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非暴力の精神とデモの文化

キャンドル集会[16年10月―17年3月]とは何だったのか

      小林たかし

1 キャンドル集会への戒厳令計画

 9月14日の『ハンギョレ新聞』は、キャンドル集会が本格化する直前の2016年10月、当時の大統領国家保安室が「希望計画」という名の戒厳令宣布を検討していたと報じた。

 すでに大統領府は、軍の防諜部隊である「国軍機務司令部」が17年2月に作成した戒厳令文書の存在を明らかにしている。戒厳令文書には、ソウルの光化門広場への4800人の武装兵力投入、戦車・装甲車280台配備をはじめ、国会・マスコミ統制案などの、キャンドル集会鎮圧計画が含まれていた(『ハンギョレ新聞』7月20日)。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「戒厳令文書の真実を明らかにする」との指示をだし、すでに捜査は本格化している(同7月26日)。

 世界に類のない、大規模な非暴力積極行動だったキャンドル集会を、朴槿恵(パク・クネ)政権と軍はどのように鎮圧しようとしたのか。その詳細が明らかになれば、民衆の反政府抗議行動について考える材料の一つとして、それは貴重なものとなるはずだ。

 朴槿恵大統領を退陣に追い込んだキャンドル集会は、毎週土曜日、市民みずからが運営する自律的な運動だった。市民といっても、多くは韓国資本主義のもとで生活している労働者階級だ。

 彼ら彼女らの非暴力主義は、どのようにつくられたのか?――戦後の民主化闘争のなかで培われたのか、三・一独立運動における非暴力主義を継承したのか、あるいは近代朝鮮における変革思想の伝統なのか。またキャンドル闘争は、南北の対立から平和共存へむかう朝鮮半島の政治状勢とどのように関連していたのか? これらのことを考えるきっかけとなる素材(報道や映像、雑誌や単行本)にふれながら、今次のキャンドル集会をふり返ってみたい。

2 非暴力をつらぬいたキャンドル集会

 キャンドル集会のきっかけは、16年10月24日、崔順実(チェ・スンシル)のタブレットから各種の大統領文書が発見されたと報じた、JTBCテレビのニュースだった。「朴槿恵・崔順実ゲート事件」の本質は、国政の私物化、つまり朴槿恵政権のよる民主主義の破壊だった。

 同時期、崔順実の娘の梨花女子大への裏口入学が判明し、恋愛・結婚・出産を放棄せざるをえないワーキングプアの若者たちの怒りは頂点にたっした。公平を重んじる韓国社会では、不正入学は兵役逃れとともに絶対に許されない罪悪とみなされている。

 在日韓国青年同盟のホームページは、16年11月14日、「『朴槿恵退陣!』100万のキャンドルが新たな歴史を刻む」と題する、11月12日の第三次キャンドル集会現地リポートを掲載した(出典:統一ニュース/翻訳・編集:韓青同)。以下、抜粋して紹介する。

――2時間以上に及んだキャンドル集会には、主催者推計で市民100万人が集まり……文字通り「すし詰め状態」となった。
 集会の最初に朴槿恵大統領の出身高である聖心女子高の現役高校生がステージに上がり、後輩が先輩に「退陣」を要求した。
 「後輩にとって恥ずかしい存在となった朴槿恵先輩に贈る言葉を聞いてください。……私たちの声が聞こえるなら、その場所(大統領府のある青瓦台)から降りてください。」
 つづけて、日本軍慰安婦問題、非正規労働者問題、歴史教科書国定化問題に取り組む各団体が発言した。……(ヒップホップ)歌手のチョPDや(バラード・ロック歌手の)イ・スンファンの公演も行なわれ、市民たちはキャンドルを頭上に掲げて賞讃した。……
 内資洞交差点には警察車輌で壁が作られたが、ある市民がよじのぼろうとすると、市民の側から「降りて来なさい」と呼びかける平和な雰囲気が保たれた。また、警察との対峙が激化することを懸念し、主催者側の車が市民に後退するよう放送した。――

 非暴力は、3万人を集めた10月29日の第一次集会からキーノートになっていた。キャンドル集会を見守りつづけてきたソウル在住の高木望は、その時のエピソードを書いている(『韓国で起きたこと、日本で起きるかもしれないこと』彩流社、17年)。

