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「はだしのゲン」を今こそ〜神田香織さん講談

林田英明

●中沢さんの承諾得て37年前から

 神田香織さんの講談「はだしのゲン」は、何度聞いても涙する。4月1日、大阪市中央区のドーンセンターに集まった110人は、時に笑い、そしてハンカチで目元を拭う。原爆に遭いながら負けずに生きる9歳の少年ゲンと家族の物語に没入した。企画したのは同区の隆祥館書店。広島市教育委員会が小中高校で平和教育の教材として使われてきた「はだしのゲン」を今年度から別のものに変更したことを受け、香織さんに持ちかけて実現した。

 香織さんが作者の中沢啓治さんの承諾を得て講談を初披露したのは37年前。中沢さんはニコニコしながら「浪曲は好きなんだよね」と快諾したという。そんな微妙な思い出話を打ち明けながら、香織さんは55分の講談を一気に語った。私が初めて聞いたのは2006年のこと。毎日新聞北九州版にコラムを書いた。書き出しは香織さんのセリフだ。

〈炎と煙の熱地獄。音と光が失われたヒロシマに降る黒い雨。万物は呼吸を止め、神は死んだ〉

 37年前とは、チェルノブイリ原発事故の年、1986年である。チェルノブイリ事故に立ち向かう消防士とその妻の哀しみをつづったノーベル賞受賞作家、スヴェトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り』も2002年に講談化している。香織さんは福島県いわき市出身。「原発事故は、形を変えた原爆だ」との思いを強くし、当時稼働していた福島原発にも無関心ではいられなかった。だが、福島でもレベル7の破局事故が起きてしまう。だから、今回の申し出にも感謝と使命感が交じる思いで関東から駆けつけた。講談の前後で口にする感情は危機感にあふれている。

●軍事国家への道を突き進む権力

 最初に「はだしのゲン」削除のニュースに触れた時、香織さんは松江市教委が「描写が過激だ」として市内の市立中学校の図書館から同書を撤去・貸し出し制限した2012年の出来事が真っ先に頭に浮かんだ。翌年の報道から抗議運動が起き、それは撤回されたのだが、今回広島市教委が理由に挙げる「作品の一部だけを切り取っても、戦争の実相が伝わりにくい」はどうだろう。時代がそぐわない箇所は当然ある。ゲンが道端で浪曲を歌ってカネを稼ぐ場面などはそうかもしれない。だが教材は、きっかけとして本質を見抜く手立てなのだから、なくしてしまえば何も伝わらなくなってしまう。

 講談後のトークで司会した隆祥館書店店主、二村知子さん(左)の小2の孫の話も記しておきたい。サッカー好きで国際試合に感動し「君が代」をカラオケで歌うほどだったのが、友達の影響を受けて図書館で『はだしのゲン』を読み、気持ちが変わっていくのだ。「君が代は、ええ歌やけど、歌う時には考えなあかん」と言う。理由は二つ。一つは天皇の命令で朝鮮の人をたくさん殺していること。もう一つは「天皇陛下バンザイ!」と叫んで多くの人が崖から飛び降りて死んでいること。二村さんは、これを聞いて「こんな小さな子どもでも理解できる漫画の力に驚いた。戦争を教育から止めるためには『はだしのゲン』は継承されるべき必須教材。広島市教委は平和教育の教材から外すことを撤回すべきだと考えています」と力を込めた。歴史を知り、人間を知っていく。他の何よりも的確な教材だと二村さんは考える。

