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LNJ Logo 飛幡祐規 パリの窓から〜ヒバクシャを生じさせない世界を築くために
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  第16回・2011年5月4日掲載 

ヒバクシャを生じさせない世界を築くために

 今年、2011年3月11日以来、日本は歴史的な大災害に直面している。とりわけ福島原発の多重事故という巨大な人災に際して、人類は大きな転機を迎えたとわたしは感じている。  原発が非常に危険な状態に陥っているという情報が11日の夜から、日仏の友人や市民団体から続々と届き始めたとき、わたしはそれまでこの問題をしっかり認識してこなかった自分を大いに恥じた。昨年の秋、東京の実家で偶然見つけて持ち帰った大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を読み返してみた。そして、日本の歴史を背負うわたしたちは、大江氏の考察を核/原子力についての政治的・哲学的な思考に練ることにより、核兵器のみならず原発の危険性、非人道性を世界に向けて主張すべきだったのにーーと思った。「グローバル・ヒバクシャ研究会」の人たちが言うように、被爆・被曝は広島・長崎と第五福竜丸の犠牲者にとどまらない世界規模の惨事である。ウラン鉱山の労働者、すべての核実験と原発事故の被災者、原発労働者もまたヒバクシャなのだ。しかし、広島・長崎などの不幸な経験をもつ日本は、一部の勇気ある医者や科学者、市民たちが重ねてきた被曝についての研究・認識をもとに、ヒバクシャをこれ以上出さないための行動を率先して担うべきだったのではないか?

 福島原発のような大事故が起きてしまった今、わたしたちはなんとしてでも、これまでの大きな怠慢を埋め合わせなくてはならない。若い世代と未来の人類に対して、その責任があるーーとわたしは考える。人はひとりでは非力だが、それでも自分のできるところから始めることにした。


  *4月30日のダイイン行動

 わたしが1974年から住むフランスは、核保有国であるばかりでなく、日本よりさらに多い58の原発をもつ。世界最大のフランスの原子力企業アレヴァは、日本の六カ所再処理工場をはじめ日本との技術協力を行ってきており、福島原発事故後もすぐに、自国の原発産業を売り込みに(大統領まで)日本へ飛んでいった。原発大国のフランスで事故と日本政府の対応についての正確な情報を伝えること(市民の働きや動きについても)、日本の市民運動とフランスやヨーロッパの反・脱原発運動をつなげて、国際的に脱原発の世論を高めていくことをしていかなければ、と思った。

 原子力の「安全神話」の嘘を証明した福島原発の事故は、多くの市民に衝撃と不安をひき起こし、世界じゅうの原子力ロビーに打撃を与えている。ドイツやイタリアではただちに、原発推進政策が止められたほどだ。しかし、原発推進勢力が歴史的に強大なフランスでは、脱原発について議論が高まってきたにせよ、一般の人の認識が(福島原発事故以前の日本のように)不十分なため、政策転換を求める強い動きにまでいたっていない。福島原発事故についての報道は近頃では減り、地上波テレビのニュースではほとんど語られない(チェルノブイリ25周年関連のドキュメンタリーなどは放映されたが)。現在進行中の重大な放射能汚染の広がり(とりわけ、子ども・乳児にまで年間20ミリシーベルトを「許容」とし、原発労働者の「許容」線量を引き上げた犯罪的措置など)について発信し、一刻も早くこれらの措置が内外の圧力によって改められるように努めるとともに、日本市民の運動をアピールして、脱原発への動きを海外からも最大限に支援できるようなネットワークをつくりたい。日本の電力は原発への依存度が29%で、76%のフランスに比べれば脱原発はちっとも難しいことではない。市民の力でそれをやりとげれば、世界各地の原発ロビーを大きく揺さぶり、世界規模の脱原発が夢ではなくなる道が開けるのではないだろうか。

 フランスが原発大国になった歴史を簡単に説明しよう。ドゴール将軍派と共産党系のレジスタンス運動によって第二次大戦の戦勝国になったフランスは、戦後ただちに、米ソ二大国に対して「独立性」を得るために核(兵器と原発)を選んだ。1945年に「科学・産業・防衛など多様な分野における原子力利用を開発する」目的の原子エネルギー庁が発足し、46年に電力・ガスを国有化してフランス電力公社EDFがつくられた。1960年から1996年まで、アルジェリアの砂漠やポリネシアなど(元)植民地で核実験が行われる一方、1950年代から原発が建設された。50〜60年代に建設が開始された第一世代の12の原発はすべて停止され、現在は70年代〜90年代に建設が開始された第二世代の原発58機が運航している。

