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「戦争賛美」の教科書を撤回させた!〜滋賀・大田区の粘り強いたたかい

    佐々木有美

 4年に1度の中学校の教科書採択が行われた昨年、戦争を賛美する育鵬社教科書の全国シェアは4%から6%に増えた。しかし、採択を見事に覆した地域もある。3月6日、東京・国分寺労政会館で、採択阻止の闘いの経験を聞く集会「教科書を取り戻す」が開かれた。主催は、河原井さん・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会。30人が集まった。

 滋賀県では2005年に県立河瀬中学校(中高一貫校)で、扶桑社教科書(育鵬社と同じ「つくる会」系)が採択されてしまった。報告者の木村幸雄さん(「子どもと教科書 市民・保護者の会」事務局/写真右)は、10人くらいの仲間とさっそく反対運動を開始した。入学式でのビラ配り、学校への要請、講演会・学習会の開催、若いお母さんたちと連携して親の会も作られた。2006年の教育基本法改正反対運動が盛り上がる中で、教科書の運動も大きく広がった。採択年の2009年には署名運動も展開、教育委員にそれぞれ手紙も書いた。こうした広範な粘り強い取り組みで、木村さんたちはついに扶桑社教科書を撤回させた。

 2009年以降、滋賀県では「つくる会」系教科書は使われていない。しかし、昨年(2015年)の採択年では、採択の公開と関連公文書の公開要求を行った。そして県内20のうち16の教育委員会で採択の会議を公開させた。木村さんは「恣意的な採択をさせないためには、公開をさせることが大切だ」と語った。滋賀県では今回も全県で育鵬社教科書の採択を阻止できた。「教科書問題はマイナー。広く理解してもらうには、わかりやすく訴える必要がある。そして原発や憲法問題など様々な運動と結びつき、最後には反安倍の流れに合流し戦争を阻止したい」と木村さんは締めくくった。

 元教員で大田区在住の北村小夜さんは90歳。「戦後70年間、憲法を根付かせようと思ってきたが、こんな世の中になったしまった。教科書を取り戻すだけでなくもっともっと取り戻すことがある」と話し始めた。大田区では、2011年に育鵬社教科書が採択された。「まさか」の採択だった。その直後から4年後の採択阻止を目指して運動が始まった。

 中心になったのは退職教員だ。育鵬社のどこが悪いかを、ていねいに調べた。教育委員の一人ひとりに手紙を送った。教科書展示会の時間や場所を増やした。学校や区民の意見を尊重するように教育委員会に要請した。中学校28校全部から意見書が提出され、区民意見は1328件に及んだ。ほとんどが育鵬社反対だった。そして、昨年の採択で、育鵬社を元の東京書籍にもどすことができた。

 北村さんは「成功したのは、誰もが本気でやったから」と話した。しかし、簡単には喜べない。「東京書籍は育鵬社よりましだが、以前とくらべると『侵略』も『従軍慰安婦』もなくなった。どの教科書も政権の意向そのままだ。戦前と同じようになりつつある」と。「本来教科書問題の根幹は検定問題だが、戦後後戻りし続け、採択の問題になってしまった」とも指摘した。

 後半の質疑では、「現状を変えるために、どこから始めればいいのか」と参加者の質問が出た。木村さんは「今の現実からスタートするしかない。ビラをまくと『自虐史観』と若い人から言われることもあるが、そうじゃないと切り返していくことが大事」。北村さんは、「大田の闘いは、やっただけのことがあった。スーパーで買い物するお母さんまでが、育鵬社の教科書を話題にしていた。そこから始まるものがある」と語った。

 今は立ち消えになっている日教組の教科書自主編成運動の話や、学習指導要領(1958年)が出る前の自由な時代の話も出た。「教科書を使わない授業があっていい」という参加者の発言が印象的だった。


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