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闘い続ける活動家 マイク・パーカー(1940-2022) 追悼

  レイバーノーツ編集長 アレクサンドラ・ブラッドベリー 2022年1月20日

 レイバーノーツ出版物4冊の著者であり、43年のその歴史を通じて親しい支援者と重要な戦略家であったマイク・パーカー氏が、1月15日に膵臓癌のため亡くなった。彼は素晴らしい思想家であり、謙虚で献身的な運動推進者であり、何世代にもわたる活動家の道徳的指針であり、指導者でもあった。その死は大きな損失である。

 バーニー・サンダース上院議員はレイバーノーツ記者にこう語った。「私は1960年代初頭、シカゴ大学の学生だったころにマイク・パーカーと知り合いました。マイクは当時、労働者と労働組合の素晴らしい擁護者であり、生涯にわたってそうであり続けました。マイクは人間の連帯と、より公正で人道的な世界のためにたゆまぬ闘いを続けました。彼の生涯にわたる献身は、私たち全員の模範となるべきものです。」

 パーカーの大きな貢献のひとつは、1980年代から1990年代にかけて全国で流行った一連の企業戦略を批判的に分析したことである。リーン生産、チームコンセプトやQCサークルや 「労働生活の質」QWLといった名称の労使協調参加制度のことである。彼はデトロイト近郊のクライスラーとフォードの工場で電気技術者として、全米自動車労組(UAW)の組合員として働きながら、この分析を深めていった。

 リーン生産方式は、トヨタが強力に推進したもので、自動車産業から始まり、病院などあらゆる分野に広がった。課題解決に重点を置いており、労働者を強めるものだというのは耳当たりは良いが、上辺だけに過ぎないことをパーカーは以下の著作を通じて解明した。『Inside Circle: A Union Guide to QWL』(1985 年)、『Choosing Sides: A Union Guide to the Team Concept』(1988 年)、『Working Smart: A Union Guide to Participation Programs and Re-engineering』(1995年)。(後2作はジェーン・スロータとの共著)

 レイバーノーツ誌の創設者の一人であるスロータはこう語る。「労働者が自分のアイデアを経営側に伝えることが労働者のためになると思わせて、いかに労働者を騙そうとするか、そしてそれがいかに嘘なのか、くわしく分析しました。労働者は発言権を持つことになるのですが、その発言権とは、自分の仕事をいかに速くするか、チームの労働者数を6人から5人に減らすかということだったのです」。

 マイクのリーン生産の分析は「素晴らしく、画期的でした」とスロータは言う。「労働運動からだけでなく、研究者からも注目されました。このリーン生産様式では、作業スピードを上げさせ、決してミスをしないよう自動的に圧力を掛けるように設計されているという彼の分析は、本当に目を見張るものがありました。監視者がいなくても、システムそのものが鞭となって働く仕組みを理解した最初の人だったのです」。

抵抗の学校

 この分析と抵抗の戦略を普及させるため、パーカーとスロータはカリキュラムを考案し、一連の週末集中型チームコンセプト講座を開催した。 「私はリーン生産方式を 『ストレスによる管理 』と呼び、経営側が 『より競争力のある』と言うたびに『より収益性の高い』という言葉に置き換えることを学びました」と民主化を目指すチームスターズ(TDU)のオルグのデイヴィッド・レヴィンは言う。「UPS社がチームコンセプトを導入しようとしたとき、チームスターズ労組改革派は『チームスターズ労組こそがチームだ』というスローガンを掲げて対抗キャンペーンを展開し、勝利を収めました。このキャンペーンは、1997年の労働協約交渉とストライキの土台作りに役立ちました」。