――(光化門ロータリー付近で)警察官の持っていた盾を奪い取る小競り合いがあった。ところが同じデモ隊のなかから「非暴力! 非暴力!」の声が合唱のように湧きおこって、奪われた盾が手から手へと渡され、元あったところにかえされる場面が(夜のニュースに)映し出された。……この日の集会とデモの基調(非暴力)はその後、毎週土曜日に行なわれたすべての集会の性格を決定づけた――

 非暴力の精神は、警察との間にだけでなく、集会参加者の言葉の暴力にも注がれた。キャンドル集会のリーダーによる座談会が、韓国の季刊誌『創作と批評』(ネット版、17年春号)に「垣根を崩した若者たち」と題して掲載されているが、つぎはそのなかの一節。

――女性や障害者への卑下が最初は多かったと思います。……演壇に立つ発言者に、事前に社会的弱者にたいする暴力や嫌悪発言をしないように案内していました。それでも発言の途中で、そのような言葉の暴力が実際になんどもあったのですが、……発言者がすぐに謝ったり、司会者が誤った点を指摘したりもしました。その過程で、わたしたちのデモ文化が一段階発展したと思います。――

 キャンドル集会は、2016年10月29日から翌年3月までに23回おこなわれた。第三次行動(11月12日)の3日前に発足した「朴槿恵政権退陣 非常国民行動」(略称、退陣行動)が、これ以降、主催者となって集会をリードした。民主労総も大きな軸となっていたが、「退陣行動」は、環境団体から人権団体まで、1500余りの市民団体が集まってつくられた、広い裾野をもつ民衆組織だった。

 集会には、「○○労組」や「○○学生会」以外に、「カブトムシ研究会」「シマウマ研究会」「おひとりさま連帯」などの旗もあったという。5か月にわたる今次のキャンドル集会には、韓国総人口の33%にのぼる、総計1685万2360人が参加した。

 YouTubeに上手に編集されたキャンドル集会のダイジェスト映像がある。「韓国キャンドル革命 伸◆廚澄,5分弱、△7分。二つの映像のキャプションの一部をランダムに紹介する。

――セウォル号惨事特別調査委員会を強制解散◆人々は街に出た◆しかし国家は取り返しのつかないことをした。69歳の農夫を叩きのめしたのだ◆農民ペク・ナムギ永眠◆いざ再び街へ。一人ひとりがペク・ナムギだ◆セウォル号の悲劇があってもなお、この国は何ひとつ変われなかった。でも今度こそ変わらなければならない◆怒れる農民、トラクターで大挙ソウルへ進撃。この秋は畑の代わりに歴史を耕す◆さまざまな想いがひとつになり、キャンドルは韓国を変えた。梨花女子大に響き渡るKポップ「ろうそく一つ」◆まだ中2で参政権はないけれど、デモという意思表示が国民の思いだってことを政治家に知ってほしい◆今日の闘いはわたしたちのために闘ってくれた先人へのお礼であり、わたしたち自身の革命の一歩であり、後輩たちへの贈りものになるでしょう。――

3 「広場政治」とデモの文化

 2014年4月のセウォル号事件とその後の対応は、政府と財閥への民衆の不信感を増大させ、犠牲者の親族と支援者による反政府行動を激化させた。それがキャンドル集会へとつながっていく。先ほどふれた『創作と批評』の座談会のなかの、セウォル号事件に関する若きリーダーたちの発言の一部を引用する。

――セウォル号事件は、「誰もが災難に遭う」という不安が、国家システム自体に対する不信として拡がった契機であり、このシステムを変えるべきだということが、明らかにろうそく集会の起爆剤になったと思います。2014年に12万人規模で追悼集会があったときも多くの人が集まりましたが、いまや120万人が集まる状況になりました。――
――セウォル号は、人間を利潤に置き換える資本主義の素顔、それと結託した国家、そしてその後に目撃された国家暴力までを総体的に示した事件だと思います。当時、韓国社会が集団的な鬱病を経験したと思いますが、いまはその時の市民が憂鬱から抜け出して、世の中を変えようと広場に出てきたのだと思います。――

 廉武雄(ヨヌ・ムウン)嶺南大学教授は、「キャンドルを掲げて歴史のなかへ」と題するエッセイに、16年11月5日の第二次集会に参加した女子高生の発言を紹介している(岩波書店『世界』17年5月号)。

