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なかったことにしないで!〜新宿で「群馬の森 朝鮮人追悼碑」撤去反対を訴え

尾澤邦子

 8月27日、新宿駅東口アルタ前広場で、群馬の森朝鮮人追悼碑撤去反対を訴えました。 約70人が参加しました。

 群馬の森朝鮮人追悼碑は、群馬県高崎市の県立公園にあります。広〜い公園の奥にひっ そりと建っている朝鮮人追悼碑。戦時中朝鮮半島から連れてこられ、強制労働で犠牲にな った人々を追悼する碑。「記憶 反省 そして友好」の碑。

 群馬県議会で全員一致で承認され、2004年4月に群馬の森に設置されました。しかし設 置から10年の2014年、県議会は追悼碑設置期間更新を不許可にしました。「そよ風」というグループなどから「撤去せよ」という声があり、また追悼会で「強制連行」という言葉が使われたことが「政治的だ」というのがその理由です。「追悼碑を守る会」の人たちは、県を提訴し裁判を行ってきましたが、2022年6月最高裁で「撤去処分は適法」とする東京高裁の不当判決が確定してしまいました。

 おかしいです。なぜでしょう。戦時中、群馬県内で多くの朝鮮人が強制労働に従事させ られ、また犠牲になった人々がいたことは歴史的事実です。


*群馬の森 朝鮮人追悼碑

 私は群馬県の吾妻郡で生まれ育ちました。高校は吾妻線で渋川女子高に通いました。吾 妻川に沿って走る吾妻線は、風光明媚で、私は川と山のあるその風景がとても好きでいつ もボーっと眺めていました。ボーっとしていたので、その頃は吾妻線がいつどのように作 られたのかなど考えもしませんでした。群馬の森の追悼碑を見て、そしてその意味を知る 中で事実を知りました。

 吾妻線の奥には群馬鉄山があります。戦時中、武器を作るために鉱山を切り崩して鉄や 鉱物を京浜工業地帯に運ぶ必要がありました。突貫工事で鉄路を作るために若い力が必要 でした。でも若者は戦争で戦地に動員されていたため、朝鮮半島から連れてこられた人た ちによって工事が行われました。硬い岩盤を切り崩してトンネルを掘ったり、鉄路を敷設 するのはとても大変なことだったと思います。夜を徹しての工事は機械もない肉体労働で 、危険な作業により命を落とす人がいたことも容易に理解できます。10年はかかると言わ れた工事を2年で完成させたそうです。どれほど過酷な労働を強いられたのかと思います。

 中学生の時、仲が良かった友達の家に行く途中に、木造の大きな建物がありました。古 びたその建物を「何だろう?」と思って見ていました。そこが、朝鮮半島から連行されて きた人たちの飯場・宿舎だったことは、後に群馬の森の追悼碑を知る中でわかりました。

 1998年、群馬県中之条町出身の小渕恵三さんは、内閣総理大臣として、韓国の当時大統領だった金大中さんと「日韓共同宣言ー21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップー」を発しました。その中には「両首脳は、両国国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要であることについて見解を共有し、そのために多くの関心と努力が払われる必要がある旨強調した」とあります。

 小渕さんは、群馬にたくさんの朝鮮人労働者が来ていたことを知っていたと思います。また朝鮮人追悼碑設置を決議した群馬県議会の議員さんたちも知っていたと思います。群馬の森は、戦時中弾薬庫があったところであり、また近くには戦闘機を作る工場もありました。

 歴史的事実を認めず、群馬の森から追悼碑を撤去することは許されません。

 墨田区横網町公園にある朝鮮人追悼碑や、日本全国にある追悼碑についても、「強制連 行」や「虐殺」はなかったと、歴史的事実を否定して追悼碑を撤去しようとする動きがあ ることは許されないことです。

 日本と韓国は、戦争協力のパートナーではなく、1998年の日韓友好のパートナーシップ共同宣言を、もう一度振り返るべきだと思います。


Created by staff01. Last modified on 2023-08-29 10:45:53 Copyright: Default

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