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自分で選び、自分で歩く牛飼いの女性たち〜『飯舘村べこやの母ちゃん』をみて

堀切さとみ

 

『飯舘村 べこやの母ちゃん』を観た。
 古居みずえ監督は3・11後、パレスチナと重なるものを感じて、福島県飯舘村に通う。その記録は前作『飯舘村の母ちゃん』(2016年)で完結したのではない。飯舘村で最初に出会った牛飼いの母ちゃんたちを、ずっと追い続けていたのだ。


シネマリンでの上映最終日 挨拶する古居みずえさん

 「故郷への思い」「べことともに」「帰村」。三章だてのこの映画には、それぞれに主人公がいる。三人の牛飼いの女性を、交差させることなく、それぞれの選択、暮らし、思いを、丁寧に描いている。避難生活という理不尽さの中にある「日常」のきらめきを、古居監督は大切に映し出していた。
 増田明美に似ている中島信子さん(一章)、体育会系でサバサバしている原田公子さん(二章)、夫を心底愛している長谷川花子さん(三章)。彼女たちの話しっぷりは、私が出会った双葉の人たちと、よく似ている。

 牛飼いは明るく、たくましく、強くなくてはできない仕事だろう。いや、牛飼いという仕事、牛たちが彼女たちをそうさせたのかもしれない。  映画の冒頭、中島信子さんの牛を、屠殺場に送り出すシーンから始まる。 「今までよく働いてくれたねえ、今日は最後の乳搾りをしたの」  信子さんは牛たちを褒めてやり、涙の代わりに「誰のせいなの?」とカメラに向かって悔しさをぶつけた。信子さんよりも泣いていたのは私の方だ。
 寝る暇も惜しんで働いてきた信子さんにとって、これからは自分のために時間を使えと言われることは一番つらかった。

 全村避難指示が出されるまで二ヶ月近くかかった飯舘村。それまでのあいだ人々は高い放射線量の中にとどめられたが、その二ヶ月の間に、牛飼いたちはどうするかを選択する猶予があった。そこが3・11直後に町から引きずり出された双葉町などとの違いだろう。

 第二章の原田公子さんは、牛をつれて移住する道を選んだ。もっとも、放射線量検査で高い数値が出れば、叶わなかったことだ。夫婦で牛のお産を助けるのは、人と牛の共同作業である。よろよろと立ち上がる子牛のまばゆさ。「弱い牛は一番手をかけてあげないと」と公子さんはいう。牛飼いなら誰もがそう思うのだろう。

 飯舘村は、満蒙開拓団の引き上げ者をはじめとする開拓農民が多かった。石ころだらけの土地を、美しい耕作地に変えた。
 そういう力をもった人々を、この国はもっと大切にするべきだ。一世代で終わらない脈々と息づく屋台骨のようなもの。それをへし折ったのが原発事故であり、その後の政策だ。
飯舘村

 福島は幾重もの分断と対立を強いられてきた。そんな中で、この映画にはそれを感じなかった。牛は一人では育てられない、二人三脚でなければ。それを知る人たちの織りなす物語だからだろうか。夫婦の会話がとてもよかった。長谷川花子さんは、夫の健一さんが甲状腺がんで亡くなっても「前を向くことができる言葉を、彼は最期に遺してくれた」という。

 この映画を観て、封印していた気持ちが呼び覚まされる人は、大勢いると思う。そして細部にわたって、大切なことが記録されていた。
 上映後、パンフレットにサインを求めた私に、古居監督は「長谷川健一さんばかりか(前作の)菅野榮子さんも亡くなって、ぽっかり穴が開いたようだ」と言われた。本当におつかれさまでした。と同時に、スクリーンの中で彼らは、この先も私たちの行く先を示し続けてくれるだろう。

 3月11日に公開され、東京、神奈川での上映は終わっているが、全国に広がってたくさんの人に観て欲しい。


Created by staff01. Last modified on 2023-03-25 12:50:43 Copyright: Default

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