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LNJ Logo 黒川弘務・東京高検検事長の定年延長問題の背景〜市民を見下し、管理統制しようとしてきた「戦後検察暗黒史」/安全問題研究会
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 2020年の年明けに通常国会が開会してから4か月。BC(ビフォー・コロナ;コロナ前)には政治的無関心層にはまったく届いていなかった検察庁法「改正」問題が、広範な国民の注目を集め始めている。新型コロナウィルス感染拡大の影響で多くの人を集めての集会・デモなど既存の運動手法の多くが使えず、再考を迫られる中で、ネットを使った新しい市民運動の形としても驚くべきできごとだ。ネットを活用した闘いは、これまでの運動手法では決して手の届かなかった新たな層を獲得できる「起爆剤」になるかもしれない。

 現在、日本社会を騒がせている、いわゆる「黒川検事長問題」とはなんなのか。本題に入る前に、これまでの経過を簡単に振り返っておこうと、筆者が検察庁法、国家公務員法の条文を詳細に調べた結果、いきなり衝撃的な事実が判明した。

 検察庁法では「検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する」(第22条)と定めており、これ以外の規定はない。シンプルでわかりやすい条文である。黒川弘務検事長は1957年2月8日生まれで、今年2月7日をもって63歳に達している(「年齢計算に関する法律」により、すべて日本国民は誕生日の前日をもってその年齢に達したものとみなされる)。検察庁法の規定に従えば、とっくに辞めていなければならない。

 しかし、さすが「朕こそ法律なり」の皇帝アベ3世は、これくらいのことでは動じない。すかさず国家公務員法の条文に目をつける。「職員は、法律に別段の定めのある場合を除き、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日又は第五十五条第一項に規定する任命権者若しくは法律で別に定められた任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日(以下「定年退職日」という。)に退職する」(国家公務員法第81条の2)、「定年は、年齢六十年とする」(同法第81条の2第2項)と原則を定めつつ、「任命権者は、定年に達した職員が前条第一項の規定により退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる」とした同法第81条の3の規定を「活用」したのだ。黒川検事長の定年だけを、これによりさらに延長することにしたのである。しかも、法的根拠のない閣議決定で、だ。

 それでも、「法律に書いてあるならいいではないか」と思う人がいるかもしれない。しかし国家公務員法の条文をよく読み返してみてほしい。同法の定年規定は「法律に別段の定めのある場合を除き」適用されるのである。検察官には、検察庁法という「別段の定め」がある。国家公務員法の定年規定は適用の余地自体がなく、黒川氏の定年を規定するのはあくまで検察庁法第22条だけ、ということになる。

 閣議決定でいくら黒川氏の定年延長を決めたところで、法律を超えることなどできない。いずれにせよ、今年2月8日以降の黒川氏はなんの法的根拠もなく閣議決定だけで東京高検検事長に不法に居座っていることになる。労働裁判でよくある地位確認の逆、つまり黒川氏の「地位不確認」を求める訴訟を今、もし市民の誰かが起こしたら、司法はどんな判断を下すだろうか。

 検察官だけに検察庁法という「別段の定め」があるのはなぜなのか、不思議に思う人もいるかもしれない。検察官以外に、国家公務員法の枠組みと異なる「別段の定め」がされている国家公務員の例としては、警察法の規定がある警察官や、自衛隊法に規定がある自衛隊員らの例がある。これらに共通しているのは、いずれも逮捕、押収、拘禁などの権限を与えられた「暴力装置」であるという点だ。暴力装置に対しては、一般の国家公務員以上に厳しい市民による統制(シビリアン・コントロール)を必要とする。だからこそこれら暴力装置としての機能を持つ公務員に対し、「俺が気に入ったからお前だけ定年延長」なんてやり方は言語道断といわざるを得ない。このニュースを見た一般市民が「アベ3世に対して文句を垂れるだけで即逮捕、という専制政治に日本社会を変えたいのね」という懸念を持つのは当然である。

 ●武田良太行革担当相の「法務省に聞いてくれ」は正論だった!?

