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レイバーフェスタ『弁護人』についてのミニ解説

   木下昌明

 レーバーフェスタで、『弁護人』の上映は朝10時からというのに大勢の人々がつめかけ 、会場は感動の渦でした。そのなかでミニ解説に立った私は短時間でまとまりのない話を しました。せっかくの映画をぶちこわした観があります。そこでネットを借りてわたしが 言いたかったことをここでもう一度おさらいさせて下さい。以下はその全文です。(写真=木下昌明さん、撮影=shinya)

   *  *  *

 この映画の監督はヤン・ウソクといって1969年生まれですからそんなに若くないのですが 、長編第1作だそうです。監督は最初インデペンデント映画をつくろうとしていたわけで すが、脚本をソン・ガンホが読んでがらりと変わったそうです。 主人公のソン・ガンホの熱演ぶりがいいですね。前半は、商業高校しか出ていないので、 これを逆手にとってカネ儲けしようと誰かれなく平気で名刺をくばって歩く‟俗物 ”弁護士で、仲間うちから笑いものにされている。それをコミカルに演じています。それ が後半にいくと緊迫したシリアス・ドラマに一変するんです。 かれが変わるのは、民主化運動なんかでなく、食い逃げした食堂のおかみさんとその息子 を救うためなんですね。アノ食い逃げによって、かれは一度はやめた司法試験に再び挑戦 する決心をするんです。その上に食い逃げを許してくれたおかみさんの心意気に、弁護士 としての初心を取り戻すわけです。ここが大切です。この劇的な転換が見事に描かれてい ました。

 時間があまりありませんので、ここで一つだけぼくが訴えたいことを話します。それは法 廷で弁護人と警監が「国家とは何か」についてわたり合うシーンです。そこで弁護人は、 大韓民国憲法の第1条2項にある「主権は国民にあり、すべての権力は国民に由来する」 というくだり。国家というのは、何か自分たちの頭上にあるものと思われがちですが、そ うではなく、一人ひとりの胸の内にある主権意識によって成り立っているということです 。このシーンにわたしは胸のすく思いをしました。軍事政権下にあっても憲法は生きてい た。

 あの時代は、独裁者のパク・チョンヒが暗殺されて民主化運動が盛んになった時代でもあ ったわけです。日本の憲法の前文にも「主権が国民に存することを宣言」するとうたって います。この映画をみると、現憲法がいかに大切かを思い知らせてくれます。 実は「主権は国民にあり」というのは、第二次世界大戦以降、多くの国の憲法のトップに 据えられるようになったものです。それは国家の戦争によって国民が苦しめられたからで す。

 その点で興味深かったのは、大学生になった息子が「お前の思想はなにか?」と警監に尋 問されて「実存主義」と答えるところがあります。あれは警察をからかっているのではな く、戦後フランスのサルトルの「実存主義」が日本をはじめ世界中に広がり、韓国も民主 化運動の時代に広がっていったものといえます。 実存主義は、個人の主体性を強調するものです。この思想も、まさに「主権は国民にあり 」という憲法の土壌があったからこそ生まれ、広がった思想だといえます。その意味でも 「主権は国民にあり」をわたしたちはかみしめて、天皇を利用して国民から国家に主権を 転換させようとやっきになっているアベ政権と対抗していきましょう。見事な作品でした 。

※警監とは日本でいう公安警察の責任者のことか。この人物は分断された国の負の面を体現していて、 それをクァク・ドンウォンが見事に演じていました。


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