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LNJ Logo 報告 : 「原発事故は国の責任です!〜6.17最高裁判決を正すつどい」
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「原発事故は国の責任です!〜6.17最高裁判決を正すつどい」(主催:原発被害者訴訟原告団全国連絡会)が、7月28日(金)午後1時から参議院議員会館で開催され、100人を超える参加者が会場を埋めた。

全国各地で起こされている福島第1原発をめぐる賠償訴訟で、東京電力の賠償が認められている点では全訴訟が共通しているが、これには電力事業者に「無過失賠償」原則(過失がなくても損害を発生させた場合は賠償責任を負う、とする原則。「原子力損害の賠償に関する法律」第3条に規定)に支えられている部分が大きい。国策民営事業である電力事業の監督者の立場にある国の責任に関しては、下級審の判断はほぼ五分五分に分かれていた。高裁段階では、国の責任を認めたものが3訴訟(福島「生業」訴訟、千葉訴訟、愛媛訴訟)、認めなかったものが1訴訟(群馬訴訟)という状態で、昨年6月17日の最高裁判決にもつれ込んだ。

昨年6月17日、最高裁第2小法廷は、長官を除く4人の裁判官のうち、菅野博之裁判長ら3名により「事故は予見不可能」であり、国に責任はないとする不当な判決が導き出された。これに対し、三浦守裁判官(検事出身)は、国の地震調査研究推進本部が公表した三陸沖地震に関する長期評価の信頼性を認め、これに基づく津波対策を東電に指示しなかった国の怠慢を違法とし、国も賠償責任を負うべきとする反対意見を述べている。

●「なんとしても覆す」決意表明

「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)の中島孝原告団長は福島県内で水産加工販売業を営む。中島さんの「生業」も原発事故により大きな被害を受けた。この集会では、福島県郡山市から大阪へ区域外避難(避難指示区域外からの避難)した森松明希子さんとともに進行役を務めた。「自分の本業は魚屋なので、魚をさばくのは得意だが、集会をさばくのはどうも苦手で」と会場を笑わせながら、「この最高裁判決以降、原発賠償訴訟は明らかに国の責任を免罪する流れに変わっている。この流れを変えるためにも、最高裁6.17不当判決はなんとしても覆さなければならない」と決意表明した。

原発被害弁護団全国連絡会代表世話人の米倉勉弁護士は、「6.17最高裁判決の最も不合理な点は、国・東京電力が取り得た結果回避可能性に言及していないことだ。原発施設の水密化(浸水防止対策)など、やれることはたくさんあったのに、しなかった東電を追認した。最高裁がこんなことを言ってしまうことは、事故の再発防止を不問に付することであり、戦慄と言うべきである」と最高裁判決を批判した。

あいさつに立った吉良よし子参院議員(共産)は「あの判決以来夜も眠れない。国に責任がないとしたら、私たちの自己責任だとでも言うのか、という怒りの声をたくさんいただいている」と最高裁判決が事故被害者にとって二次被害となっている現状を、政治と裁判闘争の両面から変える決意を表明した。

その後は各地の原発訴訟原告から発言が続いた。

・岡本早苗さん(愛知・岐阜訴訟)  原発事故最大の被害は被曝であり、被曝は人権侵害だと一貫して訴えてきた。勝てると確信しているが、そこは「腐っても最高裁判決」であり予断は許さないと思っている。

・瀬尾誠さん(千葉1陣訴訟)  裁判官と電力会社との癒着が明るみに出た(後述)。こんな癒着した裁判官に裁かせてなるものか。

・鴨下全生(まつき)さん(東京訴訟)  いつも安定ヨウ素剤を持ち歩いている。こんなことをしなければならないのは国が責任を取らないからだ。

・村田弘さん(神奈川訴訟原告団長)  神奈川訴訟は8/25に結審させたかったがそうはならなかった。10/6に結審が決まっている。神奈川訴訟の特徴は、地震本部長期評価だけでなく、貞観(じょうがん)地震による津波(869年)も考慮に入れているところである(貞観津波については、検察審査会により2度の「起訴相当」議決を受け、東京電力の勝俣恒久元会長ら3経営陣が強制起訴された福島原発事故刑事訴訟でも、検察官役の指定弁護士が有罪の根拠としている)。

