本文の先頭へ
LNJ Logo アリの一言:殺すな!いま傾聴すべき鶴見俊輔の反戦論
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1707520261133sa...
Status: published
View


殺すな!いま傾聴すべき鶴見俊輔の反戦論

2024年02月10日 | 国家と戦争
  

 小熊英二・慶応大総合政策学部教授(写真右)が、「戦後日本の「リベラル」と平和主義 その所与条件と歴史的経緯」と題した論稿(「世界」2月号)で、「(戦後)平和主義の思想的営為として挙げられる例」として、ベトナム戦争に反対した市民グループ・ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合、1965年結成)を取り上げています。

 べ平連に対しては、ベトナムが共産主義化したらベトナム人は圧政に苦しむ結果にならないか、という批判がなされました。これに対し、呼びかけ人だった哲学者の鶴見俊輔(1922−2015、写真左)は「以下の趣旨で反論した」、として小熊氏はこう紹介しています。

「ベトナムが共産主義化すれば世界がよくなるとは自分は考えておらず、アメリカが手を引けば事態は悪くなるかもしれない。だが特定の価値観で介入してもその判断は間違う可能性がある。人間は完全ではなく必ず間違うことがある。間違った判断で人間を殺せば取り返しがつかない。ゆえに、どちらが正義かの議論より先に、まず殺してはいけない。それゆえアメリカは北爆をやめるべきで、日本はそれに協力すべきではない」

 小熊氏は、これは鶴見が「朝日ジャーナル」(1966年8月14日号)に投稿した「すわりこみまで」という論稿で述べた論旨で、『鶴見俊輔著作集 第五巻』(筑摩書房)に収められていると書いています。

 同書に収められている「すわりこみまで」から、該当部分を引用します。

「私は、戦争中から殺人をさけたいということを第一の目標としてきた。その信念の根拠を自分の中で求めてゆくと、人間には状況の最終的な計算をする能力がないのだから、他の人間を存在としてなくしてしまうだけの十分の根拠をもちえないということだ。殺人に反対するという自分の根拠は、懐疑主義の中にある。だから、私はあらゆる死刑に反対であり、スターリンによるにせよ、アメリカ政府によるにせよ、また東京裁判のような形をとるものにせよ、政治裁判による死刑執行を認めることができない。まして戦争という方式で、国家の命令でつれだされて、自分の知らない人を殺すために活動することには強く反対したい

 小熊氏が「世界」で紹介した鶴見の論旨は、小熊氏の言葉で平易に言い換えられていますが、その意味はもちろん同じです。
 「人間には状況の最終的な計算をする能力がない(人間は完全ではなく必ず間違うことがある)」から、「あらゆる死刑に反対である(間違った判断で人間を殺せば取り返しがつかない)」。「まして戦争には強く反対する」。

 無条件で「戦争に賛成する」人はまずいないでしょう。でも、必ずしも「国家の命令」ではなくても、自ら戦場に赴く。そこにあるものは、それが祖国を守るため、家族を守るための「正義」だという判断ではないでしょうか。

 ウクライナで「戦争継続・徹底抗戦」の世論が強い(と報じられている)状況、「戦うウクライナ」を支持する国際世論(日本市民を含む)の背景にあるのもその「正義」ではないでしょうか。

 でも、その「正義」は果たして絶対的なものでしょうか。鶴見俊輔はそうではないと言っています。「人間は完全ではなく必ず間違う」と。鶴見のような懐疑主義でなくても、現代の情報戦の中、限られた情報で判断する「正義」はますます「間違う可能性がある」のではないでしょうか。

 だから、「どちらが正義かの議論より先に、まず殺してはいけない」。この反戦論に深く共感します。

Created by sasaki. Last modified on 2024-02-10 08:11:02 Copyright: Default

このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について