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毎木曜掲載・第42回(2018/2/1)

権力者を笑うことと弱い者を笑うこと

●『武器としての笑い』(飯沢匡 著、岩波新書、1977年刊・古書)/評者=大西赤人

 現在、テレビを中心として爐笑い瓩梁減澳兇麓造紡腓い。爐笑い畄歐佑魯丱薀┘謄にもニュースにもドラマにもスポーツにも登場し、新たな犧庸宗福)瓩次々に登場し、「一発屋」という呼び名とともに消費されて行く。そして、そこで送り出される「笑い」の主流は軽佻浮薄、弱い者を馬鹿にする卑小でしかなく、あるべき諷刺精神を失い、体制順応、権力追随に堕しているとしばしば言われる。

 昨2017年の後半には、そんな爐笑い瓩鮟笋辰憧つかの出来事が大きな話題となった。9月、『とんねるずのみなさんのおかげでした30周年記念SP』(フジテレビ系)において、石橋貴明が扮したキャラクターが男性同性愛者に対する差別表現であると批判を浴びたこと。12月、『THE MANZAI 2017』(同前)において、ウーマンラッシュアワー(以下、ウーマン/写真下)が原発、沖縄、日米関係などに関して徹底的に安倍政権を攻撃する漫才を演じたこと。同じく12月、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日年越しスペシャル!』(日本テレビ系)において、浜田雅功が顔を黒塗りにしてエディ・マーフィーを真似、黒人差別であると批判を浴びたこと(併せて、ベッキーが不倫騒動の禊《みそぎ》として爐韻張丱奪鉢瓩鮗けたことも物議を醸した)。

 石橋や浜田の場合は、歴史的にも偏見差別の対象となってきた人々を粗略に扱ったという――言わばありがちな――ものだが、ウーマンについては、いささか特異だった。つまり、体制をからかう、権力を冷ややかに見るといういっそ当然の「笑い」の作業が、むしろ昨今極めて稀な例として注目を浴びたのである。ウーマンのネタを作る村本大輔は、これまでにも「僕は国よりも自分のことが好きなので絶対に戦争が起きても行きません よろしく」(2017年8月15日)とツイートするなどして賛否を呼んだ存在だが、今回の上演により、反安倍派、進歩派、リベラル派の多くから絶讃を博し、逆の側からはますます攻撃されている。

 この漫才は大西も眼にしたが、全編、ほぼクスリともしなかった。即ち、あえて地雷原に足を踏み入れた演者の意気込みこそ大いに買うものの、題材の処理があまりにも直截・生硬なため、おかしな表現になるけれども、理屈で納得こそすれ、漫才として滑稽を感じることは全く出来なかったのである(念のためだが、筆者は以前よりウーマンを評価しており、たとえば、最初に彼らを知ったバイトリーダー・ネタなど、社会的視点に基づきつつ笑いをも伴う秀逸な作品と思っている)。笑えない爐笑い瓩テーマ性によって称賛を浴びる――それは正しいありようなのだろうか?

 太平洋戦争中から喜劇の書き手として活躍し、今日《こんにち》では黒柳徹子を発掘・育成した功労者として語られることも多い劇作家・飯沢匡(写真)の古典的な一冊『武器としての笑い』を丸四十年前ぶりに思い立って読み直した。当然、細部は忘れていたが、序章からたちまち驚かされる。出版された1977年といえば、世は田中角栄を中心とするロッキード事件でもちきりだった頃だ。
「私のいいたいのは、ロッキード事件であらわになった金脈政治、これは正に有史以来の大事件なのに、芸能界がそれに対峙しないのは、まことに変だというのだ」
「芸能といえば、日本ではそれは今日では、とりも直さずテレビであるが、そこに全然といってよいほどロ事件の反応が現われない」
「【免許事業である】民放の『民』はだから自民党の『民』なのである。(略)NHKも自民党によってコントロールされていたのである。(略)だから、ロ事件に芸能界が対応するはずがないのである」

 固有名詞を入れ替えれば、この状況は今と瓜二つではないか? 飯沢は、「笑いが下克上の本質を持っている」「圧迫されればされるほど、民衆の内圧は高まる」あるいは「諷刺によって鬱積した憤懣を爆発させる」とする。日本では、徳川治世、それを受け継いだ明治政府の儒教道徳徹底により、「笑い」=ユーモアの精神が圧殺されてしまったが、そもそもの「笑い」は「武器」となり得るはずと述べる。ただし、併せて飯沢は「ユーモアには日付がないがサタイアには日付がある」と記し、世相を扱う諷刺は「当時の事情が判らないとその妙味は味わえない」とする。実際、戦後に大人気を博したという『日曜娯楽版』の部分などが再録されているけれど、四十年前にも、あるいは今回も、際立った面白みは正直感じなかった。ましてや福沢諭吉の「漫言」などに至っては、古文の勉強にも等しい。先日、テレビで伊東四朗も語っていた事だが、観る側が元ネタを知らないとパロディは成立しない。つまり、「笑い」には(も)、一定の基礎的教養が求められる)。

 本書は、少なからぬ飯沢の自画自讃に食傷させられる部分もあるものの、寸鉄人を刺すような言葉にもぶつかる。
「日ごろから反体制を唱えている連中が札びらを切られた途端に尻尾を振って、敵に近づいてゆくのは、すでに前衛の資格を捨てたことである」
「生まれながらにして差別(賤しいのだけが差別でなく尊いのも差別である)されたものの悲しみを我々は知らなくてはならぬ」

 権力者を笑うことと弱い者を笑うこととの間には、いかなる差異懸隔があるのか? 「笑い」とは何かを改めて考えるために、有益な一冊であろう。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・佐藤灯・金塚荒夫ほかです。


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