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News Item 1250478296437st...
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ソウルのMです。
双竜自動車スト関連の続報です。
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原文:プレシアン
http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=60090812155455&Section=02


「高い授業料払ったが授業はうまくいかなかった」
[双竜車事態、結末は(6)]「仲裁団」率いたクォン・ヨンギル議員
2009-08-13午前9:50:24
ヨ・ジョンミン記者、チョン・ホンギ記者、キム・ハヨン記者


言葉は多くならざるをえなかった。最近ではあまり見ない大工場労働者の長期間
ストだった。民主労総委員長出身で国会入りしたクォン・ヨンギル民主労働党議
員の目と耳は双竜車のスト期間中、ひとり平沢にあった。

またクォン議員は事態を平和的に解決しようとの訴えによって政治家の仲裁団を
つくりだした人だった。彼は誰よりも、さらにはいかなるマスコミよりも近くで
労組や会社や政府の立場と態度を皮膚で感じてきた。

双竜車労使の最終合意案も、仲裁団が事実上まとめあげた内容だった。そうして
つくられた合意案は976人の整理解雇者のうち300人あまりだけを生き返らせた。

クォン議員の最初の言葉が「見るに堪えなかった」であったのはそんな理由から
だった。「労働組合としても国家的にもあまりに高い授業料を支払った」と評価
したクォン議員は、今回の事態を通じて政府も、企業も、労働界もきちんと教訓
を得なければならないと強調した。だがそれが可能だろうか。クォン議員もまた
懐疑的だった。

理由はたくさんあった。「労使自律の原則」を繰り返していた政府は、実際「最
初から労働運動を完全に壊滅するという目標を持ち、『無関与の関与』によって
今回の事態に介入した」。困難の末に準備した労使対話の場は、会社側が口出し
して妨害するのが常だった。双竜車事態をめぐって「李明博政権退陣」を叫んで
いた労働界は、「政権や総資本との闘い以前に、一資本を変える力を失ってか
ら」久しい。

去る10日、クォン・ヨンギル議員に双竜車の土壇場での交渉過程の内輪話をイン
タビューした。目に見えない結果ではなく、きちんとした教訓を探すためだった。
彼は「教訓を得られなければ、今後もっと大きな社会的費用を支払わねばならな
いかも知れない」と強調した。

以下はインタビューの全文だ。


<双竜車事態、見るに堪えなかった>


【プレシアン(以下Pと略) 】双竜車事態がついにまとまった。

【クォン・ヨンギル(以下Kと略) 】結果については見るに堪えないという心境だ。
労働組合としても国家的にもあまりに高い授業料を支払ったというのに、授業を
まともにしたのか疑問だ。たいして教訓を得られなかったように思う。

見るに堪えないというのは個人的な話しではない。双竜車支部や金属労組、民主
労総など労働陣営全体についてもそうだ。またそれは労働界だけの結果ではなく、
結果的に国家の損失として作用するだろう。すでに大きな社会的費用が支払われ
たにもかかわらず、今後もっと多大な社会的費用を支払わねばならないかも知れ
ないと考える。

【P】双竜車事態が悪化し、与党ハンナラ党のウォン・ユチョル、野党民主党の
チョン・ジャンソン議員と共に仲裁団として事態の解決に努力したようだが、仲
裁の必要性を感じた理由はなんだったのか。

【K】双竜車支部が玉砕ストに入る前に、金属労組から仲裁の窓口になるよう要
請された。もちろんわたしの意向でもあった。

対政府交渉を引き出す窓口が重要な役割をもつタイミングだと考えた。わたした
ちはよく「労使関係」というけれども、実際は大部分が「労政関係」だ。葛藤が
大きいほど、対政府交渉でなければ解決できない。双竜車もそうだった。

【P】仲裁団の活動で難しい点はなんだったか。

【K】枠組みを構成することからして容易ではなかった。かなりの時間がかかっ
た。たくさんの議員に会って仲裁団の必要性を説得した。陣痛をともないはした
ものの、結果としてはそれなりの枠組みとなった。