・小林雅子さん、萩原ゆきみさん(京都訴訟。発言は小林さん)  6.17判決に対しては「ふざけんな!」の気持ち。京都訴訟として、公正判決署名にご協力をお願いしたい。

・今野秀則さん(津島訴訟)  浪江町は全面積のわずか1.6%しか避難解除されず、残りは今も帰還困難区域のまま。ふるさとは事実上消滅したに等しい。地域が消滅する原発を許してはならない。

・金本暁(あつき)さん(福岡訴訟、オンライン参加)  裁判だけで勝つのは難しい。世論を喚起し、国も変えなければ。

・佐藤和利さん(関西訴訟)  訴訟提起は早かったのに、進行はしんがり。原因は、訴訟救助に国・東電が反対し、認めさせるのに1年かかったため。私たちは勝つまで闘うので決して負けない。

・武藤類子さん(福島原発刑事訴訟支援団副団長、原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん))  刑事裁判の不当判決がいろいろなところに引用されているのを見ると大変悔しい思いになる。

米倉弁護士以外の各弁護士からも発言があった。原和良弁護士(公害弁連)は、「1972年、個別の利害を超え公害被害者が広く手をつなぐために公害弁連は生まれた。昨年結成50年だった。今、公害弁連にとって最大テーマはやはり戦後最悪の公害となった原発だ。最高裁判決を正さなければ自由も民主主義もない。私たちは主権者であり、国の言うことに従うだけの奴隷ではない。最高裁判決を正せるのは主権者だけだ」と、原告が中心となり、主権者意識を持って司法を正そうと呼びかけた。

地元・滋賀からオンライン参加した井戸謙一弁護士は、「青法協(青年法律家協会)で私たちは「裁判官は公正らしく見えることが大切」と教わった。その公正さを最高裁の判事たちがここまで公然と投げ捨て、東電の代理人事務所に次々天下った」と司法を批判。「国が事故後に適用した20mSv/年基準(人工放射線による追加被ばくを1年間に20mSvまでならしてもよいというもの)は、公害汚染物質に関する国際基準より7000倍も緩い数字で、日本国民が受忍を強いられている。これでは健康被害は出て当たり前だ」と、被ばくからの住民防護政策をとらず、汚染地に住民を捨て置く「棄民政策」の危険性も指摘した。

この発言については若干、説明が必要だろう。月刊誌「経済」2023年5月号記事「「国に責任はない」最高裁判決は誰がつくったか」(ジャーナリスト後藤秀典さん)と題する記事は、6.17不当判決を書いた3裁判官を初め、多くの裁判官が日本を代表する大手法律事務所に再就職し、あるいは逆に大手法律事務所から裁判所に「出向」している。それら大手法律事務所が様々な形で電力会社の代理人を務めるなど深い関係を持っている−−と暴露している。裁判官と検事との間の人事交流「判検交流」は、司法の独立性、公正性を歪めるとしてこれまでにもしばしば批判されてきた。しかし、司法と電力会社との間では、それに勝るとも劣らない、「判電交流」とでも呼ぶべき癒着が白昼公然と行われ、それは今なお続いているのだ!

河合弘之弁護士は「最高裁判決が出たら、普通はそこで闘いが終わることが多い。最高裁判決を覆してやろうという運動が下から沸き上がってくるのは大変珍しく、運動の層の厚みを感じる」とこの間の粘り強い闘いを評価。一方で「各地で起こされている原発の運転差し止め訴訟と、賠償訴訟との連携をもっと強める必要がある」とあらゆる種類の原発訴訟が大同団結することの重要性を訴えた。

休憩後の第2部では、反原発運動団体から「ZENKO関電前プロジェクト」秋野恭子さんの発言があった。今年4月、多くの市民が反対する中、強行された「改正」GX法案によって原発の運転期間は事実上「無原則、無制限」となってしまった。ちょうどこの日、国内原発では最も老朽化した高浜原発(福井県)1号機が再稼働したばかり。秋野さんは「今日、資源エネルギー庁と交渉してきたが、出席予定だった担当者が土壇場で欠席を連絡してくるなどひどい対応だった。こうした傲慢な対応の背景に最高裁不当判決があるのは明らかだ。国内で最も古い原発を再稼働させた関西電力には怒りしかない。ともに闘いましょう」と参加者にアピールした。

