〔週刊 本の発見〕『日本語に生まれること、フランス語を生きること』 | |||||||
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毎木曜掲載・第334回(2024/2/8) 基本的人権を有する者としての自覚をもとう『日本語に生まれること、フランス語を生きることー来たるべき市民の社会とその言語をめぐって』(水林章、春秋社)評者:わたなべ・みおき「われわれは公共社会(レス・プブリカ)を持たない。われわれにはレス・プブリカの成立を寿ぐための、ともに歌う歌がない」と著者はいう。 フランスでは政府に抗議する市民たちはラ・マルセイエーズを歌う。天安門事件の時、渋谷に集まった中国人留学生は抗議デモで中国国歌「義勇軍行進曲」を歌ったという。日本で政府への抗議デモの際に「君が代」を歌うことは、ありえない。 中学時代、宿題で「建国」記念日の由来を調べた時の衝撃を、今でもはっきり覚えている。戦争に負け、金輪際戦争はしないと実感した日でもなければ、新しい憲法を作った日でもない。神武天皇が即位した日だなんて、日本は近代国家と言えるのか!と。 著者は40年以上フランス語を学び、2011年以降、一度日本語を離れてフランス語で生きることを選択した。そして、フランス語による執筆を続け、フランス書店大賞他も受賞しているという。 日本語を離れたきっかけは、3・11を経てもなお、「安倍晋三的なるもの」「自民党的なるもの」を清算するどころか、むしろはびこらせている日本に対する憤怒と、その原因に日本語があるのではないか、と考えたこと。 フランス「人権宣言」を基軸に、歴史をさかのぼり、弦楽四重奏や黒沢映画、研究対象としているルソーや自らの体験等さまざまな視点から語ることにより、対等な個人がつくる市民社会について、浮き彫りにしていく。 国連人権理事会による様々な勧告を受け入れない政府を批判してはいたが、「人権」といっても西欧の発想だと感じ、それを押し付けられてもなぁと思う部分もあったのだが、今回、著者によるフランス人権宣言の翻訳を読み、とても具体的に理解することができた。 「人はみな自らの力(権理・権能)を他者に妨害されることなく自由に、そして等しく発揮できる存在として生まれ、生涯そのような存在であり続ける」、「権理・権能とは、自由(自分の思うがままに行動する力)、所有(自分の物に対する支配力)、安全(自分の身体の安全を確保する力)、他者による侵害行為に対して反撃する力にほかならない」。そしてそれを保全するために、公共社会を作る。 日本国憲法も基本的人権をうたっている。個人を尊重するとある。しかしながら日本では、個人が国家に先立つという意識が血肉化されていないのではないか。だからデモでさえ、迷惑をかけているように受け取られてしまう。 その原因を著者は天皇制と日本語とに見出す。「言語の中にある一つの言葉が存在しないということは、その言葉に相当するものを思考できないということを意味する」とアーレントが言うように、もともと日本語に存在しなかった「個人」「人民」「市民」「市民社会・政治社会」等の翻訳された言葉の内容を、日本人は未だに真に思考できていないのではないかと。 男は男らしく、女は女らしく、上の者は上の者らしく、下の者は下の者らしく「わきまえて」分相応にふるまうことによって成り立っている日本社会。相手をどう呼ぶかをはじめ日本語そのものにこれらの関係性が組込まれているので、水平の関係を紡ぐことが難しい。 言葉は一人では変えられないけれども、意識して使うことはできる。夫のことをダンナや主人と呼ぶのはやめましょうと伝えているがなかなか浸透しない。けれども、流されることなく、続けてみようと思う。 Created by staff01. Last modified on 2024-02-08 08:51:30 Copyright: Default |