ウォン・ユチョル議員とチョン・ジャンソン議員は平沢が選挙の地域区だ。わた
しは双竜車の別の工場がある昌原が地域区だ。そこにソン・ミョンホ平沢市長が
加わった。また、チョン・ジャンソン議員は該当の常任委員会である知識経済委
員会の委員長であり、ウォン・ユチョル議員は与党ハンナラ党の京畿道党委員長
だ。わたしは民主労総の委員を務めた。こうしてみると、政府や会社側、労働者
側の意見を反映することのできる人々がすべて加わったことになる。与野がすべ
て参加するこうした枠組みをつくるのが実に難しかった。


<会社側と政府、仲裁団にさまざまな不満をぶちまける>


【P】どうしても与党は政府の立場を強く反映せざるをえないはずだが、構成が
困難だったように、内部での意見調整も容易ではなかっただろう。

【K】内部よりも外部が問題だった。会社側と政府は仲裁団を認めようとしなか
った。ひいては「仲裁団は動かないでほしい」という雰囲気が強かった。直接で
はなくとも、遠回しに幾度か伝達してきた。7月25日、会社側が一方的に交渉を
打ち切ってから、そんな圧力をさらに露骨に強めた。

仲裁団の中にも、「あまり介入しすぎるのは控えよう」という意見も多かった。
だがそれでは仲裁団にはならない。会社側や政府の一方的な要請を受け入れるこ
とになるのではないのか。仲裁というのは、両者の立場を余すことなく反映しな
ければならない。そうまとめるまでにまた長い時間を要した。

【P】困難の末に7月24日に労使政の懇談会が開かれて25日に再び交渉することに
なったが、結局は会社が出てこなかった。

【K】24日の懇談会も実にたくさんの紆余曲折があった。当初は仲裁団4人、金属
労組委員長、パク・ヨンテ共同管理人が会うことで約束したのだが、会社側がハ
ン・サンギュン支部長の出席を強く要求した。しかし身辺問題があるではないか。
会社が約束するといっても、政府が明確に保障しなければ出席は難しい。

なんとか集まったのだが、いざ集まってみるとパク・ヨンテ社長が来なかった。
社長の代わりに専務と部長8人が来た。労組の立場からすれば、実際これは話に
ならないものだ。労働側代表が金属労組の委員長だというのに、会社側は格が違
う。結局、労組が了解した。形式にこだわらないというのは、それほど労組は対
話を切望していたのだ。


<政府と会社側は対話ではなく、すでにシナリオをもっていた>


【P】24日にパク・ヨンテ法定管理人が現れなかったのも、ある意味で仲裁団に
対する会社側や政府の不満の表明だったのか。

【K】そう考えることもできる。会社側の態度は対話するというよりも、対話の
テーブルをひっくり返そうとしているように見えた。出席した部長たちはそれぞ
れ労組の非難に終始した。まるで「騒々しい市場通り」のようだった。

24日に「決裂だけは防ごう」と意見がまとまったのだが、会社側代表として座っ
ていた専務は「わたしの一存ではいかない」、「検討してくる」といった。大詰
めの1時間はただ待っているだけだった。どうしてそんなに長く待たなければな
らなかったのだろうか。推測してみるに、それほど長い時間が必要だったのは社
長との協議ではなかった。社長よりも上に立つ、つまり政府との協議があったの
だろうと思う。

【P】ようやくつくられた対話の場が25日、会社側の不参加通告でつぶれてしま
った。

【K】マスコミは1時間前に通告があったとしているが、実際には「出てこない」
という話しが夜明けまで流れていた。合意して戻るやいなや「明日は参加しな
い」と決めたのだ。徹夜での調整の末に再び会うことにしておいて、午前9時に
一方的に「交渉不参加」を発表したのだ。

それ以後、仲裁団の役割が壁にぶち当たった。本当に腹立たしかった。民主労総
の委員長時代から数知れないほど協議をしたことがあるし、党に入った後も直接
間接にたくさんの交渉に関わったが、今回のように侮辱されたことはなかった。
抑えがたいほどの感情が腹の底からこみ上げてくるのを耐えた。