●「分断超えてつながろう」統一署名提起

この日の集会の最も重要なポイントはどこにあるのか。私は、第1部で、福島県会津若松市からオンライン参加した片岡輝美さんの発言が最も印象に残った。「放射能汚染水の海洋放出反対を申し入れる際、(福島第1原発の地元である)大熊町の被害者の「心情」に配慮すると汚染水を放出せざるを得ないと経産省に言われた。私たちのような被害者を抑え込むために、別の被害者を都合よく利用する。こんな国の姿勢は許せない」。被害者同士を闘わせ、分断させようとする国・原子力ムラの卑劣な策動を乗り越え、もう一度みんながひとつになろう−−片岡さんのこの決意こそが、最高裁不当判決以降の困難を克服するため、被害者ばかりでなく市民にとって、いま最も必要なことだと私は思う。この日の集会では、各地の原告・支援者はそれぞれに細かな要求は異なるが、基本的な要求も闘う相手も同じだとして、統一署名が呼びかけられた。

<映像>原発事故は国の責任です。6.17最高裁判決を正すつどい@原発被害者訴訟原告団全国連絡会 https://www.youtube.com/watch?v=4yzACKK3ZgU

●意外(?)な人物の発言も

ところで、この集会では意外(?)とも思える人物が発言した。女優の斉藤とも子さん(写真)である。

「25年ほど前、原爆投下後の広島を舞台とした『父と暮せば』(原作・井上ひさし)で被爆者の娘を演じたことがきっかけで被爆者の話を聞き、この問題に関心を持つようになった」(本人談)。調べてみると初演は2001年でご本人の記憶と一致している。

福島原発事故のニュースを聞いたときは、「また新たなヒバクシャが生まれてしまうのか」との思いで「ヒバクシャを生み出すものには反対。難しいことはわからない私のような人間が見ても、明らかにおかしいと思うことが進行している」。岸田政権による軍拡・原発回帰に対し、長年、ヒバクシャと接してきた信念できっぱり批判する姿が印象的だった。

私はその名を思い出せないものの、どこかで見たような漠然とした記憶もあった。検索してみると、1981年から1年間、テレビ朝日系列で放送された児童向けテレビドラマ『それゆけ!レッドビッキーズ』で、勝利を知らない弱小草野球チームを率いる監督・星野ゆかりを演じた人物とわかった。ボールの握り方も知らないのに、草野球チームの監督に抜擢されるという無謀すぎる設定だったが、確かに「あの時代」にはこのような、良く言えばおおらかさ、悪く言えばいい加減さのようなものが割と許容されていたことを含め、懐かしく思い出される。「どうせ草野球なんだし、こんな弱小チームには夢と勇気さえ与えられれば十分なんだから素人でいいんです」という招聘した側の声が聞こえてきそうないい加減さが、逆にこの番組の不思議な魅力となっていた。

『それゆけ!レッドビッキーズ』は、この時代によくあったスポーツ根性もので、当時10歳だった私は結局、1年間の全話を見た。技術指導など望むべくもない素人監督の下で「走って、打って、転がって」(オープニングテーマの一節)もまったく強くならないレッドビッキーズで、ひたむきにプレーする同年代の少年少女、そして彼ら彼女らと根気強く向き合う星野ゆかりの姿に打たれ、いつしか私は野球ファンになっていた。放送から40年以上経つ今も『レッドビッキーズ』の主題歌は完璧に歌えるし、年に何度かは球場にも足を運ぶ。

この番組をきっかけに私は、今から思えば身のほど知らずとしか思えない「甲子園出場」の夢を抱いた。現実は甘くないと知り、夢が散ったのはそれから数年後のことだが、ほんのひとときとはいえ、当時10歳の私に甲子園出場の夢を抱かせることができただけでも、斉藤とも子さん演じる「星野ゆかり」は大成功だったのではないだろうか。

私の人生に大きな影響を与えた斉藤さんが、揺るがぬ決意で反原発をめざすなら、私もその道を最後まで一緒に歩みたい。
(取材・文責:黒鉄好)

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