| 12.12「南京大虐殺名古屋証言集会2025」報告 | |
| [MenuOn] Home | ニュース | イベント | ビデオ | キャンペーン | 韓国 | コラム | About | Help [login ] | |
投稿者: 小野政美 <河村市長「南京虐殺否定」発言を撤回させる会>の小野です。 こんばんは。夜分遅くに失礼いたします。 重複送信をお許し下さい。転送転載、SNS拡散歓迎です。 ◆「南京大虐殺名古屋証言集会2025」(2025.12.12)報告(小野政美) (1)本日、12月13日は、中国では、「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」の記念行事が行わ れました。中国江蘇省南京市では、日中戦争中の1937年に起きた「南京大虐殺」の追 悼式典が開かれました。複数の報道によれば、南京では曇り空に小雨が混じる中、午前10 時、「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」で国家追悼式典が始まり、警報の音がまた南 京の空に響きました。午前10時01分から10時02分にかけて、南京市全域に防空警報が響き 渡り、自動車や列車、汽船がクラクションや汽笛を鳴らして哀悼の意を表し、通行人は足 を止めて黙祷しました。追悼式典の会場では、南京大虐殺の犠牲者に花輪を捧げ、「平和 宣言」を朗読し、各界の人々の代表が平和の鐘を鳴らし平和の鳩が空に放たれたというこ とです。高市早苗首相の国会答弁を巡り、日中間の緊張が高まる中での開催でした。南京 市の「南京大虐殺記念館」で開かれた式典では、中国共産党の石泰峰・中央組織部長が演 説し、「歴史は証明してきたし、これからも証明し続ける。軍国主義を復活させようとす る試み、戦後の国際秩序に対する挑戦、世界の平和と安定を損なういかなる試み (2)南京大虐殺の研究者、都留文科大学名誉教授の笠原十九司さん(都留文科大学名誉 教授・中国近現代史)によれば、日本軍は1937年7月7日、中国への全面的な侵略を 開始しました。南京事件は8月15日に海軍航空隊が南京渡洋爆撃を始めて以降、南京攻 略戦、12月13日の陥落、占領の全期間に、中国人兵士と民間人への戦時国際法違反の 殺戮、略奪、強姦など蛮行の限りをつくした事件です。南京大虐殺の犠牲者数は日本軍関 係の資料で最大10万人以上、慈善団体などの埋葬資料で最大21万8849人です。犠 牲者総数の概数は十数万人以上、20万人かそれ以上と推測されます。南京空襲は五十数 回に及びました。日本軍は「あらゆる手段をつくし敵を殲滅すべし」という包囲殲滅戦で 中国の負傷兵、投降兵、捕虜、敗残兵、住民、難民を殺戮しました。第16師団の中島今 朝吾師団長は日記で「大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くること」と書き、捕 虜を殺害したのです。日本軍に追われて長江に逃れようとした敗残兵や避難民の大群はサ ーチライトを照らす軍艦からの機銃掃射で虐殺されました。特に際立つのは女性への強姦 ・輪姦・殺害でした。南京安全区国際 日本軍の略奪は食料、弾薬など軍事物資を補給する兵站部隊が貧弱で、食料などを現地 で徴発したため起こりました。多数の捕虜や避難民などに食べさせる食料がなかったこと も集団殺害の一因です。軍内部の下克上で統制が取れず軍規が乱れる中、「南京一番乗り 」を煽り補給を無視した強行軍が戦時国際法違反の大虐殺につながりました。笠原さんは 、近著『南京事件 新版』(岩波新書)で、南京で海軍の掃討作戦に巻き込まれた陳頤鼎 (ちん・いてい)さんは「軍艦上の日本兵たちが、長江を漂流する無力の戦友たちを殺戮 しては拍手し、喜ぶ姿も見えた。このときの怒りは、生涯忘れることができない」と証言 しています。今、侵略戦争で犠牲になった人たちの痛みを想起できるかどうかが大事だと 思います。戦後、南京大虐殺の史実は史料や証言の発掘、研究によって明確になっていま す。ところが今、これを否定する政権と極右的潮流の策動によって日本人が侵略の事実を 想起できなくされようとしています。それは岸田および石破自公政権が大軍拡と敵基地攻 撃能力の保有で戦争への道を突き進む動きと一体のものです。日本が侵略戦争で多数の人 びとを傷つけた歴史の事実を学び、二 ◆笠原十九司さんの新刊書、『南京事件 新版』(岩波書店:2025.7)では、被害者、犠 牲者の南京市民、難民の実態を日記や証言から明らかにされています。他に、『南京難民 区の百日』『日本軍の治安戦』『海軍の日中戦争』『日中戦争全史(上・下)』なども参 照ください。 (3)南京大虐殺名古屋証言集会が、<ノーモア南京>名古屋の会と<河村市長「南京虐 殺否定」発言を撤回させる会>の主催で、昨日、2025年12月12日(金)、愛知社会文化セ ンターで行われました。。1997年以来継続して行われ来た「南京大虐殺名古屋証言集会」 がコロナ禍のため、昨年まで開催できませんでしたが、今回は証言者に、曹玉莉(C A O Y U L I )さん (父母ともに幸存者の子)を迎えて準備していました。しかし、高市発言 もあり、曹玉莉さんが来日できなくなったため、曹玉莉(C A O Y U L I )さん の証言 ビデオを観て、参加者による対話集会になりました。<河村市長「南京虐殺否定」発言を 撤回させる会>は、13年前の2012年2月20日、河村市長が南京市共産党委員会の表敬訪問 団に対して「通常の戦闘はあって残念だが、南京事件はなかったのではないか」と言って 、南京虐殺を否定する発言を行ったことに対して、その発言を撤回させるために、毎週月 曜日に、名古屋市役所前で街頭宣伝活動を続けていて、来週の月曜日が700回目になりま す。 (4)南京大虐殺名古屋証言集会は、<ノーモア南京>名古屋の会事務局・<河村市長 「南京虐殺否定」発言を撤回させる会>共同代表の平山良平さんの主催者挨拶経過報告が 行われ、6週間に渡る南京大虐殺は、日本敗戦後、連合国による極東国際軍事法廷と中国 国民党政府国防部の南京戦犯軍事法廷によって裁かれたこと、また、1951年9月8日、日本 政府がサンフランシスコ講和条約を調印したその11条によって、日本国は南京大虐殺の2 つの判決を受諾しました。翌52年4月28日、条約は発 効し、これによって日本は国際社会に復帰でき、南京大虐殺は歴史的にも国際的にもすで に確定してい ることが離されました。その後、曹玉莉(C A O Y U L I )さん の証言ビデオを観たあ と、対話集会が行われました。 (5)証言者の曹玉莉さんは、父母ともに南京大虐殺の幸存者であり、その体験を南京な どで証言されています。曹玉莉さんの父親は1929年3月生まれ、母は1930年12月生で、南 京大虐殺当時、7歳の父は僥化門近くに住み、母は太平門近くに住んでいました。父の親 族は6人、母の親族は2人、この南京陥落時に殺されています。7歳の父が自宅(跡)に戻 った時には、正月用に買い込んでいたものどころか、家は焼かれ跡形もないようなありさ までした。身内がどこかに生き残っていないかと探し回ったところで、非業な死を強いら れた父方二人の叔父の無惨な姿を見つけ、生き残った人たちも、力は失せ、眼の前がまっ 暗闇になったと証言ビデオで証言されました。曹玉莉さんの叔父の曹啓江さん(29歳)は 、日本兵に胸部を撃ち抜かれ、銃剣で刺されて亡くなりました。曹玉莉さんの叔父の曹啓 海さん(20歳)も日本兵に殺されました。二人の遺体に近づくこともできなかったそうで す。 (6)ビデオ証言後、対話集会が行われ、南京市の介護施設と交流を続けておられる方の お話もありました。私からは、教科書の南京大虐殺の記述の歴史、2024年の教科書検定で 文部科学省が検定を通過させた令和書籍『国史』教科書の記述の問題、文部科学省の教科 書検定基準の改定により、2014年以降の中学校教科書検定から、南京事件など「通説 的見解がない数字の事項について記述する場合には、通説的見解がないことが明示されて いる」こととなり、歴史的事実の記述が困難になっていること、家永教科書裁判最高裁判 決のことなどを報告しました。 (7)今年3月に南京に行き、曹玉莉さんの証言も聞いた、<河村市長「南京虐殺否定」 発言を撤回させる会>メンバーである坂東弘美が提供された、北京の友人記者王小燕さん の記録ビデオもご覧ください。南京に咲く平和の花&#12316;日本紫金草合唱団の南京 コンサート (8)私たちは、本日、日本軍による中国侵略戦争中の1937年12月13日に起きた 「南京大虐殺」の犠牲者を追悼するとともに、高市政権の進める軍備拡大、武器輸出、改 憲、「新しい戦時体制」、外国人への排外主義、愛国心教育、メディア統制を許さず、ア ジアの人々との市民の友好を広げ、再び、侵略戦争を起こさない不戦・非戦・反戦の誓い を新たにすることが求められています。 以上、昨日開催された「南京大虐殺名古屋証言集会2025」の簡単な報告でした。 お元気で。再見。 Created by staff01. Last modified on 2025-12-14 13:55:53 Copyright: Default | |