 先週、衆院内閣委員会での検察庁法改正問題の審議では、武田良太行革担当相の「本当は私の担当ではない」「法務省に聞いてもらったほうがいい」という答弁のために紛糾。森雅子法相の支離滅裂な答弁も加わり、与党が狙った先週中の衆院通過はいったんはお預けとなった。武田担当相のこの発言を聞いて、その無責任さに憤り、呆れた人も多いだろう。だが筆者にいわせれば、実はこの武田担当相の発言は「正論」であり、法律の所管省庁が違うはずの国家公務員法改正案と検察庁法改正案を、一括のいわゆる「束ね法案」としたことの問題点がまともに出た形である。

 そもそも、国家公務員法の改正案と検察庁法の改正案はまったくの別物である。前者は、少子高齢化を踏まえ、新規採用年齢に達する若者世代が毎年減っていき、従来の制度を維持したままでは国家公務員の数が減る一方となる事態を防ぐため、60歳に達した国家公務員が役職を降りることと引き替えに、本人が希望すれば一律に定年を65歳に延長できるようにしよう、というものである。一方の検察庁法は、極論すれば「官邸の覚えめでたい検察官に限って定年延長を例外的に認める」というものである。公務員「本人の意思」で「一律」に定年延長を認めるのと、「官邸の都合」で覚えめでたい検察官だけに「一本釣り」的に定年の延長を認めるのとではその性質がまったく異なることは、ほとんどの方にご理解いただけるだろう。

 検察庁は、法務省の外局であり、検察庁法も法務省所管の法律だから、本来、国会では法務委員会に付託されなければならない。一方、国家公務員法は、内閣直属でどの省庁にも属さず、「強い独立性を有する」とされる人事院が所管する法律だから、法案の付託先は内閣委員会となる。今回、アベ3世、もとい安倍首相は、検察官の定年も国家公務員法に基づいて決められている「ように見せかける」ため、意図的に両法案を束ね、一括して内閣委員会に付託するという暴挙に出たのである。

 武田担当相は、「本当は法務省所管で審議も法務委員会のはずの法案(検察庁法改正案)までこっち(内閣委員会)に押しつけられ、迷惑きわまりない」と本音では思っていて、それが思わず口をついて出てきてしまったのだろう。

 ●GHQ「検察民主化改革」の衝撃的内容と検察の「暗闘」

 そもそも、戦前から戦時中にかけて、思想検事たちは特別高等警察(特高)と並んで治安維持法の下、市民の思想や社会運動の弾圧に関わった。太平洋戦争開戦の年、1941年に「改正」された新治安維持法の思考によって、思想検事たちは司法省刑事局に結集、反戦思想の取り締まりに徹底的に関わっていく。

 敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は特高警察や思想検察の解体に着手するが、作業は警察が先行した。特高警察を解体し、戦前の国家警察を自治体警察に移行させる警察改革をGHQはなんとか成功させた。だが思想検察の改革は、GHQ内部の意見対立と権限拡大を狙う司法省、内務省の思惑も絡まって難航を極め、日本国憲法施行に間に合わなかった。

 マッカーサーが1945年11月、幣原喜重郎内閣に示した「5大改革指令」で、刑事司法・検察改革は重要な柱の1つだった。マッカーサーは、「国民ヲ秘密ノ審問ノ濫用ニ依(よ)リ絶エズ恐怖ヲ与フル組織ヲ撤廃」することを掲げたが、その中でGHQが示した検察改革案は、「天皇の官吏」としての官制(公務員制度)しか経験していなかった当時の日本側にとって衝撃的な内容だった。国民が直接選挙で検事を選出する「検察官公選制」と、国民の中から選ばれた陪審員が起訴・不起訴を最終決定する「起訴陪審制度」が盛り込まれていたのだ。このうち検察官公選制については、「検事は各都道府県及北海道の四地域毎に其の地域の住民によって議会の制定した選挙法に準拠して選挙される」という先進的かつ画期的なものであった。

 この2つが実現すれば、公訴権を独占してきた従来の日本の検察制度は根底から覆される。GHQによる公職追放令によって、市民弾圧に関わった特高警察や思想検事の多くは追放されたが、幹部ではない中堅以下にはパージされずに残った者も多かった。このラディカルな改革案を見て、当時の検察関係者がどれだけ震え上がったかは想像に難くない。危機感を露わにした司法省・検察当局一体となった、猛烈な骨抜き・巻き返し工作が始まった。

 ●市民を見下していた検察 「我が国民意識の現段階」では無理と言い放った司法省

 結論からいうと、公職追放によってパージされた者も、パージを免れ検察内部に残った者も、一般市民に対する認識には大きな違いがなかった。当時、パージを免れ検察官公選制と起訴陪審制度に猛烈に抵抗した検察幹部が、一般市民をどのように捉えていたかを示す貴重な資料がある。

