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文在寅政権の危機なのか、民主労総の危機なのか

[ワーカーズ]世の中の評判

イ・グァンイル(聖公会大) 2018.12.20 12:13

[出処:キム・ハンジュ記者]

文在寅(ムン・ジェイン)政権が危機だという言葉がさまよっている。 南北関係の解氷にもかかわらずに悪化する社会経済的な問題がその震源地だ。 その中心には労働者たちの疲れた人生がある。 文在寅政権と執権与党は「危機論」を認めないが、 社会経済的な問題で支持率が低下しているという解釈には注目している。 危機は「ヘゲモニーの亀裂による政治的ジレンマ」の表現だ。 では、この危機論に肯定も否定もできない今の現実は、 文在寅政権の危機が始まったことを知らせる信号かもしれない。

果たしてその局面に進入したことを示す さらに確実な兆候はないだろうか。 さまざまな社会経済的統計指標を根拠に提示することはできるが、 それは危機を平均化された記号に置き換えるという点で適切とは思えない。 そのような指標さえも、 無秩序に進められる階級闘争と それに還元されない多様な闘争の産物、つまり政治の結果であるためだ。

そうした意味でさらに強い兆候がある。 それは労働運動に対する態度の変化だ。 1987年の労働者闘争以後、いや金大中(キム・デジュン)と盧武鉉(ノ・ムヒョン)、 李明博(イ・ミョンバク)と朴槿恵(パク・クネ)政権の歴史をざっと振り返れば簡単に確認できる。

支配ブロックの中で何かの危機論が浮上する時期には常に労働者階級とその運動に対するイデオロギー的、抑圧的な対応が伴っていた。 その過程で確認できる特徴は、民主労組運動をアカ勢力と見なす守旧政治勢力の攻勢に距離をおく自由主義政治勢力だ。 彼らはこっそりと後ろから「共感のメッセージ」を送り、 ある瞬間に前に出て「反労働」の敵対的な態度を見せる。

自由主義政治勢力は大統領選挙で労働界の支持を得るため、 守旧政治勢力が民主労総を経済危機の主犯だと力説したことを批判した。 執権後にはあと1年待ってほしいといった。 しかし彼らは今、民主労総に「怒りと敵対感」を示している。 「民主労総と全教組はもはや社会的弱者とは考えない」という青瓦台秘書室長の発言は、 盧武鉉政権時期の言及の二番煎じだ。 自由韓国党の雇われマダム分際が 「民労総との決別を覚悟して果敢に労働改革に出るべきだ。 青瓦台の一部でも言っているように、民労総はもはや弱者ではない」と呼応したのも同じだ。 共に民主党、自由韓国党に代表される新自由主義の左右が いわゆる民主労組運動で協調してきた長い慣行をまた確認している。

だがこうして繰り返される歴史の軌跡を反芻すれば恥辱感に陥らざるをえない。 まさに危機に陥っているのは文在寅政権ではなく民主労総だという結論から抜け出せないからだ。 理念、組織的な水準で、自由主義政治勢力から自立しようと思っていた目標がいつの間にか薄まって、 次第に一つの官僚組織に変わった民主労総の歴史的軌跡。 それは自由主義政治勢力のヘゲモニーの下でさらに深く抱き込まれる政治過程だった。 結局、大統領選挙では文在寅候補への支持を公然と組織することさえ放置される状況に至り、 それに対して意味ある何の措置も取られなかった。 労働者闘争の産物である民主労総の綱領と規約が死文化して既に久しい。

11月21日の全面ストライキの前に民主労総、金属労組などは 弾力勤労期間拡大阻止とILO中核的協約批准、労働法全面改正、きちんとした正規職転換などを要求して 強力な闘争を行うと力説した。 だがそれが龍頭蛇尾になるだろうと思う人は少なくない。 それらの要求はかなり前から提起されていたことだからといった理由ではない。 戦う時に戦わずに妥協する民主労総、 妥協すべき時に屈従する民主労総の態度、 つまり政治力が弱いか不在の民主労総を信頼していないからだ。 そうした偏向が日常になった組織に、現在-未来の希望が芽生えるだろうか。 文在寅政権、 特に企業が難しいと駄々をこねる資本が、 民主労総のいない経済社会労働委テーブルに座って焦っていないのはそういう理由だ。 「時間が薬だ」。

久しぶりにゼネストの帆を上げて積極的に闘争すると叫ぶ民主労総には残念な話かもしれない。 今、民主労総が新自由主義グローバリズム時代の労組運動を代表する 性格、地位を担保しているのか、 今後そうなるかどうかについては懐疑も少なくない。 それでもそれを代替する新しい組織の不在は、民主労総の「官僚的生命」をさらに延長させるだろう。 そのようなジレンマ的な状況は、87年体制の核心、 つまり「保守自由主義-守旧勢力が支配する政治体制」が維持される限り、 再生産され続けるだろう。 それでもそこにしがみつく労働大衆の状況は、労働運動の危機を端的に見せている。

単刀直入に「労働積弊」を拡大再生産する一軸が 新自由主義左派の自由主義政治勢力であるという点を自己化できない組織が できることは何だろうか。 新自由主義政治勢力の執権に少なからぬ寄与をしながら、 執権した人々が新自由主義労働改革を推進することに反対して闘争することこそ 喜劇ではないだろうか。 そうした人々に「労働積弊の清算」を要求して、 彼らが背を向けると「労働積弊と同類」だと批判する態度こそ、 今まで民主労総が露呈し、だから清算すべき「片思い慣行」ではないのか。 それは財閥解体を主張しながら 保守自由主義と守旧政治勢力を貫いて作動する彼らの物質的力量、政治力をあまりにも過小評価している。 そしてさらに本質的には「総資本としての国家」を特定の政権と同一視して、 そこに本来の期待を投射する主意主義的な組合主義、代理主義の極限状態ではないだろうか。

闘争そのものは闘争を展開する主導者の認識、認定とは無関係に内的動力を持たない。 だからその内的な動力を作ることが重要だ。 それがない人々が主導する闘争は結局、大衆の虚しさと、それに伴う苦痛を倍加させるだけだ。 政治、組織、闘争路線などが貧しく不在だが、 「積弊清算、労働基本権保障、非正規職撤廃、最低賃金法原状回復、財閥改革」をいくら叫んで抵抗しても、 それが意味ある進展につながるだろうか。 その時代の課題を組織的に担保できない主体が そのような成果をあげたという例は、 どんな運動の歴史でも見たことも聞いたこともない。

民主労総、金属労組などが徹底して彼らを政治と民主主義の対象にする姿はいつ見られるだろうか。 懐疑的だが、今回のゼネストが何か小さな契機にでもなることを期待する。 民主労総、金属労組などが見せてきたこれまでの態度とは無関係に 今回のゼネストには苦しむ基層労働大衆の切なる生活の要求と闘争意志が込められているからだ。[ワーカーズ49号]

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-11-26 21:19:04 / Last modified on 2018-12-24 06:13:50 Copyright: Default

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