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黒鉄好@福島です。
テント日誌、番外編をお届けします。

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テント日誌(番外編)〜ついに“全原発停止”へ〜歴史的記念日、子どもたちの未来のために

経産省前テントひろば
2012.5.5(こどもの日) 第238日目 天気・快晴(東京:最高気温26.2度/最低気温16.0度)

「子どもとは、その社会が今後も存続してよいことを示す天からの贈り物である」

インターネット検索でも出てこないので出典は不明だが、以前、何かの本でこんな言葉を見た覚えがある。この言葉のとおりなら、いま、日本は社会存続に黄信号がともっている。「こどもの日」に合わせて総務省が4日発表した、日本の15歳未満の子どもの推計人口は1665万人で、31年連続の減少。1950年以降の統計で過去最少を更新した。総人口に占める子どもの割合はわずか13.0%。米国(19.8%)、中国(16.5%)、ドイツ(13.4%)などを下回り、最低水準という。年齢区分で見ても、12〜14歳357万人、9〜11歳347万人、6〜8歳325万人、3〜5歳321万人、0〜2歳316万人と、年齢が下がるほど減少しており、これは、今後も日本では右肩下がりに人口が減少し続けることを意味する。

子どもの数がこんなにも減少してしまった原因は、言うまでもなく若者(特に女性)が苦境に立たされていることにある。この国の女性たちは、社会の意思決定から徹底的に排除され、国家・企業犯罪の被害だけを一方的に押しつけられてきた。今、沖縄でも福島でも東京でも、女性が先頭に立って激しい抗議を繰り広げている原因は単に放射能汚染だけではない。女性に差別と忍従だけを強いてきた「犠牲のシステム」の破たんを3.11が明らかにしたからである。

とはいえ3.11はそれを露見させた単なるきっかけに過ぎない。5月1日に内閣府が発表した自殺対策に関する調査結果によれば、「最近1年以内」に自殺を考えたと答えた人は20歳代で36・2%、20歳代女性に限定すると44・4%にも上った(読売新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120501-00001517-yom-soci)。20歳代女性の半数近くがこの1年以内に死を考えたことになる。3.11があってもなくても女性たちの抗議の始まりはいずれ避け得ない歴史的必然だったと思える。若者たちをこれほどまでに絶望のどん底に突き落としている社会体制と今闘わなくていつ闘うのか?

日本に残る最後の稼働原発、泊3号機が止まる5月5日、こどもの日。空はこの歴史的記念日を祝福するかのような快晴だ。午前中から温度計の針はグングン上がり、夏日間違いなしと思わせる。デモ隊は脱水症対策が必要だ。

正午。4月17日から続けられてきたリレーハンストが終了し、最後のハンスト終了者におかゆ、子どもたちに柏餅が振る舞われる。「原発いらない福島の女たち」の椎名千恵子さんが「原発は止まったのではなく止めたのだ。そのことをみんなで確認し合おう」と挨拶した。もちろんその通りである。原子力村が危険を安全と言いくるめるようなでたらめ体質だったとしても、そのことだけで原発が止まるほど甘くないことは、この42年間一度も原発の電気が送電されない日がなかったことが証明している。彼らのでたらめ体質を暴き、この日を迎える原動力になったのは間違いなく運動の力なのだ。

「原発いらない福島の女たち」に続いてデモ出発点となる芝公園に移動する。午後2時半過ぎ、デモ隊が公園を出る。過剰警備が指摘される東京の集会・デモだが、今日は警備の人手が足りないせいか、デモ隊から警官が離れ、いなくなる時間帯もあった。福島と比べて街が混雑していることを除けば、この解放感は悪くない。

途中、右翼が街宣をしている場所もあった。相変わらず大音響でみずからの低脳ぶりをさらけ出している。警察は、騒音規制に違反しているので街宣を止めよという警告板を掲げるのみ。こんなもので規制しているつもりになっているのだから、右翼と警察は共闘していると一般市民に疑われても仕方がないし、警察への一般市民の支持も離れるに違いない。

1時間半にも及ぶデモを終えた後、小集会を開いて再びテント前に移動する。会津に伝わる庶民の踊り「かんしょ踊り」を女性中心に参加者一同で踊り、経産省を包囲する。この踊りはマスコミの注目を集めたようで、フジ、テレ朝、TBSの3社が熱心に取材していた。うちフジ、TBSは短時間だが放映もされた。やはり、文化・芸術運動は重要だ。

ここで、かんしょ踊りについて少し触れよう。かんしょとは会津地方の方言で一心不乱、無我夢中になる様子を意味する。会津地方では盆踊りとして一般的に踊られているが、江戸末期に、民衆が過酷な年貢の取り立てに抗議して踊ったのが起源だ。あまりの情熱と激しさのため江戸幕府から禁止された。

現在では「会津磐梯山」に乗せて踊るスタイルになっている。「会津磐梯山」は1934年、日本ビクターが売り出したばかりの蓄音機の販売促進のため、売れっ子作家の長田幹彦に作詞させ、芸者歌手の小唄勝太郎に歌わせたキャンペーン曲で、会津民謡「玄如節」がルーツだ。「玄如節」は歌詞が30番まである長いものだが、「会津磐梯山」のレコードが発売される時点では162番までに膨れあがった。

戦後に入ると、やはりその民衆の抵抗のパワーを恐れたのか、GHQ(連合国軍総司令部)からも禁止の憂き目に遭う。「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の武藤類子さん(今日はシカゴ遠征中のため不在)によれば、「かんしょ」は権力に対する抵抗を表す踊りなので、お行儀悪く踊るほどいいのだという。民衆が「お上」に対する抵抗を踊りで表現するという意味では、いわば福島版「ええじゃないか」運動といえる。そういえば、幕末には川柳も大流行した。川柳と福島版「ええじゃないか」である「かんしょ踊り」の流行は、ひとつの社会体制が倒れる予兆かもしれない。あらためて、私たちは時代の変わり目に立っているのだという思いを強くする。