 GHQの提案に慌てた司法省〜法務省は、検察官公選制と起訴陪審制度を葬り去るために策動を始める。鈴木義男・司法大臣が1946年8月、GHQに提出した独自改革案「司法省の改組と司法手続の改革」は、検察官公選制はもとより、市民から選ばれた委員たちが、検事に起訴・不起訴についての勧告を行う、とした「検察委員会」制度についても「わが国民意識の現段階では弊害を免れない」として、これを拒否する姿勢を明確にしたのである。それどころかこの独自改革案は、マッカーサーが地方自治制度の創設に伴って、地方自治体への移管を考えていた警察までをも司法省の下部組織としてしまう「検察・警察一体化」をうたっていた。身の毛もよだつような恐ろしい内容だ。

 マッカーサーはこの提案に激怒。「司法省の手のなかに、逮捕、取調、裁判、量刑、判決、収監に至るまでの、国民に対する権力の過度の集中がもたらされる」としてこれを一蹴。「そのようなことはルイ14世の統治に等しい」とまで言い放ち、検討に値しないとの姿勢を明確にした。

 事務方で検察制度改革に当たっていた佐藤藤佐・司法次官に対しても「現在司令部内において、検事も選挙によって任命す可(べ)しとする意見が強い」とするGHQ内部の意向が伝えられた。日本側がこれを避けたいならば「何等(ら)かの形で検事に対する国民のコントロールを考える必要がある。検事が起訴す可き事件を起訴しなかった時、検事をして起訴せしめる強制力を与える」ための「国民の代表による委員会の如きもの」を制度として創設するよう求める通告だった。しかしこれに関しても佐藤司法次官は「一般日本人をして委員会の委員たらしめる事は、大陪審制度と同様、現在の日本においては無理である」として否定。GHQは、検察に対するシビリアン・コンロトールの導入が「司令部として動かすことの出来ぬ政策」であり、検察委員会が「国民の代表により構成されること」を必要条件として重ねて伝えたが、佐藤次官はまたも「此のやうな実質上大陪審の如き制度を採用することは時期尚早」として、改革をあくまで拒む姿勢を崩さなかったのである。

 結局、GHQは日本側の激しい抵抗を制しきれず、「委員を選挙人名簿より選ぶ」ことを条件に、諮問機関としてその決定に拘束力を与えない形で「検察審査会」を設けるとした日本案を飲まざるを得なかった。検察官公選制、起訴陪審制という先進的でラディカルなGHQによる検察改革案は、結局「拘束力のない不起訴不当の決定によって検察に不起訴の再考を求める委員会を作るだけ」のところまで後退させられてしまった。実質、改革は骨抜きにされたといってよい。

 戦後日本は新憲法を制定し、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を基本方針に再出発した。皇国臣民として、軍国主義的な価値観をすり込まれた「少国民」が日本人の大半を占めているという時代の制約は確かにあったのかもしれない。しかし、そうした時代的・社会的制約があることを知りつつ、それでもGHQは、今は「少国民」に過ぎない日本人もいずれ成長し、平和・人権・民主主義を担う主権者としての自律的思考力と行動力を備えた近代市民社会の主人公となるであろうことに期待をかけて、日本国憲法を送り出した。日本の司法官僚たちにもGHQと同じように、将来の日本人の成長を信じ、近代的な民主主義に基づく統制にみずから服する意思を示して新しい検察と司法制度を世に送り出す道もあったはずである。だがGHQによって再三求められたその道を彼らは徹底的に拒否した。「有罪率99%」「取調中の弁護士の立ち会いも許されない人質司法」「中世以下」といわれる日本の非民主主義的検察制度のほとんどは、日本の市民の将来の可能性を信じず、「わが国民意識の現段階」では検察の民主的統制など無理と根拠もなく決めつける特権検事たちの抵抗の上に残された。黒川問題もこうした「非民主主義的検察」の延長線上に位置している。固く閉じられていた歴史の箱を開けるとき、私たちは、単なる1人の検事の定年延長というわずかばかりの特権でさえ、こうした連中には決して与えてはならないことに気づくはずである。

 ●市民の願いを無視して東電を免罪し、強制起訴訴訟でも東電を弁護する「ヤメ検」

 不起訴不当の決定をしても、検察が形ばかりの再捜査で再び不起訴にして終わりという冬の時代が長く続いた検察審査会は、2000年代に入って日本人自身が行った司法制度改革の中、思わぬ形で権限を与えられることになった。検察審査会が起訴相当の議決をした後、再度検察が不起訴とした事件でも、検察審査会が2回目の「起訴相当」の議決をすれば強制起訴になる「起訴議決」制度の導入である。