 核兵器も原発政策も、民主的な議論や国民投票を経ずに政府が施行を決定し、パリ国立高等鉱業学校という理工系エリート養成機関(日産・ルノーの社長カルロス・ゴーンもここ出身)出身の高級官僚・科学者が原子力関係すべての機関・企業を牛耳る体制が築かれた。原発によるエネルギーの独立性(自給)というまやかしの理論(フランスの主要なエネルギー消費の分野は交通機関と住居・第三次産業。全体のエネルギー供給源は電力(23%)より石油(45%)のほうがずっと多い)に国民がだまされやすいのは、核と原発がフランスの「独立性」を象徴する国威だからである。戦後の高度成長時代に勢力のあった仏共産党は、生産主義から原発推進の国策に賛同し、長年のあいだ共産党の影響が強かった労働組合CGT(労働総同盟)も、一部ローカルな例外を除いて、現在も原発推進派である。EDFは2004年に株式会社(国が85%近くの筆頭株主)になったが、アレヴァ(原子力エネルギー庁が79%の筆頭株主)と共にフランス版「原子力村」を形成する。4月30日のパリの脱原発デモ隊が門前でDie in演出をしたASN(フランスの原子力保安院)や原子エネルギー庁など国の原子力機関にも、国立高等鉱業学校出身者が抜擢される。

 一方、反核運動とともに、フランスでは1970年代に反原発運動がさかんになった。68年五月革命後に反体制やヒッピーの運動が広がり、田舎でコミュニティ生活を送る若者が多かった頃だ。エコロジー思想が発展し、科学の批判もなされ、1970年代の半ばには約400人の科学者の原発反対声明が出された。いくつかの原発建設予定地では、住民の大規模な反対運動が起きた。たとえば、ブルターニュ地方のプロゴフに原発を建設することがフィ二ステール県の県議会で可決されたが、1980年に10〜15万人もの人々が反対デモに集まり、翌年計画は放棄された。しかし、ほとんどの場合、地元の住民の大多数は原発による地域の経済発展を願ったため、原発は次々と建設された。

 フランスの反原発運動はこのように70年代は強かったのだが、当時はまだ「緑の党」が形成される前で、主張を代弁する政党がなかったこと、左翼政党も推進派で運動が孤立したことにより、大きな世論を形成することができなかった。80年代以降、常に高い失業率が争点となったフランスで、労働組合は反原発に関心を示さなかった。そして、政治・経済・科学界で多大な権力を握り、国威をまとった原子力ロビーによって、反原発の言説や不都合な情報はメディアからも退けられた。1986年のチェルノブイリ原発事故の際、ヨーロッパ諸国でフランスだけは正確な情報が流れず、汚染された牛乳や食品が回収されなかったのだ。

 フランスの緑の党は1980年代初頭に発足したが、ドイツのように政治的な力をなかなか得られなかった。地球温暖化など環境問題がようやく国民の関心をひくようになってからは、多くのエコロジスト団体が脱原発よりCO2を減らす政策を優先したため、反原発運動は少数派になっていた。そんな状況で福島原発事故が起こり、フランスは長い眠りからさまされたという感じなのだ。

 今年はチェルノブイリ原発事故から25年目にあたり、フランス各地でもさまざまな催しが行われた。4月23日の土曜日、2機の原発のほかに「第三世代」とよばれるEPRという大型原発を建設中のノルマンディー地方のフラマンヴィルでも集会・デモが行われ、福島原発事故の話をするためにわたしも参加した。主催は地元のCRILANなど、地元の反原発・環境保護団体の集まりだ。この地域には原発のほかラ・アーグの再処理工場(アレヴァ)や「倉庫」、シェルブールの兵器工場(原子力潜水艦)など、原子力産業が集中している。1984年と1992年にこのラ・アーグのプルトニウムがシェルブール港から日本へ輸送され、同じくアレヴァがつくったMOX燃料は福島第一の3号機で使われていた。

 CRILANの責任者ディディエ・アンジェ氏と妻のポレットさんは中学教師としてこの地に赴任し、1972年から反原発運動をやってきた。1977年には、フラマンヴィルの原発を阻止するために予定地を大勢で占拠したが、79年末に建設は始められた。アンジェ氏は緑の党をたちあげたメンバーのひとりでもあり、欧州議会議員や県議会議員もつとめた。現在は退職したが、再処理工場や原発など、原子力関係すべての施設の「情報委員会」に出席し、放射性物質放出や原発労働者の安全問題をはじめ、さまざまな問題を追及しつづけている。「核でも原発でも、原子力とは民主主義とは相容れないもの」と、フレネ教育法を実践してきたふたりは断言する。アンジェ氏は反原発運動のために12回も取り調べを受け、初めは原発推進派の住民からもいやがらせを受けたとう。驚くべき粘り強さで、長年の闘いで蓄積された正確な知識・情報を発信しつづけている。