――大邱市のある女子高生は、キャンドル集会の自由発言の時間に、「不当かつ凄惨な現実をみて、これじゃ本当にダメだと思い、今日、この生きている歴史書の現場に参加することにしました」と語った。そして、家に戻って自分のフェイスブックに「こういうデモをしても国はすぐには変わりませんが、私たち自身はみずから変わります」と書いたという。思うに、社会変革のための市民的参加と人間の内面の感性的変化は、真の革命の両翼のようである。――

 朴槿恵政権退陣など見えていない初期の段階での彼女の発言は、キャンドル闘争の未来を示唆していないか。現実のさまざまな社会運動の実践のなかで、自己を解放する力を見いだすことがなければ、その運動は希望のないものとなってしまうから。

 李起豪(イ・キホ)韓神大学教授は、キャンドル集会の高揚がつづいていた17年2月上旬に執筆した論説「『ろうそく集会』は大韓民国の歴史を変えられるか」(『世界』17年4月号)でこう述べている。

――ろうそく集会の中心は、市民が自由に発言する〈市民発言台〉だ。集会場所には巨大な中央舞台が用意され、あちこちに設置された大型スクリーンを通して、人びとは発言や歌や演奏などを共有する。市民発言台で発言する機会は誰にでも与えられるが、3分を超過してはならない。……ある高校生がこう語った。「歴史を学ぶことも大切だけど、私はここで歴史をつくりたいんです」。――

 著者は同じ論説で、大統領府や議会という舞台の主人公を、客席で市民が餅を食べながら見物するという「劇場政治」にたいして、政界を監視する市民が、広場に集まって主権を行使する行動を「広場政治」と名付けている。彼の論述をつづける。

――ろうそく集会は、政界に自らの権力を委任する代議制民主主義の限界を認識し、毎週土曜に〈広場政治〉を開いてきた。〈広場政治〉が祝祭の場だといわれるのは、主権者である市民が多様な意見を述べる〈討論の場〉があり、多様なグループや複数のアイデンティティの存在を体験できる〈多文化の場〉があるからだ。――

 民衆美術の観点から、韓国の民主化闘争の動向を見つめてきた古川美佳は、『韓国の民衆美術』(岩波書店、18年)で、光化門広場にテント村を設けて籠城した文化芸術人たちによる、非正規職や解雇労働者との音楽コンサートや《広場劇場》での公演、風刺のきいた『広場新聞』の発行や「抵抗のアート展」など、さまざまなパフォーマンスを紹介している。彼女は、キャンドルデモには民衆美術に連なる次世代のデモの文化がある、と述べたうえでこう書いている。

――韓国におけるデモの文化、デモの表現は、生きることについての美学、美意識のあらわれともいえる。その美学とは、悲しみを笑いに、絶望を希望に、負を正に、賤を聖に転化させる作用と反作用、陰と陽の原理であり、躍動する韓国民衆の根強い生命の旋律をあらわし出す抵抗の美学にほかならない。――

4 キャンドル集会がもたらしたもの

 キャンドル集会によって、「キャンドル・デモクラシーの時代」といえる新しい時代がはじまった。先ほどふれた高木望の本には、ソウル地下鉄労組の活動家(48歳)が語るエピソードが載っている。

――ある機関士が5号線の光化門駅に着いたとき、「ここはキャンドルが灯る光化門駅です。市民の皆さん、大韓民国のためにどうか頑張ってください」というアナウンスをしたんです。……また別の機関士は「今日、私は勤務のために集会に参加できませんでしたが、皆さんの安全な帰宅のために最善を尽くします」とアナウンスして話題になりました。これらの事例は、今回の集会を通じて労働者も市民も、心が一つになっていたことをあらわしているのではないでしょうか。/……強烈に広場の民主主義を経験した若い世代が、民主主義に向かおうとするDNAとして、つぎの時代にも受け継いでいくだろうと確信しました。――

 韓国の労働者階級は、文在寅政権となったいまでも、これまでのたたかい方――職場でのストライキ闘争と、街頭での整然としたデモンストレーションを継続している。彼らは、たとえ民主的な政権のもとでも、緊縮政策と称する労働者抑圧には断固反対し、たたかいの手をゆるめない。労働者階級にとって市民とは、労働者の権利と民主主義をたたかいとる運動の対立者ではなく、仲間だということを、キャンドル集会はより鮮明にしたのではないだろうか。