 この事件による強制起訴第1号となったのが、警察の警備上のミスにより、花見客が将棋倒しとなり死者を出した「明石歩道橋事故」であり、それに次ぐ第2号がJR福知山線脱線事故となった。国家権力や巨大国策企業による事故や不祥事のように、みずからも国家権力の一部である検察が不問に付したい事件事故の多くが強制起訴に持ち込まれたことは、市民が主役として事件を審査する制度の有効性を示している。実際、ある検察審査会が、2005〜2007年にかけて行ったアンケート調査によれば、検察審査会委員に選ばれた人のうち、初めは「あまり気乗りがしなかった」「迷惑に感じた」と答えた人の割合が67%を占めていたが、審査員の任期を終えたときには「非常によかった」「よかった」が計96%にも上ったことにも示されている。検察審査会委員として関わった市民のほぼ全員が検察という巨大な暴力装置に対する「民主的統制」という仕事にやりがいを感じていることが見て取れる。

 この後、福島第1原発事故に関しても、勝俣恒久元会長ら東京電力元経営陣3人が業務上過失致死容疑で強制起訴された。昨年9月、1審では全員が無罪となったが、検察官役の指定弁護士が控訴し、今後は高裁で控訴審が行われる予定だ。

 この東電刑事裁判に関しては、重要な事実を指摘しておく必要がある。東電旧経営陣の弁護人として、有田知徳弁護士(元福岡高検検事長)、岸秀光弁護士(元名古屋地検特捜部長)、政木道夫弁護士(元東京地検特捜部検事)など、ヤメ検(元検事)がずらりと並んでいることである。筆者も加わる福島原発告訴団が、1万3千人を超える告訴人を集め、再三にわたって起訴を求める行動を続けてきたにもかかわらず東電を無罪放免にした検察は、強制起訴が決まると今度は元検事を弁護人に据えた。「市民のための検察」に徹底的に背を向け、市民に敵対を続ける検察の姿勢は、司法大臣みずから「我が国民意識の現段階」発言をした頃からほとんど変わっていないのだ!

 ●葬り去られた検察民主化をよみがえらせるために

 これまで、思想検察と特高検察が市民弾圧のために跋扈してきた戦前から、敗戦後のGHQによるラディカルな検察官公選制、起訴陪審制度の提案、そしてそれを断固として阻止しようと徹底抗戦し、ついにその阻止に成功した検察の歴史を見てきた。そこから浮かび上がったのは、民主主義的改革を受け入れようとせず、市民による民主的統制に服することも拒絶するばかりか、そこから逃れるためならどんな手を使うことも辞さない検察の「暗黒史」そのものである。

 こうした戦前戦後を通じた検察「暗黒史」に終止符を打つとともに、市民による統制に潔く服し、支配者のためではなく市民のために厭わず行動できる真の民主検察を打ち立てることができるか。さしあたり、その帰趨を占う上で「黒川問題」が重大な分岐点になるというのが筆者の現時点での認識である。筆者の見る限り、制度を少し改変したくらいでは民主的改革は困難なように見える。司法試験改革など多方面で同時並行的な改革を行わなければならないが、それには多くの時間もエネルギーもかかる。そこで、筆者からひとつの提案がある。

 ●再び「検察官公選制」の提案

 敗戦直後、GHQが導入を目指しながら、強い抵抗でとん挫した検察官公選制の導入を、再び本気で目指してみてはどうか。これが筆者からの提案である。これほどまでに検察当局が嫌がるということは、この改革案が本物であることを逆説的に証明している。かつて東京都中野区では教育長公選制が実施されていた。強い政治的中立性を求められる公職を選挙の対象にし、検察ももちろんそこに含める。時代の変化に対応しようとせず「暗黒史」の記録だけを続けようとするこの巨大な暴力装置に対し、検察審査会委員のほぼ全員が「やりがい」を感じるまでに成長し、日本国憲法を送り出したGHQの期待通りになった「我が国民意識の現段階」を見せつける。権力を弄ぶ皇帝アベ3世から検察という巨大な暴力装置を取り戻すには、もはやこれ以外にないのではないだろうか。

<参考文献>
 本稿執筆に当たっては、以下の2文献を参考とした。各執筆者に対し、最後に記してお礼を申し上げたい。

・「企画委員会シンポジウムII 市民の司法参加の歩みー検察審査会から裁判員制度へ 検察審査会法制定の経緯」(出口雄一/「法社会学」第72号所収)
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsl/2010/72/2010_153/_pdf/-char/ja

・「もう一つの国民の刑事司法参加〜検察審査会の議決が法的拘束力を持つまで〜」(渡辺高/参議院法務委員会調査室編「立法と調査」299号(2009年12月号)所収)
 https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2009pdf/20091201016.pdf

(文責:黒鉄好)


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