映画「かずゑ的」を観て : 宮崎かずゑさんの戦中、戦後の半生を追ったドキュメンタリー | |||||||
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熊谷博子監督「かずゑ的」(2024年)を観て現代史研究家 森 健一評者の地元の瀬戸内市にあるハンセン病施設、長島愛生園に戦前、10才で入れられた、宮崎かずゑさん(1928年〜)の戦中、戦後の半生を追った作品で8年間、スタッフが通い、かずゑさんの自伝『長い道』を(2012年)もとに聞き取り、映像記録をしている。 撮影の当初から、同情は上から観るもの、と今まで取材を断ってたが、あなたなら、と入浴の場面から始まる。まず、ハンセン病(かずゑさんはあえてらい病という)を知って欲しいと切断した足、義足を見せる。かずゑさんは、岡山県の東部、評者の母の里から一山さきの農家に生まれた。兄は戦死、祖父も父も母も幼いかずゑさんを愛情たっぷりに育ててくれた。でも村の周囲の目は、ハンセン病への差別そのもので、10才のかずゑさんは自ら愛生園に行くと村を出た。だから、慰問団が愛生園で「ふるさと」を歌うのを許せない。愛生園に着いて、いじめられた。目の前の海で死のうと思った。でも母があとを追うのが怖かった。長島愛生園の外の世界にあこがれた。外国の読み物、紀行記を好んだ。 岡山市内でベートーベンの第九の合唱を直に観たいと夫の孝行さんと二人で出向いたところ、歌手の方が『長い道』を読んでいて、ぜひ、かずゑさんにと会う。歌手も表現者、かずゑさんも表現者として、エールを交わし合うのがとても自然なシーンになっている。長島愛生園には、ほかにもさまざまの表現者、アートの活動が生まれた。差別を受け、体に不自由があっても、それに負けないで80年を生きてきたとの自負があると2020年に先だった夫の眠る慰霊堂でカメラに向けて語った。 熊谷監督のトークで評者は質問した。どうしてさきの「三池の記録」でも取材で深い言葉を引き出し、この作品にも満ちているのか。監督は、ひとつは、相手をよく知るために事前にたくさん学ぶ。二つは、自分もまっさらで素で何も隠さない、三つめは、相手も表現者だと敬う、と。かずゑさんは、今、水彩画をはじめた。ポストカードも買い求めた。 (2024年3月17日) 追記 : 「三池 終わらない炭鉱の物語」(2005年)では、第一組合の側からは聞きたくない、今だからあえて語る本音をも聞き取っていた。戦後史がひっくり返るほどの衝撃を受けた。評者は、労働組合、社会運動史が、闘い抜いた者だけを正、善とする、のちの宣伝となってはならないと知った。以来、評者の国鉄闘争の記録本(2020年)でも北海道、国労旭川地本・音威子府闘争団に焦点をあてながらも、反対側の記録も集めた。熊谷監督の「かずえ的」では、ハンセン病施設に入所してからのいじめが記録されていた。同情からではなく、一対一の人間どうし、本当にフラットであるから、熊谷監督は、かずゑさんから今まで、伝わらなかった言葉を聞き取ったのだと。このことは、現代史研究である記録の作業には、のちの存在意義にも関わることである。あえて負の事実も伝えることである。 Created by staff01. Last modified on 2024-03-19 07:10:24 Copyright: Default |