 もう一つ例をあげる。現代韓国史の難問中の難問、「済州島四・三事件」の大衆的な受容がはじまったという事実だ。『すばる』(集英社、18年8月号)に掲載された鼎談「済州島四・三事件から七十年」(金石範(キムソクポム)+ヤン・ヨンヒ+木村元彦)からヤン・ヨンヒさんの発言を紹介する(ヤンさんは『ディア・ピョンヤン』などをつくったドキュメンタリー映画の監督。彼女はいま、四・三事件を題材にした映画を作成している)。

――(文在寅)大統領のあの(四・三犠牲者追悼式での)演説を聞いて……国家を挙げて四・三を認めようとする大きなうねりみたいなのを目の当たりにして、驚きながらも感動で胸がいっぱいになりました。/いま韓国では四・三のことをみんなで知りましょうと地上波のテレビでキャンペーンをしています。韓流スターが出てくるコマーシャルが流れているんですね。もうびっくりしたんです。普通のバラエティー番組の間に、アン・ソンギとか、チョン・ウソンとかトップの売れっ子の役者がぽんとコマーシャルに出てくる。その中で彼らが四・三事件というのは、済州島だけの歴史ではなく、大韓民国の歴史であると言うわけです。チョン・ウソンなんかは、ただ認めるだけじゃあかんと。悪いことをしたなら、それをちゃんとどう悪いことをしたか、そこから認めなあかんということを主張している。友人の韓国の映画人たちも『火山島』という小説の存在を皆が知っていました。――

 キャンドル闘争のなによりの成果は、「キャンドル政権」を自任する文在寅政権の誕生である。新政権によって南北対話が再開され、朝鮮半島に平和が訪れ、北東アジアの新時代がはじまりつつある。

 白楽晴(ペク・ナクチョン)ソウル大学教授は、季刊誌『創作と批評』(18年秋号)に「いかなる南北連合をつくるのか」と題する論考を載せている(『世界』10月号に転載)。著者は、キャンドル革命が徹底した平和的革命として成功した要因を、あらましつぎのように述べる。

《韓国には、東学農民革命や三・一独立運動を支えた非暴力平和思想の伝統と、戦後民主化闘争の教訓を学習するという蓄積がある。またいまの韓国には、軍事政権を倒した1987年体制という民主化された政治環境と、SNSなどによって市民の連帯活動が飛躍的にすすんだ社会的状況がある。世界的には、通信技術の発達と人権意識の拡大によって、暴力による古典的な社会革命――フランス革命やロシア革命――を見直す歴史的経験が蓄積されるという、時代の趨勢がある。こうした流れにのって成功したのがキャンドル革命だった。それはまた、世界資本主義体制の矛盾が集中している分断国家・韓国という「弱い環」でおきた革命だった。》

 最後に、「キャンドル革命という世界的な事件が南北和解を導き出した」と述べる、白楽晴の別の論考から引用する(「『キャンドル』の新社会づくりと南北関係」、『創作と批評』17年春号/『世界』5月号に転載)。なお、これを執筆したのは文在寅政権誕生の直前だった。

――キャンドル革命……は、世界的に民主主義が後退し、暴力が乱舞する時期に起きた。ソ連と東欧の独裁政権が崩壊した大勢にのって起きた(チェコスロバキアの)「ビロード革命」や(韓国の)六月抗争などの一連の変化とは対照的である。それ以後、資本主義世界体制……の危機がいっそう深刻化する……そうした大勢に逆らう市民革命が韓国に起きたのである。/これはキャンドル革命の今後が、それだけ険しく難しくなりうるという意味でもある。……南という枠を超えて朝鮮半島と東アジアで、世界史の隙間に活路を見いだしていかない限り、今後の見通しは立たなくなっている。そのためにまず、大韓民国に実力を備えた民主政権を樹立すべきであり、南北関係の画期的な改善を通じて、韓国経済の活路を求めると同時に、東アジア、さらにはユーラシアの地域協力で、朝鮮半島が障害物となってきた現実を打破しなければならない。――

(『再考再論』61号[2018年11月]より)
編集・発行=再考再論の会 績文堂出版気付 FAX03-3293-1123

*メイン見出しはレイバーネット編集部


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