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翻訳紹介=安田幸弘(レイバーネット国際部)

【外国資本が作った闘士】韓国オプティカル労働者が燃えた工場を守る理由

工場全焼後テント座り込み231日目… 「生活を支える場所がなくなった」

記者名イ・ジェジェ記者入力2023.09.18 07:30
▲燃え尽きた韓国オプティカルハイテク工場を眺める労働者の後姿。 <イ・ジェ記者>

普通、警察は保護する対象に背を向けて立つ。 韓国オプティカルハイテク労働者13人は警察の背中を見なかった。 彼らは自分たちを狙う警察と向かい合って立った。 ある労働者は言った。 「もう私たちは警察の保護の対象ではありません。」 資本は再び労働者を「闘士」にした。 <毎日労働ニュース>は9月11日午前、慶北亀尾市九浦洞の韓国オプティカル工場を訪れた。 この日で225日目の座り込みをしている労働者と会った。 彼らの座り込みは17日現在231日を迎えた。

工場でも市役所でも警察は労働者と向き合った

法人の清算を推進している韓国オプティカルは、工場撤去を目的として8月7日に初めて工場への進入を試みた。 この日の午前から撤去業者を連れて撤去事務所として使うコンテナを設置すると言って工場の中に入ろうとした。 午後になると、警察が労働者と立ちはだかった。 3時間ほど続いた対峙は、会社側がコンテナの設置をあきらめて終了した。 終わりではなく始まりだった。 ある労働者は「現場教育」だと話した。

昨年10月4日、大火で燃えた韓国オプティカルハイテク亀尾工場<イ・ジェ記者>

「会社が私たちのところに来ると、警察は私たちを見ています。列を作って。 私たちを守るのではなく、私たちを防いでいるのです。 先月、亀尾市役所を訪れた時も、警察は私たちを見ていました。 私たちがその人々(市役所公務員など)を傷つけるのではないかと出動したのです。 市役所の公務員が私たちを敵対視していることを感じました。 なぜまた来たのかという目つきだと言えるでしょう。 私が間違っているわけではありませんが、私は話を聞いてほしいと思って来たのに… その人たちも私たちのような人が一人二人ではなかったので、疲れました。 でも傷つきました。 そうしたことがつらい。」

ソ・ヒョンスク氏は「会社側は火災後、工場の再建を強調した」と説明した。 <イ・ジェ記者>

焼けた工場の敷地内にある金属労組韓国オプティカルハイテク支会の事務所で会ったソ・ヒョンスク(42)氏は、こみあげる思いを抑えながら話した。 闘士になる前、彼はただ誠実な労働者だった。 韓国オプティカルだけで16年働いた。その前には他社で働いていたが、妊娠した同僚を追い出すのを見て未来を描くことができずに移った。 韓国オプティカルではLCD偏光フィルムの外観検査を行っていた。 偏光フィルムの外観上の欠陥を見つけて洗浄する仕事だ。 大きさによって異なるが、1時間に900枚の確認をする時もあったが、1枚平均1分以内に業務を処理しなければならなかった。 経営が苦しかった時は包装業務に移ったりもした。 業務が変わるたびに工場の1階と2階を行き来した。 自然と建物が目についた。 16年働いたのだからさぞかしだろう。 彼は「ニュースに出た工場の火災シーンで消防士が行き来した階段は、私も働いていたときによく利用した階段」だとし「燃え尽きた休憩室も、みんな10年以上働いているときに休んだ愛着がある所」と話した。

