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LNJ Logo 根津公子さんの停職出勤日記13〜素敵な出会いありがとう
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皆さま

停職最終日の30日には立川二中の校門前で幸せをたくさんもらい、3ヶ月の停職が終わりました。お金はないけれど、素敵な出会いがあり、貴重な体験ができ、充実した3ヶ月でした。 ご支援くださった皆様、ありがとうございました。

停職「出勤」日記(13)

●6月27日(火)

鶴川二中へ。ここに立つのも今日が最後、近所のいつも挨拶を交わす人たちにそのことを告げ、お礼を言った。Aさんはご自宅に案内してくださり、「通勤4時間はきついから、いつでも泊まって」と言ってくださった。有難いことです。

昼過ぎ、毎日のようにここを通られる女性が、いつもはいぶかしそうにプラカードを見ていくのに、今日は、「聞きたいことがある」と言ってこられた。4月の初めには、プラカードを見ていられたので、話しかけたら、「ふん!」と言っていかれた方だった。

 「君が代は天皇をたたえる歌ではあるけれど、国歌なのだから、また、先生なのだから、反対でも起立すべき。起立して、歌わなければいいではないか。」とおっしゃる。しかし、話しを進める中で、「私は君が代を歌うべきではない、歌うな、と言っているのではないですよ」と告げると、まず、非常に驚かれた。「強制することに反対しているんです。自由を奪われ、民主主義が破壊された社会は恐ろしい。自由も民主主義もない、北朝鮮のような国にしたくないんです」「君が代について生徒には歌詞の意味も何にも教えないで、起立斉唱をさせるのは間違っていると思います。親が子どもに、『いただきます』をしつける時だって、なぜかを話して子どもを納得させるでしょう。それをしないのは、教育ではないですよ」と私が答えたことに、彼女は共感された。「君が代」で免職もありうることを告げると、すごく驚かれ、「ひどい。がんばってくださいね」と最後は、私を激励してくださった。とってもうれしい出来事だった。

 この女性はご自分から聞いてくださったので、誤解が解けたのだが、ステレオタイプ式に決め付け、対話を拒絶する人がいかに多いことか。人が100人いれば、100通りの意見があることを前提にして、意見を交流し、深め合いたいものだとつくづく思う。

 下校時間帯の終わり頃、Bさんとオーストラリアの映像作家Cさん夫妻、それに新聞記者が到着。Bさんが歌を歌ったこととCさんがビデオ映写機を回したこと(私を撮っていたのだが)で「気味悪い」との訴えがあったからと、副校長が「やめるよう」言ってきた。「不審者」ではないことは明白なのに、私を撮影しているだけなのに、生徒が映ってしまったところは使うはずがないのに、このような騒ぎ方をされるのは、何なのだろう。

4月初め校長は私に「ここに立つのはやめてくれ」と2回、言った。このとき私は、精神的には私は抹殺された、と思った。そのことと重ねて推察するに、今日ここにBさんCさんがいること自体が気に食わないのではないかと思った。

生徒の成長を真に考えたなら、一方的な情報を流し、他の情報には触れさせないというやり方は、やめるべき。異なった情報に接することから、思考は始まるのだ。もっと、子どもを信じたらいいではないか、と思う。「かわいい子どもには旅をさせよ」と言うではないか。世界の教育を知れば、日本のこれが、非常識であることは容易にわかることでもある。

●6月29日(木)

午後から都教委教育情報課長及び担当者と、9回目の質問への回答、話し合いを持った。

記者から撮影したいと申し出があり、私たちは密室でのこのやり取りが公開されるのは願ってもないことで、承諾した。

ところが課長は入ってくるなり、「カメラマンには頭撮りを許可したのであって、これ以上の撮影はやめてほしい。これはお願いです」と言う。いつもは、「情報課の判断での回答は控える」と言うのにこのときばかりは、「教育情報課の判断」であり、回答を控える「条文や理由はない」と言う。「都庁内の全ての撮影を禁止してはいない。石原都知事は積極的にカメラに出ている」(趣旨)と、開き直りとも思われることも言った。

「私たちは撮ってもらいたいので、肖像権の侵害には当たらない。そちらは公務で行っていることなのだから、撮影して何の問題があるというのか。都教委の流したいものだけを映像にする『大本営発表』・情報の独占はおかしいではないか」と追及したが、撮影は認められなかった。

しかたなく、本題に入った。

(1)「停職3ヶ月――セクハラや体罰が何度も起これば、重大な影響があるが、不起立でどのような重大な影響があったと言うのか」(2)「停職3ヶ月処分を決定するに当たって、都民の世論をどう考慮したのか」 について課長は、教職員課の回答だとして次のように答えた。「人事委員会、裁判係争中なので、回答を控える」。

説明責任は、本人はもとより、都民に対してもあるだろうが・・・。

 「私は処分発令の3月31日にも、抗議と質問をしようとした。しかし人事部長は、私の声をかき消し、処分書を読み上げると、私を部屋から追い出した。今は、人事委員会に審査請求をしているから『回答を控える』と言う。では一体いつなら答えてくれるのか、くれたのか。このまま来年、さらに加重処分を迎えるのではたまらない。答えてほしい」と私は訴えた。

参加者それぞれが思いを訴えた。

その最中、課長は、「職務命令には従うもの」と言うと、立ち上がり、「終わります」と言って、部屋を出て行ってしまった。事態を呑み込むのに、1、2秒を要した。これが職務に責任ある対応と言えるだろうか?課長は職責を果たしたとお思いだろうか?と思った。

