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生存権と自由権両立させるPCR検査拡充要求

2020年08月13日 | コロナ禍と政治・社会

    

 日本(安倍政権)の「新型コロナ対策」の最大の誤りは、当初からPCR検査を軽視し、抑制してきたことです。安倍政権はその誤りをいまだに是正しようとしていません。
 本庶佑教授(ノーベル生理学・医学賞受賞)はこう指摘しています。
 「日本では、PCR検査の体制づくりが出遅れ…いまだに政府は前向きとは言えません」「今急ぐべきは『全自動のPCR検査システムの導入』。そして『検査試薬の国産化』。政府はこの二つに、重点的に予算を投入していくべきです。全自動PCR装置を七十台導入するとしたら、約十五億円。その試薬費用は一日三万人行うのに約三億円ですから、年一千億円です。マスク配布に四百六十億円も投じるくらいなら、こちらに予算をつけるべきです」(「文藝春秋」8月号)(写真左は強化されている中国のPCR検査)

 安倍政権はなぜ、PCR検査の拡充に背を向けているのでしょうか?
 保健所・医療体制の弱体化や“御用専門家”の影響だけでしょうか?

 その問題を考える手がかりが、5日に行われた「8・6ヒロシマ平和へのつどい2020」での小倉利丸氏(評論家、写真右)の記念講演にありました。
 東京からオンラインで講演した小倉氏は、「危機の時代の特徴は、民主主義の危機と、ナショナリズムの強化である」とし、コロナ禍における民主主義の危機として、「生存権自由の諸権利」が二律背反であるかのように考えられている問題を指摘しました。
 移動の自由や市民運動の集会・デモの自由を行使すれば、コロナ感染を招いて健康・生命すなわち生存権を脅かす。従ってどちらかを選択しなければならない。その二律背反、二者択一が当然のことのように考えられているけれど、本当にそうなのか、という問題提起です。

 小倉氏は、「生存権と自由の権利はけっして二律背反ではない」とし、こう述べました。
 「生存権と自由の諸権利をともに保障する方法が、ひとつある。それは網羅的な検査(PCR検査)である。陽性者を治療に、陰性者を通常の行動にという切り分けを可能にする方法、それは網羅的な検査以外に思いつくことができない」

 そして小倉氏は、「網羅的な検査」を要求・獲得することの意味をこう強調します。
 「自分の身体の状態を自分で知ることは、知る権利の基本だ。検査を受けることが保健所(政府)によって規制されている状態は、知る権利と抵触する。これ自体が運動になりうる要求だ。網羅的な検査が実施されれば、私たちの行動の自由が保障されるとともに、自分の健康についての知る権利も確保できる」

 小倉氏の話から、冒頭の問題の答えが分かったような気がします。安倍政権が一貫してPCR検査の拡充に背を向けているのは、「医療崩壊を防ぐ」という口実で、市民の最も基本的な「知る権利」、自分の身体についての情報を得るという権利を奪っていることです。それは、「知らしむべからず、寄らしむべし」という独裁者の統治手法のコロナ禍における実行であり、同時に、公文書の隠ぺい・改ざんなどによって市民の「知る権利」を奪う安倍政権の常とう手段です。その安倍政権の独裁体質が、コロナ禍において表面化しているのがPCR検査の軽視・抑制ではないでしょうか。

 生存権と自由権の結節点としての「網羅的検査」=PCR検査の拡充。それを要求し実現させることは、小倉氏が強調した「生存権と自由の諸権利」を両立させることであり、同時に、安倍政権の反民主主義・人権侵害とたたかうキーポイントでもあるのと言えるでしょう。


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