![]() |
〔週刊 本の発見〕『82年生まれ、キム・ジヨン』 | ||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(報告) ・レイバーネットTV ・あるくラジオ(2/23) ・川柳班(投句受付中) ・ブッククラブ(3/20) ・シネクラブ(2/2) ・ねりまの会(1/31) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第98回(2025/1/10) ●〔週刊 本の発見〕第377回(2025/2/13) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2025/2/4) ●川柳「笑い茸」NO.159(2025/1/27) ●フランス発・グローバルニュース番外編(2025/2/2) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第97回(2024/12/30) ●「美術館めぐり」第7回(2025/1/27) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
女性としての「あるある」エピソード『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ、筑摩書房)/評者:渡辺照子
主人公の名前は1982年生まれの女性の最も多いものだそうだ。漢字で表記すると「金智英」くらいな感じになるらしい。彼女が生まれた年は韓国で夜間外出禁止令が解かれた日であり、5年後の1987年は民主化宣言が発表され、政府と国民の関係性が変化し、女性政策の基盤となった。そんな時代背景もあるかもしれない。主人公の設定年齢は33歳。大学を卒業し、結婚、出産を経て、嫌でも「自分の人生は何だったのか」と思わざるを得ない節目の年齢であることは日本でもそう変わらない。 子どもの頃からの女性としての「経験」は、日本の女性にとってもほとんど同じだ。その「あるある」エピソードのオンパレードで、私はページをめくりながら何度「そうだ、そうだ」とうなずいたことか。 主人公が小学生の頃、男子にいじめられたことを教師に言いつけたら「あなたが好きだからいじめるのだ」と企業のセクハラを訴えた時の二次被害のようなことを言われた経験。男女混合名簿ではなく男子が先に明記されていることでの女子の不利な状況や、学級委員は男子ばかりであること。中学生になるとがんじがらめの校則に苦しみ、通勤途上のバスの中では痴漢にあい、性犯罪に合うと被害者の女性の方が責められ、男子教師からはセクハラに合い、バイト先では雇用主やお客からセクハラを受け、ストーカーまでされる始末。 なんとか進学した大学キャンパスでは女性に理解あると思ってた男性の先輩が陰では女性蔑視をしていたことがわかり愕然とし、女性が加入できないサークルがあり。女性の手柄を横取りするのも日本と同じ。家庭では不動産投資に敏い母親の功績を自分のものと勘違いする父親がおり、職場での横取りは言うに及ばず。(*写真右=著者 CINRA.NETより)
OECD諸国の中で男女の賃金格差は日本よりもひどいのだ。その中で奮闘する韓国の女性たちにハグをしたいと強く思った。もっともっと腹が立ち、怒りを共感できるオヤジ社会の実例が登場するのだが、文字数の関係でこれ以上明記するのは我慢する。 ただ日本と違うのは、他の女性からの救いの手があることだ。通学のバスの中で性的に侮蔑された時に「あなたは悪くない」と見知らぬ女性から声をかけてもらったり、職場では先輩女性から励ましと援助を受けたり。そこは女々格差と分断が成功してしまった日本とは違う。 次のシーンは最高に泣かせる。彼女が仕事を辞めて育児に専念せざるを得なくなった時に、夫が「理解」を示し「僕も手伝う」との言葉に彼女は切れたのだ。「その『手伝う』ってのちょっとやめてくれる?(中略)子どもだってあなたの子じゃないの?」日本の「子育てママ」も、こうやってブチ切れているよね、きっと。 冒頭では、主人公が自分の身の回りの他の女性たちが乗り移ったような言動をすることに目を引かれた。強いしストレスを受けた時になる解離性同一障害、つまり多重人格になってしまうのだが、私には女性がライフイベントの度に強い性規範や性別役割分業によってそれまでの自分を喪失させ、他の人格に成り代わることを強制されることの比喩だと感じた。実際、作中で主人公は出産のために失うものが女性にばかり偏ることの矛盾を訴えている。女性は常にアイデンティティクライシスの危機に瀕しているのだ。 主人公の夫以外の男性には氏名が冠されていない。これは意図的なものだ。常に女性は固有名詞を与えられてこなかった。それを作中では男女逆転させている。巧みな復讐と言えよう。しかし、私はそれによる描写を全く不自然には思わなかった。多くの男性はそのジェンダーによって下駄を履かせられ社会的に優位になることで、女性ほどには内省や葛藤なくして生きられる個性のない人格となってしまっているからだ。そんな「男性」に名前はいらない。 インパクトある表紙にも言及したい。主人公にも思える女性の顔が大きく描かれているが、肝心の風貌は空白だ。特定の顔を描くより空白にすることで、誰でもあてはまる普遍的な女性の在り方を訴えたかったのかもしれない。代わりに風景が顔の中にある。その風景は荒涼とした砂漠のようであり、木にも葉は茂っていない。遠くにそびえる山は、はげ山だ。だが、草々が少しだけ生えている。「日々辛いことばかりなようだけれど、それだけでもないよ。少し目を凝らして足元を見ると良いこともあるよ。」と言ってくれているような気もする。 韓国では啓蒙書として男性国会議員が300冊も購入して全ての国会議員に手紙と共に贈呈したそうだ。日本でも読書会がさかんに開催されている。 最後に、男性の精神科医の言葉が私にはショックだったが、それはまぎれもなく私たちの現実そのものでもある。そのショックな言葉が何なのかはここでは書かない。知りたければページもめくってみて下さいね。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2019-05-09 09:05:12 Copyright: Default |