 香織さんは述懐する。「何が変わったか。私たちは変わっていない。変わったのは権力側だ」。しかし、これは少し補って考える必要がある言葉だろう。連合国軍総司令部(GHQ)による戦後日本の民主化・非軍事化政策は2年ほどで「逆コース」と呼ばれる見直しが図られ、朝鮮戦争へと向かう。憲法9条を無効化しようとする権力側の思惑は、教育とメディアを順々に押さえて「普通の国」を目指す。今や国民は、防衛費という名の軍事費がこれだけ膨らんでも岸田文雄首相の「東アジアの安全保障環境が急速に厳しさを増す中」という記者会見を額面通りに受け止めてしまっている。権力側は実は変わっていない。こうして常に機をうかがい、今までコッソリだったのが、もはや堂々と軍事国家への道を突き進んでいるのだ。一方、「私たちは変わっていない」かと問われれば、今回の講談に足を運ぶ人たちの思いは確かに「変わっていない」が、戦場体験者の数が限られ、人間性を失う戦場の悲惨さを肌で知る者が少なくなれば、総体として国民の意識は「変わった」と言えよう。市民運動側にしても、広島市教委の方針が分かってすぐの3月4日に広島弁護士会館で「はだしのゲン」の講談を含む集会が開かれたものの、香織さんが呼ばれたのは今回の大阪がようやく2カ所目。まだまだ知られていないが、香織さんの元に少しずつ講談依頼の予定が入ってきている。広がりに期待したい。

●戦争犯罪を追及する動きが弱く

 アフタートークのテーマは「漫画『はだしのゲン』の継承について」。香織さんは、ゲンの父大吉の息づかいに「庶民の怒り」を感じるという。戦時中、隣組の竹槍訓練を嗤い、反戦思想を隠さなかったため「非国民」扱いされ、さまざまなイヤがらせを周囲から受けても筋を曲げない強さを中沢さんはゲンを通して戦後の社会に訴える。大勢に流され、戦争を「やむを得ない」と許す世の中が来てはいないか。香織さんは、ウクライナへのロシア侵攻についても軍事的スタンスで欧米に付き従ってロシアを刺激するのではなく、平和への仲介を日本は取るべきだと主張する。「おかしいことに気づかなくなっていることがおかしい」と語り、食に事欠く貧困家庭が増えているにもかかわらず兵器の爆買いをしてどうするのだ、と憤然とし「私たちの声は届かず、足蹴にされている」と断じた。

 二村さんも「知らぬ間に武器見本市を日本で開催するようになっている」と呼応し、ジワジワと軍事に慣らされている現実を反転させる必要性を説いた。原爆投下は、当時のオバマ米大統領が2016年に「雲のない晴れた朝、空から死が落ちてきて、世界は変わりました」と広島でスピーチしたような詩的な世界だろうか。香織さんは「落ちてきたのは雨や雪ではない」とあきれ、『はだしのゲン』で描かれたような大量殺人の惨劇とさまざまな障害、そして連綿と続く差別がこれでは全く伝わらないと嘆いた。東京大空襲も含め、国際法違反への批判がスッポリ抜け落ちている。そして、旧日本軍の犯した戦争犯罪も同様に追及する動きが弱い点を2人は感じているようだ。それでは、過ちを再び繰り返してしまわないか、と。

●「明るく、前に向かっての怒り」

 香織さんは中沢さんと話した中で忘れられないことがある。漫画でも触れている通り、原爆投下後、幸運にも生き残ったゲンが学校から家に帰り着くと、押しつぶされた木材の下敷きになっている大吉と弟進次が火災に巻き込まれて焼死してしまう場面に出くわす。なすすべもなく母君江とその場を離れるのだが、中沢さんは「進次がどんなに熱かったかと思うと夜中にガバッと起きてしまう」と語ったという。中沢さんが25歳の時に亡くなった母を火葬すると骨は残らなかった。それらの深い心の傷が漫画を描く原動力になる。主人公の命名は「元気」のゲンから。辛苦を踏み台にして幸せに生きてほしいとの願いが込められている。香織さんは中沢さんの遺志を継いで「明るく、前に向かっての怒り」をこれからも講談に込めていく。

 時間の都合で会場からの質疑応答は限られた。しかし、戦争体験者の元教師らが自分の体験を表出し、質疑というより意見交換の場となった。広島への修学旅行がその後、変えられたり、空襲で友を失った過去を打ち明けられたりする話を聞くと、戦争を絵空事に感じられなくなる。すっかり黄ばんだ『はだしのゲン』の単行本を手にする女性もいた。香織さんは「今はまだ『平和』だから講談をすることもできるが、将来は分からない。戦争を許すかどうかの瀬戸際にある」と声を高めた。今こそ、どんな教科書よりも生きた教材「はだしのゲン」を漫画で、そして講談で。ゲンのたくましさに負けるわけにはいかない。


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