会社は不参加の理由について「労組にいかなる希望も与えたくない」と非公式に
説明した。「対話の放棄は労組を絶望感に陥れるための戦術」だというのだ。さ
らにはパク・ヨンテ社長は「あらゆる非難を甘受して対話を放棄した」と語った。
非難されるべき行動だと自ら認めながら、同時に仲裁団に「どうか関わらないで
くれ」と要求したりもするのだった。

会社に任せてくれというのだが、その言葉の中身は警察力を動員し、労組を締め
付けて降伏させるというものだった。結果的に、本当に会社はそう打って出た。
政府と会社側にはすでにシナリオがあったのだ。ところが、とんでもない仲裁団
が入り込んできたので、そのシナリオ通りの進行に狂いが生じたのだ。こうした
わたしの判断が確かなのは、その後もさまざまな場面で確認できた。


<政府にとって双竜車は巨大労組壊滅のためのトカゲのしっぽ>


【P】これまでの経験に照らして双竜車事態の特徴はなにか。こんなにまで事態
が長期化した理由はどこにあるのか。

【K】政府からみれば最初から「トカゲのしっぽ」だった。政府の基調は労働運
動を根絶やしにすることにあった。政府は民主労総や金属労組など民主労組を完
全に整理するのが目標だった。その目標を達成する上で、双竜車が破産しようが
しまいが失うものはなかった。

もし破産するならば、「労組のストのせいで国家の基幹産業がつぶれた」と攻撃
できる。破産しない状況になれば実力で鎮圧するなど、労組を内容的に無力化さ
せることができた。政府としては、時間がたつほど苦しんだり残念に思うような
ことはひとつもなかった。

会社側もそうした政府とまったく同じと見ていい。交渉の過程で会社側は、「こ
れはわたしたちの意思ではなく、ほかの意向」と語ったりもした。ほかの側とい
えば言わずもがなだ。政府だ。政府の意向といえば青瓦台(大統領官邸)の意向だ。
もちろんいつの政府であれ、労組の強固な闘いが展開されて青瓦台の意向が働か
なかったことは一度としてなかった。

【P】過去の政府と李明博政府はちょっと対応が異なるようだが。

【K】傍観者だったという人が多いが、実際はそれが対応の基調だったのだ。
「政府が責任を負わない。だんまりを決め込んでいる」というけれども、傍観者
的な立場をとるのが政府の戦略だった。

だが実際の内容は傍観者ではなかった。表面的には傍観者だったが、内容的には
沈黙してはいなかった。「労使が自律的に解決すべき」と表面ではいっていたが、
逆に深く介入していた。はなはだしくは政府が交渉をリードして方針を定め、進
め方や速度や内容までも調節していた。「無関与の関与」だった。

とりわけ政府は、国家人権委員会の緊急救済にもかかわらず、会社側が水と電気
を断つことを放置した。医薬品さえも遮断した。さらに深刻なのは李明博政府の
労働観だ。政府がまともな労働運動、つまり民主労総や金属労組をどんなに気に
入らないと感じていても、あそこまでやれるものではない。


<2日の交渉が流れてからは人命を救うことが目標>


【P】25日に交渉が決裂し、再び労使が向かい合って4日間にわたって交渉を続け
たがまた決裂した。会社が決裂を宣言した。そして5日に警察が大々的な鎮圧作
戦を繰り広げ、6日に合意文に至った。

【K】4日間もたれた交渉が8月2日に決裂して実に難しいことになった。それまで
はなんとか納得できる案をつくって妥結に導くのが仲裁団の目標だったが、あの
時点から人命を救うことが目標になった。むごたらしい大惨事が引き起こされる
可能性がかなり高まったからだ。

【P】合意案の水準が問題なのではなく、妥結自体が目標になったという話しだ
が、それならば最終合意案をどう評価するか。最後の合意案は事実上、仲裁団が
まとめあげたものを労使が受け入れたのだった。

【K】すでにその時点では正常な労使交渉を通じた妥結ではなかった。結果的に
労組の降伏だった。内容的にもそうだが、形式的にもそうだった。非常に残念だ。

2日を基準とした640人のうち、48%を生かして52%を分社および希望退職とする
案は整理解雇を食い止めるのではなく、構造調整を受け入れる案だった。民主労
総の委員長をつとめたクォン・ヨンギルが構造調整の受容案をもって仲裁するの
はどんなに哀れだったか。