*建設中EPRの工事現場(ここにグリンピース侵入)

 4月23日の催しは、原発に向かう道筋の港の近くで行われた。この港(浜辺)を臨んだ私有地に、2009年から小さな「被曝者の碑」が建てられている。福島原発事故や日本政府の対応について話し、国際的な連帯の必要性を訴え、インターネットにのった南相馬の女子高校生のつぶやきを紹介してから、わたしはその碑に花を捧げてきた。つづいて、チェルノブイリの現在の状況についてACRO(西部放射能検査協会)のメンバーのスピーチがあり、アンジェ氏は建設中のEPRやその他フランスの原発の危険性について語った。800人の参加者はそれから、800メートル先のEPRの建設地前までヒューマン・チェーンをくんで移動し、パフォーマンスを行った。入り口の看板に、トラクターで運んできた水をバケツでかける(福島原発への注水やチェルノブイリ原発事故の諷刺)というものだ。この集会・デモの様子は日本のテレビ朝日でも報道された。 (http://www.youtube.com/watch?v=BD1zfHUq4kI


 *STOP EPRと書かれた看板には「原子力は未来なんかじゃない!そんなものいらない、すぐに脱原発できるよ!」

 *この地域の反原発運動の旗手、ディディエ・アンジェ氏。

 集会にはシェルブールのグリンピースのメンバーや地域の若者たちのほか、ブルターニュ地方から大勢の人が参加した。福島原発の事故に衝撃を受け、人々の意識はすこし高まったようだ。この地域では福島原発事故が始まって以来、今日まですでに4度の集会が開かれた。5月2日には、グリンピースのメンバーがEPR建設現場に侵入してアピール行動を起こしたが、軍隊のヘリコプターや特別部隊が出動して、彼らは手荒く逮捕されたという。

 さて、パリでは、「脱原発ネットワーク」パリ支部主催の4月30日の集会・デモに日本人有志が協力して、日本語の垂れ幕や看板を用意した(報告記事参照)。わたしたちはまた、「惨事を市民のコントロール下に」とよびかけた「福島アピール」の署名者の集会に参加し、日本で企画中の「6月11日、脱原発100万人アクション」にフランスやヨーロッパ各地でも連動して、大きな行動を起こしたいとよびかけた。「脱原発ネットワーク」やATTACを中心に、その準備にとりかかったところである。

 原子力の非倫理性は、福島原発事故で示されたように、恩恵に浴する人々の陰で多くのヒバクシャを生じさせ、環境を汚染することだけにあるのではない。原発という営みは、何の恩恵も受けず、原子力を選んだわけでもない未来の人類と地球に、放射能汚染による危害と厖大な量の核廃棄物を押しつけているのだ。こんな倫理に反した行為を各国の指導者と科学者たちは押し進め、ごく一部の人が巨大な富と権力を手にし、わたしたち市民はそれらの悪行を許してきてしまった。だが、もう黙って目を瞑るのはやめよう。被爆・被曝によって、すでにあまりにも多くの死者と苦悩がもたらされた。福島原発事故のせいで、新たな犠牲者と苦悩が引き起こされた今、わたしたちはその被害と苦悩を最小限にとどめるために、そして、今度こそ、地球にこれ以上のヒバクシャを生じさせないために、立ち上がろうではないか。

 原子力「平和利用」を謳った生産主義の思想と消費文明が生んだのは、一見豊かで快適に見えるが貧富の差が広がり、弱者がむちうたれる社会だ。モノと情報が氾濫しているのに人と人がうまくつながらず、多くの人々が孤立感と生きにくさを感じている。低線量の放射能がもたらす危害は個人差が大きく、女性、疾病者、年少者、胎児がもっとも敏感に影響を受ける。「社会的弱者」に最も悪影響が大きい放射能汚染を引き起こす原発は、今の社会のありかたを象徴しているといえるかもしれない。わたしは、こんな社会を子どもたちに残したくはない。わたしたちは、市民の手に社会のありかたの決定権をとり戻すとともに、子どもたちや未来の世代のために、人間が人間らしく生きていけるような、新たな社会のありかたを考え、築いていこうではないか。

 2011/5/3 飛幡祐規(たかはたゆうき)


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