 ヒラのDさんは課長について一度部屋を出て行ったが、引き返してきたので、来週の予約を申し入れた。私たちは都教委に、どこまでも対話を求める。

 終了後、庁舎前を通る人にチラシを手渡した。

●6月30日(金)

今日は停職最後の日。立川二中に行った。プラカードには、「今日で停職が終わります/励ましをありがとうございました/大勢の人が言うから正しいとは限りません/鵜呑みにせず、異なった意見に耳を傾け、自分の頭で考え、判断していきましょう/お元気で」と書いた。

不当な停職処分に抗議し闘い続けることができるのも、授業でかかわった生徒たちの励ましがあったからのこと、一人ひとりにお礼を言いたいとの思いで朝も帰りも挨拶を交わした。

「ぼくたちの卒業までいてほしかった」「応援しているよ」「がんばって」「停職が終わって、おめでとうございます。町田の学校でもがんばって」「今までお世話になりました。ありがとうございました」等々言ってくれた。

こんな会話もあった。

生徒:「また、二中に来るでしょ」

根津:「卒業のお祝いのメッセージは贈るよ。でも、来るのは今日が最後よ。まさか、来年の停職中にここに来るわけには行かないでしょう」

生徒:「来年も停職か! でも、その時来て」

根津:「あなたたち、卒業しちゃうじゃない」

生徒:「そうしたら、ぼくたちが門の前に来るから。A高校に行けば、すぐ来れるもん」

二中の生徒たちからすごい元気と励ましをもらった。もう、これだけで十分うれしいのに、まだまだうれしい、力の与えられることがあった。

一つは、3ヶ月前に卒業したEさんが来てくれたこと。3年生のFさんが帰り際、「E先輩が一昨日も根津先生に会いたいって、ここに来たよ」と告げてくれたが、いかんともし難い。そうこうしているところに「間に合った」と駆けつけてくれたこと。

もう一つは、八王子時代の教え子Gさんが来てくれたこと。国際関係学を学ぶ学生で、昨年の10月、ホームページを見て励ましのメールをくれたのが始まりだった。

私と直接接した生徒・かつての生徒からの励ましは、何にも勝るエネルギーになる。私の仕事をほんとうに知っているのは授業や活動をともにした生徒たちだけだから。だから、その生徒たちからの励ましは、どんなにひどい攻撃にも耐えられる力となる。それは、体験済みだ。

多摩中に異動して1年目に起こされた校長・教委・地域・PTAが一体となった攻撃に、ぼろぼろになりながらも耐えられたのは、八王子で同僚たちと築いた教育活動への確信と、何よりも当時の生徒たちが、その後も私たちの実践を評価してくれ、窮地に立つ私を励ましてくれたからであった。

もしもあの時、元生徒からの励ましがなかったら、私の今はなかった。私はこうして困難を乗り越えさせてもらい、強くもしてもらってきた。

幸せいっぱいの気分で帰宅すると、Eさんからメールが届いていた。またまた、力を与えられた。Gさんに、お礼のメールを入れた。そしたら、その返信に、またまた力を与えられた。本当にありがとう! これで、来週から鶴川二中に胸を張り元気に行くことができる。

お二人のメールを、本人の承諾を得て、掲載します。

Eさん:「今日、根津先生に会えてとてもうれしかったです。いつもなら、部活終わりが17時を越えてしまい、二中正門に行っても会う機会がなかなかありませんでした。今週は、試験1週間前の部活停止期間。今週中には会えるだろう。そして、先生の出勤も最終週だと思っていました。やっとのことで会えたわけです。

先生自身はこの3ヶ月は長かったのか、短かったのか、どう思っていますか。

3ヶ月間も門に立ち、看板を立てて、抗議。自分なら3ヶ月もやれないと思う。先生は自分の意志を曲げずに貫き通したのだから、すごい!

前回・今回と処分は厳しくおかしな処分だけど、もっと職員に対する考慮というものはないのかと思う。

厳しい停職や減給。学校の異動人事。とことん苦しめないといけないというのは、あまりにも理不尽だと思う。

『踊る大捜査線』ではないけれど、職員が現場でちゃんとやっているのに、生徒たちに教えない会議室で話す偉い方なんかに分かるはずが無い。根津先生は、二中のみんなが応援してくれていたし、分かっていたはず。今日だって『がんばって』と励ましてくれていたし。中学校は先生主導だけど、先生を判断するのは生徒自身。生徒の意見が尊重されるべきだと思う。

長々と書いてしまいましたが・・・。すいません。では、3日から鶴川二中で教員として頑張ってください。そして、鶴川二中の生徒に根津先生の授業が出来ることを。」

Gさん:「(前略)先生と直に話せたし、先生の周りにはいろんな方のサポートがあるということが生でわかって、すごく嬉しかったです。様々なことを勉強させてもいただきました。大学で平和学を少しかじって、先生のやっていることは本当に「平和学習」なんだなって実感しました。先生の生徒さんとの触れ合いや、昨日お会いした社会人の方々をみて、平和的方法の過程で得られるものってこれなんだ、って。ガンディーも個々では小さくても、でもたくさんのサポートに囲まれてました。(後略)」

 朝、出勤途上のHさん(保護者)と挨拶を交わすことができ、最後の日にお礼が言えてよかったと思っていたら、何とHさん、帰宅時には冷茶を差し入れてくださった。強い日差しではなかったが、それでも一日中コンクリートの路面にいると体が熱っぽくなる。ほてった体に、冷茶のおいしかったこと! 何よりも、お心遣いがとってもうれしかった。Hさん、ありがとうございました。

3日から、がんばろう。


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