江戸末期に生まれたこの激しい踊りがその後も廃れることなく現在まで引き継がれた背景に、地元の人たちの郷土芸能保存のための努力があったことはもちろんだが、私は会津地方が置かれてきた歴史を抜きにして語ることはできないと思う。江戸幕府が倒れ明治政府へと至る時代、会津は討幕派の薩長土肥に対し、佐幕派(幕府支持派)の急先鋒として「朝敵」の汚名を着せられた。まだ10歳代の少年たちが白虎隊として組織され、その多くが戊辰戦争で散っていった。120年経った現在でも、会津には倒幕派(とりわけ旧長州藩)に対して複雑な感情が残るとされる。

明治維新後も、「朝敵」とされた会津地方はほとんど新政府の支援を受けられなかった。会津藩は青森県・下北半島に強制移住させられたが、会津の人たちはあきらめなかった。子どもたちを会津の明日を担う貴重な財産と位置づけ、学校さえなかった下北半島から全国各地の学校へ留学させた。留学先には不倶戴天の敵であったはずの旧長州藩も含まれていた。白虎隊に属しながら戦火の中を生き残った山川健次郎は、長州藩の奥平謙輔の書生となって勉強し、旧薩摩藩の黒田清隆の推薦で渡米、エール大学に留学の後、東大総長となる。どんな苦境にあっても子どもたちを財産と捉え、その未来のために何ができるか自分たちの頭で考え行動する。未来のためには子どもたちをかつての敵にさえ預ける。会津人の努力、独立独歩の精神をそこに見ることができる。

福島は今、戊辰戦争に勝るとも劣らない苦難の中にある。現在の国や佐藤福島県政に、会津藩のような長期展望、未来を見通す慧眼は備わっているだろうか。子どもたちを高汚染地域に閉じこめ避難もさせず、自主的に避難した家族への援助さえことあるごとに打ち切りを狙う佐藤県政にそうした資質があるとはとうてい思えない。

佐藤雄平知事は会津の出身だと聞く。明日を担う子どもたちを宿敵の長州藩にさえ送り出した会津の先達のように、いまこそ子どもたちを避難によって守り、明日の福島復興の担い手として育てるべきではないだろうか。私の見る限り、「朝敵」であったが故に政府の支援を受けられず、独立精神もお上への反骨精神も旺盛な会津の人たちの中にこそ、住民本位の福島復興を目指すカギがあるように思われるのだ。それに、福島県民以外にはあまり知られていないが、県内でも会津地方の放射能汚染度は東京都心並みで済んでいる。福島復興が必要なら、汚染度の低い会津地方に除染も人的資源も集中させ、きれいで安全になった会津を福島県の中心に据えることも検討の余地があると思う。

午後6時前、「泊3号機が停止作業に入ったことが確認されました」と告げられると、テント前に詰めかけた人たちから歓声が上がる。ジュースで乾杯し、各地の反原発運動を闘う仲間からのメッセージが読み上げられる。福島で毎日被曝しながら過ごしている身としては、もちろん全原発停止は嬉しいけれど、それを素直に喜ぶことができない。原発が止まっても福島の放射能汚染の状況が好転するわけではないし、子どもたちが毎日激しい被曝を続けているのだ。子どもたちをどうやって救うべきか、避難をどうやって実現すべきか。唯一、その決断ができる政治はもうずいぶん前から「全停止」しており、即効的な処方せんは誰も持ち合わせていない。刻一刻と迫る健康被害の恐怖の中で、福島県民の苦悩はますます深まっている。

そして、今日この瞬間にも、我々の不倶戴天の敵である原子力村は虎視眈々と再稼働を狙っている。今日の全原発停止はささやかな緒戦の勝利に過ぎない。これからはもっと激しく、もっと大規模な死闘が私たちを待ち受けている。もう一度繰り返しておきたいが、これは原発が人類を殺すか、人類が原発を殺すかを巡る最終戦争なのだ。どんなに血みどろになっても勝たなければならない。未来のために、子どもたちのために。

深夜、ツイッターを久しぶりに覗いてみると、「こどもの日とは、子どもたちのために何ができるかを考えて行動する大人たちの日なのかもしれない」とのつぶやきが投稿されていた。せめて私たちだけでも、明日を担う「天からの贈り物」を安心して社会に送り出せるよう、できることはなんでもしたい。

午後11時、ついに泊3号機の発電量がゼロになった。今日の記念日が歴史的なのは単に原発が止まっただけではない。平和的な手段で行動する国民ひとりひとりの政治的意思が、初めて現実の社会の政策決定に影響を与えたという意味においてこそ歴史的なのだ。

昨年9月、私は明治公園6万人集会の報告の最後にこう記した――『戦後66年を経ても閉ざされ続けた民主主義への扉。過去何度か開きかけては閉じ、また開きかけては閉じるを繰り返してきた、厚くて重い、錆び付いた扉。その扉が今日、ほんの少しだけ、開いた。「まだ希望はある」。そう思わせてくれるに十分な6万人の人波だった。もう一度、東京と福島が力を合わせて、今度はこの扉を力いっぱい開きたい』と。

今日、私たちは「厚くて重い、錆び付いた扉」を力いっぱい開くことができたと思う。体中を民主主義の風が吹き抜ける。

五月晴れの空に向かって。

高らかに、さわやかに、今こそ誓おう。

「私たちは、もう後戻りしない」と。

(文責:黒鉄好)

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