 全米通信労組(CWA)では、その北東部地方の組合活動を発展させるのにパーカーは貢献した。『Inside Circle: A Union Guide to QWL』は、「1980年代半ばにCWAが盛んにQCサークルを受け入れていたことを覆すためには素晴らしいツールだった」と、当時同組合のオルグだったスティーブ・アーリーは言う。1989年にNYNEX社(現ベライゾン)のストライキの後、同社が組合活動の戦闘性を削ぐために参加制度を活用しようとした。その時にパーカーはCWAの地区集会で講演し、労働組合会館で300人の聴衆を前にローカル組合指導者と討論もした。(詳しくはアーリーの追悼記事「マイク・パーカー追悼 偉大な労働教育者」を参照)。

 参加型講座やパーカーの著作は、レイバーノーツの軌道に多くの新しい人々を引き込んだ。「『Inside Circle: A Union Guide to QWL』は飛ぶように売れました」とスロータは言う。「こうした労使協調の取り組みは至る所で展開され、多くの場合、産別労組が推進していたからです。マイクが考え出したような分析を提供する人は他にいなかったのです」。 「今日では、これらの講座がどんなに全国で歓迎されたか、想像できないかも知れないが、その功績はマイクとジェーンのものです」とレヴィンは言う。

民主主義は力なり

 マイクの4冊目の著書『Democracy Is Power: Rebuilding Unions form the Bottom Up』(1999年) はレイバーノーツのスタッフ、マーサ・グルエルとの共著で、最近、新しい世代から新たな関心を集めている古典である。(現在絶版となっているが、レイバーノーツのウェブサイトにPDFが掲載されており、誰でも無料で閲覧・利用することができる)

 当時のAFL-CIOの新指導部は、労働運動の再活性化への期待を高めていたが、労働組合の力を強調しながらも上からの指導が中心で、労働組合民主主義については何も語らなかった。パーカーとグルエルは、労働組合が経営側と闘い勝利するための力は、組合員が労働組合を自分の物として自ら運営できるかに掛かっている、と主張した。

 この本は単なる宣言ではなく、ハウツーガイドでもあり、労働組合に民主的な文化を築くための実践的な具体策とその課題を詳しく教えるものであった。パーカーとグルエルは、組合民主主義とは形式的な手続きの問題ではない、と主張した。議事規則にとらわれない方法や、会議を面白いものにするための章が設けられている。

細部へのこだわり

 自動車、電気通信、トラック運送などの産業に就職して、一労働組合員として労働運動に人生を捧げることを決意した学生活動家の世代の一人がマイク・パーカーである。その目的は、それまでにあった労働組合の改革運動と連携して、UAW、CWA、チームスターズ労組といった重要な労働組合を下から改革することだった。パーカーは1975年にデトロイトに移住し、クライスラー社で電気技術者として採用された。

 その活動経験によってパーカーはみんなの指導者となった。2005年から2017年までレイバーノーツ代表を務めたマーク・ブレナーは、「マイクは、私と同世代や若い世代の多くの草の根活動家にとって、とても偉大で静かな指導者でした」と語っている。「彼がいつも言っていたことのひとつに、『好きな仕事を見つけなければならない、そうしなければ、決して成功することはないだろう。』というのがあります。彼はそれを実践しました。論理制御システムを教えるのも、自動車工場で技術者として機械をプログラミングするのも、本当に好きでした。好きなことをして職業人生を過ごしたのです」。

 パーカーは寛大で率直な洞察力を持つ、頼りになる人だった。ベライゾン社の技術者であり、CWAローカル1101の活動家であるパム・ガルパンは、「マイクが特別だったのは、彼が非常に豊富な経験を持っていて、それを人に語るだけではなく、話し合うことで共有化しようとしたことです」と述べている。

 経営側の戦略に関する彼の分析は、自身の経験や仕事上の観察に基づくものだった。彼は常に、仕事のプロセス、技術の変化、熟練労働者の特別な役割、そしてこれらの具体的な事柄が、使用者と労働者がそれぞれどこで力を発揮できるかを明らかにすることに強い関心を抱いていたし。

