年4月3日に南半分だけの「単独選挙」に反対して済州島民が起こした武装蜂起を契機とする、朝鮮半島の現代史上最大のトラウマというべき凄惨な事件である。国家公権力により多数の住民が虐殺され、犠牲者は二万五千人から三万人と推定される。以後何十年もこの事件は政府によって『共産主義者による暴動』と規定され、事実は隠蔽され、遺族による慰霊も許されなかった。」

 主人公キョンハは作家(作者自身がモデルであろう)。ある都市での虐殺をめぐる小説を書いた後、悪夢に襲われるようになっている。二十代からの親友インソンは映像作家で、今は故郷の済州島で家具作りを仕事にして工房を開き一人で暮らしている。ある日インソンから入院しているソウル市内の病院に至急きてと電話が来る。駆けつけるとインソンは工房で深傷を負い、強い痛みに耐えながら治療を受けている。インソンはインコを済州島の自宅に置き去りにしたから行って面倒を見てほしいとキョンハに強く頼む。キョンハは済州島に向かう。*写真=ハン・ガン

 済州空港に着き、激しい風と雪のなか、バスでインソンの自宅に向かう。目指す停留所にようやく着き、深く積もった雪をかきわけて、途中、道から滑り落ちたりもしながら、キョンハはインソンの家になんとか辿り着く。済州島の北半部、つまり漢拏山の北側の降雪がどれほど深いものかを読者は体感せずにはいられない。ここまでで小説全体の半分近くが費やされる。

 工房に入るとキョンハのまえにインソンが現れる。霊魂だが、現身として。不可思議とも言えるが、読むものにとっては神秘的なこととしてではなくむしろリアルな流れに感じられる。緊張感で張り詰めていてしかも詩情に満ちた文体によるものかもしれない。インソンは母の面倒を見ていたが、母は最後に認知障害に陥る。世話をしながら母の集めていたスクラップなどを読んでいくと「生きた抜け殻」のように見え、ほとんど何も語らなかった母が、実際は遺族として身を粉にして活動していたことがわかってくる。ドキュメンタリをキョンハと創ろうという企画もインソンにはかつてあって、そのための映像も一部残っている。1948年の虐殺事件当時に母を含む親族がどのようであったかがインソンをとおして語られ、済州島の虐殺とインソンの一族の運命がどのように交差したかが、浮き彫りになってくる。生者と死者とが交わることによってしか真実は見えてこない。それほど過酷な現実が立ち上がってくる。

 霊魂が現身として現れる「不可思議」と書いたが、虐殺された死者と残された生者との交流はどこまでもリアルなものに感じられる。そしてその交流を含め、絵空事としてではなく、読者自身の身体感覚にまでしたい。著者ハン・ガンはそう考えているのではないか。その意味で終わり近くのインソンのモノローグも印象に残る。

「谷間や鉱山や滑走路の下で、ビー玉や、穴の開いたちっちゃな頭蓋骨たちが発掘されるまで、そうやって、何十年もの時が流れ、骨と骨とが混じり合ったまま、まだ、埋もれているのね。/その子供たち。/絶滅のために殺した子どもたち。/ある日、その子たちについて考えた後に家を出た夜にね。台風が来るはずもない十月だったのに、突風が森を吹き抜けていたの。・・・一歩ずつ、必死で地面を踏みしめて、その風を切り裂きながら歩いていて、ある瞬間に思ったの。あの人たちが来たなって。」(292〜293ページ)

 本作はハン・ガンの長編最新作。2021年に発表され、2024年に邦訳刊行された。斎藤真理子の心のこもった訳文はハン・ガンの世界を豊かに味わわせてくれる。本書巻末に収録された「訳者あとがき」は作者と作品を理解する上で欠かせない文章である。今、世界文学の中に韓国文学が一つの惑星群としてあり、最も輝いているのがハン・ガンの作品だと斎藤は指摘する。この小説はそのことを鮮やかに証明している。是非とも読んでほしい。


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