激しくなった侮辱と侮蔑は交渉の妥結以後にも感じた。わたしがマスコミに「で
きれば整理解雇という用語を使わないでほしい」と答えた。すでに7月24日の懇
談会で会社側は「整理解雇」という表現を、労組は「総雇用の保障」という用語
を使わないこととした。十分なものではなかったが、結局は合意文に「整理解
雇」という表現は盛り込まれなかった。それなのにある記者から「希望退職が整
理解雇じゃないか」と責めたてられた。そのときは生涯のうちで本当に耐え難い
侮辱だと感じた。


<民主労総、総資本や政権との闘い以前に一資本を変える力もなかった>


【P】双竜車は整理されたが、これからあちこちで構造調整が控えている。金属
労組だけでなく、民主労総にも甚大な影響を及ぼすだろうという見方が大勢だ。

【K】メソジスト教会創設者のジョン・ウェスレーの言葉だ。「わたしはメソジ
スト教会がなくなることを怖れるのではなく、メソジスト精神の消え去った抜け
殻であるのが恐ろしい」。この言葉はわたしの胸をうった。この言葉はわたしが
語るべきであり、わたしに語る言葉だ。

言い換えれば、「民主労総や民主労働党が消え去ることが恐ろしいのではなく、
民主労総の精神が失われた抜け殻の労総であることが恐ろしい」。わたしが恐れ
るものがなんなのか、省みるようになった。結論はまだ下せないでいる。

今回の事態がいかなる影響を及ぼすかは、すでに双竜車以前にみながわかってい
ることだ。民主労総が「李明博政権退陣」を叫ぶならば、それにふさわしい闘い
をしていたのか。総資本との闘い以前に、一資本を変える力でも持ち合わせてい
たのか。闘いの総体的な勝利はさておき、部分的な勝利ではあっても勝ち取れて
いたのか。そうではなかった。金属労組だけでなく、すべて同様だ。

イーランドの闘いで実体がすべてあらわになった。イーランド労組は不満だろう
けれども、民主労総の結成以後にあれほど全力を注ぎ込んだことはない。にもか
かわらず相当に長い期間、解決できなかった。


<企業の囲いに閉じ込められてはどれもうまくいかない>


【P】民主労総の実力についての問題提起はかなり前から繰り返されていること
だ。問題は解決に至る道だと思うが。

【K】現実を認めなければならない。正確な診断を下さねばならない。事実、労
働者にとっての命は連帯だ。連帯しない労働者は労働者ではない。連帯の表現が
団結であり、連帯の表現が闘争だ。連帯しないで労働解放? 政権と闘う? 空言
だ。

連帯しようとすれば、なによりもまず心が動かなければならない。感情の交流だ。
心と心が通じないのに団結できるわけがない。だから短期的にもっとも必要なの
は消え失せた連帯の回復だ。現在の執行部の問題ではなく、全体で解いていかな
ければならない問題だ。長期的には、長い目で枠組みを編み直していかなければ
ならない。

また労使関係というのは、基本的に青瓦台との闘いであることを否定してはなら
ない。1990年にKBS(韓国の公営放送)の闘いが終わり、当時の盧泰愚政府の核心
メンバーがかなりの年月がたってからわたしにこう語った。

「政権は政権の運命をかけて対応していたのだが、労組は狭い枠組みの中でのみ
闘っていた。言葉では政府を批判もし攻撃もするが、労組の闘いは多くが闘争で
はなかった。勝敗はそこで分かれた。」

企業の枠内にのみ閉じこもっては解決できない。国らしい国をつくるための闘い
をしなければならない。いかなる仕組みもなくて解雇が殺人になる国で、政府に
向かって「おまえたちは人殺しだ、解雇が人殺しにならないような仕組みをつく
れ」と語ることができなくてはならない。最近、イム・ソンギュ民主労総委員長
が語った社会連帯労総もそういうものだ。具体化が必要だ。

【P】長時間、ありがとう。

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