火災の後、工場を再建すると言っていたのにたった一ヶ月で「清算」

火災は昨年10月4日に起きた。 午後5時頃だった。 黒く濃い煙は洛東江に及んだ。 やがて炎が上がった。 消防士260人余り、消防車80台が動員された。 工場は9時間の間、炎に包まれた。 手がつけられなかった。
11日に訪れた韓国オプティカル工場は、割れたガラスと外に出されたゴミが廃工場であることを雄弁に語っていた。 裏にまわるとさらにめちゃくちゃだ。 工場の裏は外壁まで火に焼かれて骨格だけが残っていた。焼けて錆びた鉄筋や、割れた材料が見えた。 梅雨と台風を経た床には水がたまっていた。 表は寒々しく、中は寂しかった。
火災からまだ1年も経っていない。 工場前のメインゲートには無災害記録板がかけられている。 2022年7月22日に始まって100万時間を目指した無災害時間は1248時間、つまり火災が発生した昨年の10月4日で止まっている。 ソ氏が言った階段を見つけるのは難しかった。
韓国オプティカルは工場を取り壊そうと言いながらも、言っていることは違っていた。 ソ氏は「(会社側が)再建の努力をすると言っていたので、あまり心配はしていなかった」と話した。 しかし11月4日、工場を撤去して法人を清算するというメッセージが来た。 彼はメッセージを見て食事が喉を通らなかったと言った。

イ・ヨルギュン氏は来月結婚を控えた平凡な労働者だ。 <イ・ジェ記者>

10年目の労働者であるイ・ヨルギュン(36)氏は「利益を上げているので、取り壊すとは思わなかった」と話した。 火災が発生する直前までの半年間、会社は新入社員100人を雇った。 10月3日に初出勤した労働者もいた。 だから彼は工場を閉めるとは想像もできなかった。 ところが会社側は彼に火をつけた。 希望退職を語った。イ氏は「清算を担当する労務士が労働者全員を出て行かせるように行動した」と話した。
一部は平沢工場への移転を思い浮かべた。 ペ・ヒョンソクさん(39)は「法人は違っても平沢に同じ資本(日東電工)の韓国日東オプティカル工場があって交流も頻繁だった」とし、「漠然と、最低人数は会社が助けてくれるだろうと思っていたが、間違っていた」と話した。
労働者は慌てて混乱していた。 10年以上にわたって苦しい工場運営を共に耐えた人々だ。15年間工場で働いていたチョン・ナヨン(43)氏は、「生活を支える場所がなくなった」と話した。 それでテントを張った。
続く撤去の試みに、労働者は闘士にならなければならなかった。

チョン・ナヨン氏は工場火災の後「生活を支える場所がなくなった」と残念がった。 <イ・ジェ記者>

金属労組韓国オプティカルハイテク支会は1月30日からテントを張って座り込みに突入した。 火災の後、会社側はすべて工場から抜け出した。 工場につながる寮と事務棟、食堂は空だった。 完全に燃え尽きて搬出する資材も機械もなかったからだ。 近くの他社が工場を増設するため、韓国オプティカルの敷地を訪れ、韓国オプティカルは積極的に工場を撤去しようとしている。 工場を守る理由はただ労働者にしかなかった。 過去10年ほどがそうだったように、彼らがこれから平凡に暮らすには工場が、職場が必要だった。
13人が工場に残ったのはそのためだ。イ氏は平凡で誠実だった人を韓国オプティカルが死地に追いやっていると話した。彼は「残った労働者たちこそ、工場のために献身した人々」とし「私は比較的経歴が短いが、会社は他の人たちにこんなことをしてはいけない」と話した。
イ・ヨルギュン氏も平凡な生活を送る予定だった。彼は4年ほど交際していたガールフレンドと来る10月に結婚する。座り込み中の立場としては容易な決定ではなかった。 「義父・義母によく思われたかった」と彼は言った。 彼は工場でも付き合いが広かったという。そんなに情が多かったせいか、他の仲間たちの境遇を無視できず、一緒に残った。
8月7日、会社と警察による「侵奪」の試みは強烈な記憶だ。 その後も会社側は残った労働者を数回脅した。 8月8日の午後、工場への進入を試みて30分で撤収し、翌日の午後には亀尾市役所が台風カノンの安全診断をすると言って工場に入ろうとした。 その後も同月11日、16日、22日、23日、そして9月5日、7日と続いて進入を試みている。8日には水を止めた。