 カリフォルニア大学のUAWローカル2865で職場委員を務めるキース・ブラワー・ブラウンは、「マイクの最も独創的な天才の一つは、労働運動活動家はテクノロジーで経営側の先を行くことで勝利することができるというものでした」と語る。「70年代から80年代にかけて、マイクは自動車工場に導入される新しいコンピュータやロボットについて常に学んでいました。経営側が新しいシステムに関する仕事を組合のない会社に委託することを提案したとき、マイクは『そうはさせない。UAWの組合員として直営でやる準備ができている』と自信をもって主張しました。クライスラーの電気技術者としてのマイクの仕事は、自動車工場内を動き回り、さまざまな労働者に会い、組み立てライン全体を動かしたり止めたりできる中央エアコンプレッサーのような立ち入り制限区域に入れることを意味していました。管理職ができない仕事をできる能力があることが自分の強みである、と私に話してくれました。」

 「彼は純粋に現場労働を理解することにすごい興味を持っていました 」とガルパンは言う。「電話産業でいえば、銅線から光ファイバーへの移行とその意味、ワイヤレスへの移行、これらの技術的な変化が毎日の仕事をコントロールする労働者の能力にどう影響を与えるか、に関心を抱いていました。私が答えを知らないことをたくさん質問してくれました。私を馬鹿にすることなく、自分自身の仕事や産業についてもっと勉強して、それらの質問に自分で答えられるようになりたいと感じて帰ったものでした。」

つなぎ役

 「マイクは、レイバーノーツという組織にとって、何年にもわたって本当に大切なつなぎ役でした」とブレナーは語る。「私たちが何をすべきか、どこを目指すべきかということを、とてもよく示してくれました。」

 会議の受付から、レイバーノーツとTDUが共有する事務所の電気配線の修繕、両団体のための顧客データベースの構築まで、細かな仕事を嫌がることはなかった。

 パーカーの政治活動は、労働運動だけにとどまらない。シカゴの大学生時代には、学生平和連盟と青年社会主義者連盟(サンダース上院議員とともに)のリーダーとして活躍しました。1960年代のバークレーでは、「言論の自由運動」で活動し、ブラックパンサー党と平和自由党の同盟関係の構築に貢献した。

 退職後はデトロイトからカリフォルニア州リッチモンド市に引っ越し、リッチモンド革新連盟RPAの指導者になった。RPAは草の根の地域政治団体で、製油所の街リッチモンドでシェブロン社を打ち負かし、市長と市議会を掌握した。ベイエリアの労働運動やアメリカ民主社会党DSAの活動家たちの指導者となり、レイバーノーツの理事や支援者として積極的に活動し続けた。

 「RPAの指導に深く関わっていた頃も、マイクは常にレイバーノーツの活動を最重要視していました。彼は『労働運動がなければ、他の運動は意味がない』と言っていました」とスロータは言う。

 「自分やベテラン活動家は指導することはできない、労働者が自分たちのために闘い、その闘いが勝利するように支えなければならない、とマイクは熱く語っていました」とブラワー・ブラウンは言う。「特に、ブラックパンサー党やリッチモンド市の警察改革など、人種差別に対する厳しい闘いを何十年にもわたって支援してきたことで、マイクはこのことを強く意識していたのです」。昨年、リッチモンド市は警察予算を削減して、本当の治安を生み出す社会的事業を始めるための予算案を可決した。パーカーは癌と闘いながら、このキャンペーンに積極的に参加しただけでなく、『ジャコビン』の記事の中で、その教訓の概略を説明することに貢献しました。

 晩年には、長年のTDU全国オルグであるケン・パフとともに、彼の活動を引き継ぐための基金「社会正義と連帯の基金」を設立した。

 パーカーの最愛のパートナーであったマーガレット・ジョーダンは2年前に他界した。遺族は、病気の間、彼の世話をした娘のヨハンナと、彼の兄弟たちビル、ボブ、ジェリーである。追悼のための寄付は、RPA、2022年リッチモンド市長選挙エドゥアルド・マルティネス候補当選運動、UAW組合員の草の根運動「全労働者を民主主義めざして結集しよう」UADに贈るよう遺言されている。


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