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C@千葉です。

「サンデープロジェクト」の共謀罪特集、見ました。
おおむね私たちの主張を反映する内容だったと思います。
共謀罪に無関心だったメディアが、運動側の力によって変わってきたと思います。

ただひとつ、「国際的犯罪集団」に限る、とした民主党の修正案を番組が評価したところは納得いきませんが。
なぜなら運動の側も「国際連帯」を模索しており、国内的な視点だけでは運動そのものが成立しにくい状況になっている現在、海外にいる私たちの「連帯相手」が「国際的犯罪集団」と認定されてしまう恐れが消えないからです。

ところで、この問題には私はあまり詳しくないので、あとは詳しい方におまかせしますが、番組の中で、官僚の裏金作りの謀議には共謀罪が「成立しない」と、自分勝手な答弁を繰り返していた大林・法務省刑事局長という人物が2度にわたり登場しました。
どこかで聞き覚えがある名前だなぁと思っていたら、思い出しました。
この人は大林宏という検察官で、1980年、中国に極秘渡航したまま27年間、幽閉状態にあった元日本共産党政治局員・伊藤律氏(故人)が中国当局の幽閉から解かれて帰国した際、出入国管理法違反容疑で伊藤氏を取り調べた人物です。

『午後三時過ぎに迎賓館に着いた。…(中略)日本大使館の当局者はすでに来ていた。大使代理(?)の一等書記官大林宏、一等書記官渡辺、二等書記官某の三人。質問は大林が行い、渡辺が筆記して私に示し、答えさせる。…(中略)大林は威圧的で、時には旧特高式の睨みをきかせ、時には日本料理を食べないかとか、日本のえらい医師に私の病気をみさせようとか硬軟両方の手を使う。少しでも多く喋らせようとの魂胆がありありだ。帰国後に判明したのだが、大林は法務省刑事局の幹部検察官で、当時「外務省出仕」となっていたのである。つまり本物の公安検察官だったのだ』
(『伊藤律 回想録〜北京幽閉二七年』文藝春秋社、1993年、325ページ)

『私はいっさい黙秘した。大林は隔離査問の場所が不明では帰国許可に必要な経歴書が成立しないと恫喝し、さらに「あなたは党から除名されたのだから、今さら党に義理を尽くさなくてもいいでしょう。もう話してくださいよ」と言った』(前掲書328ページ)

『この日はなぜか大林ら三人は定刻より少し遅れてやって来た。では経歴書に取りかかろうと切り出した時、大林は目玉を剥いて私を睨みつけた。まるで昔の思想検事そっくりで、これで大林は外交官ではないとはっきりわかった。…(中略)とにかく中国に来てからの経歴書を書け、と大林は命じた。その態度は昔特高が手記を書かせたのと同じやり方である。私の胸に憤怒が湧き、目が悪いので書けないと拒否した』(前掲書328〜329ページ)

『私はなるべく早く帰国手続きをして旅券を出してほしいと要求したが、大林は、大使館としてできるだけ努力するが、何分本国政府の決定を待たねば、と言外に威嚇を含めた言い方をした。そして、そのあと言葉を改めて、現在は共産党をどう思っているかと訊ねてきた。いよいよ切り出してきたなと感じた。帰国許可を餌に「転向」を表明させようとする謀略にちがいない』(前掲書、329ページ)

…共謀罪を推進しているのは、はっきり言えばこういう連中です。
他人の弱みにつけ込み、国民の心の中にズカズカと泥靴で入り込んで踏みにじるような連中に共謀罪法を与えれば、日本のあちこちで毎日こういうことが繰り返されるようになるでしょう。
大林に限らず、いかに上手く国民の心をコントロールするか。
その術に長けている人間ほど昇進していくのが「特高警察」以来脈絡と続く法務・警察当局の伝統だということがよくわかる記述だと思います。
彼らがいかに「市民団体には適用しない」といっても信用できないことは、番組中の「国会答弁している検察官僚」から実際に取り調べを受けた人の叫びを聞けば、明らかではないでしょうか。

共謀罪法案は、やはり廃案以外にありません。

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