変わってわかったこと、連帯しなければならないという自責

平凡だった労働者はますます闘士に変わった。 ソ氏は「もともと人見知りで、工場で働いていた時も知人と挨拶するだけだったが、闘争を始めてから他の現場にもよく支援に行って、発言もしなければならず大変だった」と打ち明けた。

ペ・ヒョンソク氏は「公権力は資本のほうを持ち上げた」と話した。 <イ・ジェ記者>

闘争を始めてから、多くのことが見えてきた。 ペ氏は公権力の本音を知った。 「公権力が資本のために動くことを知らなかった。 支援に来たなかまたちがなぜユン・ソクヨル政権を語り、政治を話すのか、最初は理解できませんでした。しかし体験してみると、すべてがつながりました。資本のために亀尾市役所と警察が支援しているようでした。公権力が中立的なら、私たちが亀尾市役所に行ったとき私たちを守らなければなりません。しかし、そうではありませんでした。公権力が資本の側にいることを、つまり労働者の側には労働者しかいないことがわかりました。今は私たちも支援に行かなければならないと思いました。闘争を始めてから、最初は支援に行かなければならないという話を聞くたびに、工場を守らなければならないという気持ちが先に立っていました。でも今はわかります。あの時、なぜきちんと行かなかったのかという思いがあります。今は支援に来てくれた仲間たちに悪いと思うと、闘争をやめることができません。
会社は工場の水を止めたが、手を取り合う労働者は脅威とは感じなかった。8日間の断水で、単調な座り込み労働者の一日に水の傷が追加された。 この日も昼食後に、ペ氏をはじめとする労働者3人が労組の車に乗って近くの公園に行き、20個ほどのバケツに水を満たしてきた。支援するために滞在しているチャ・ホノ労組旭非正規職支会長が「伝授」したノウハウだ。 旭硝子非正規職も闘争中に断電・断水を経験した。
水汲みの闘士たちは、しかし市民の視線が気になる。苦情が入ると長く水を汲めなくなるのでどうするか悩んだ。日差しを避けて公園のあずまやに集まった市民が怪訝そうな視線を送った。労働者ではなく、(闘争の)チョッキを見ているようだった。工場を守ることは、遠い未来ではなく、今日の視線にも勝たなければならないのだ。いつ闘士になるのかわからない時代、市民の連帯が切実だ。 幸いにも断電は止まった。

解雇労働者を加害者にする現実のひどさ

彼らは勝てるだろうか。公権力と自治体をバックにつけている外国系投資資本を規制する法律はない。外国人投資促進法(外国人投資法)は投資を促進する内容で、政府と地方自治体による外国系企業への特恵は認めても規制は認めない。さらに、そもそも韓国では企業関連の法律では特に清算に対する制限がない。
理解できないと労働界は言う。清算に応じて路頭に迷う労働者に対する考慮はない。韓国オプティカルも同じだ。支会の闘争を支援するペ・テソン労組亀尾支部教育局長は「韓国オプティカルは10年ほど赤字ではなく純利益をあげたが、火災の補償金は最大1千300億ウォンにのぼるのに再稼動させず閉鎖しようとしている」とし、「こうした悪い前例を認めれば、今後外国系企業はわずかな事情の変更があっても撤収してしまう」と指摘した。
さらに、会社側は労働者の賃貸保証金や住宅など、4億ウォンの資産に仮差押を申請した。労働者たちは火災で雇用を失って解雇され、続いて清算を決めた会社によって工場に居座る加害者になった。1年もたたない間に世界が変わった。こうした変化は、彼らが制服を着た労働者から、チョッキを着た闘士になったことより劇的だ。
彼らが望むのは工場の再稼働だ。10年の生活の場を元に戻すことだ。さもなくば、平沢工場への転勤措置をすることだ。昨年10月の火災で工場が焼けた後、亀尾工場の生産物量は日東電工のもう一つの韓国法人である韓国日東オプティカルが運営する平沢工場に行った。労働者だけが行けなかった。労働者は「これ以上引き下がらない」と強調した。
イ・ジェ記者 jael@labortoday.co.kr

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